クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

平易になったおかげ

話し言葉ではなく書き言葉、つまり活字により親しんできた。親しんできたけれど、ひと昔前に比べれば書き言葉で書かれる内容は、ずいぶん平易になった。

 

いちばんわかりやすいのは、新聞。ものによっては文字が大きくなって、内容も薄くなった。高齢化と活字離れのコンボに、余暇時間の奪い合いという環境を考えれば納得しかない。その一方で、内容が薄くなったおかげで読みやすくなったのは、英語で書かれた情報。

 

高尚な書き言葉は、韻をふんだりわかる人にしかわからないジャーゴンを散りばめて、咀嚼できない輩はお呼びでないとばかりに難解だった。難解すぎて歯が立たないから、平易な英語表現で書かれたものの方を情報源として重宝してた。気がつけば、かつては歯が立たなかった高尚だったはずの長文の表現も平易になって、普通に読みやすくなった。

 

昔からの愛読者にとっては、腹立たしく物足りなくなったかもしれないけれど、その代わり薄くなったあるいは読みやすくなった内容でも、ニューカマーなら満足する。ニューカマーでさえ薄くなった内容に我慢できなくなったら、またかつてのように、難解で瞬時には読み下せないようなものが復活する。

 

何かお探しですか?と声を掛けてきたお店の人に、自分が探しているのはかくかくしかじかのものであると述べたあと。反応薄いな?と疑問に思って名札を見たら外国の人だったという経験は、これからも都市であり続ける街ではきっと増える。

 

その代わり、お店の人の方が詳しいからと、特に下調べもせずにノープランで出掛け、商品に詳しい定員さんのおかげで満足する買い物ができたという経験はきっと減る。

 

品番を調べてから実際にお店に行くか、そもそもネットで買うようになる。ネットで完結させないのは、リアルなお店が街にあった方がいいと思ってるから。

 

それなりに大きな、名前を言えばあぁと言ってもらえるような会社のトップ、社長を務めるような人でさえ電車のような公共交通機関を使って通勤するのは、日本ならではの光景だった。今はどうだか知らんけどさ。

 

社長という地位に相応しい邸宅はたいてい郊外にあって、郊外だから車を使っての移動は長距離となり、交通渋滞に巻き込まれて予定が狂うのがイヤで途中までは電車、そこから社有車に乗り換えて出社。という、効率と体面が握手したような企業トップのライフスタイルも、これからは日本ならではの光景だったと懐かしがられるのかも。

 

同じようなライフスタイルの社長が数多くいたからできたこと。日本の会社の社長が、日本でいちばん集まる都市だからできたこと。数が揃わなくなったら、効率重視か体面重視かのどちらかにライフスタイルも変わる。

 

途中までは公共交通機関を使い、その後は運転手付きの社有車で移動するのは、高貴な人のお忍びっぽい行為にもどこか似てる。市井の人々や生活をすぐそばに感じ、ふだん耳にする情報に嘘がないかどうか。自分の目や耳で何でも確かめたくなるのは、周囲に嘘つきが多い証し。