クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

自己中心的な

個人競技であっても、トップレベルにあるアスリートの勝敗をわけるのはチーム力の差。競技そのものがまだ新しくて、チームらしいチームを組むのも覚束ない場合はまた別。

 

賞金額が大きな個人で戦うプロスポーツは、よきコーチにトレーナーやマネージャー、その他のスタッフを揃えられた方がより勝利にも近く、俺・私がプレイヤーでマネージャーだと、競技そのものに専念できる時間が削られ、勝利も遠くなる。

 

高収入同士のパワーカップルが、夫婦揃ってプレイヤーとして大成するかというと、案外そうでもなさげ。よきプレイヤーが家庭内に二人揃っていても、コーチやトレーナーあるいはマネージャー役も時には兼ねられなかったら、軋轢ばかりが大きくなって、チームは破綻する。

 

高収入を生かして、コーチやトレーナーあるいはマネージャーを外注できたらまた別だけどさ。

 

そもそもどちらも前に出るタイプで、バックオフィス的業務をこなす人が家庭内に誰もいなかったら、家庭内の管理はなおざり。おざなりになった家庭を維持するよりも、放棄した方が楽でプレイヤーとしても活躍できることがわかっていたら、とかく放棄へと傾きがち。

 

プレイヤーが何の憂いも心配ごともなく、競技そのものに専念できる環境が整っていたら、よき環境に恵まれたプレイヤーほど強くなる。

 

勝利にこだわるプレイヤーが、最初から競技そのものに専念できる環境を求め、強いプレイヤー同士でバディを組んで、競技以外のことは外注で済ますのか。それともフロントとバックのように、得意分野の異なる相手をバディとして選んで家庭内で完結させるのか。

 

さして強くもないプレイヤー同士がバディを組み、どちらも競技に専念したいと家庭内の管理はなおざりで、かといって雑事を外注するほどの余裕もなかったら、いつまでたってもどちらも強くなれない。

 

そんな状態が続くのは不公平だから、公平にしろと迫られた時。思いつく解決策といえば、まずはプレイヤーのどちらかを強いプレイヤーに変えるか、外注しやすい値段でサービスを提供するかのどちらか。上方婚か、高福祉。どちらも、そう簡単には手に入らない。

 

どちらもそう簡単には手に入らないものながら、公を変えるより自分を変える方がまだ手っ取り早く、上方婚に期待する人は自分磨きに精を出す。

 

自分を変えるより、まずは公を変えようとする人は珍しく、相当変わってる。

 

上方婚と高福祉の両方をいちどに手に入れるため、俺・私が自分磨きをするあいだ、あなたは公を変える社会運動にでも精を出してねと他人により厄介な方を押し付ける人は自己中だから、取り合う必要はまったくなし。