クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

虫愛ずる姫と王子

空港で足止めを食らった人にとってはきっと嬉しくない雪も、積もったばかりだとたいへんキレイ。いかにも雪国らしい景色は、目を楽しませてくれる。特に先を急ぐ用事がなければ、きれいねーとただ喜んでられる。

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蟻はbug かinsectか。突然気になったけど、よく考えれば日本語の日常会話でも虫のことをわざわざ昆虫と表現する人なんて、ごくわずか。厳密性が要求されない場面では、ざっくりbugでいい。

 

ところでbugには、プログラムの誤りという意味もある。

 

とても美しいヒト型に似た容姿を持つけれど、その実態は昆虫が進化あるいは変異したもの。その美しいヒト型の昆虫が大いなる苦痛を味わうと、例えばオーロラのような世にも稀な美しい自然現象を呼び起こす。という設定のお話がありまして。

 

同族の味わう苦痛が世にも稀な自然現象を引き起こし、大勢の観光客を呼ぶからフトコロも大いに潤うことを知った、美しいヒト型の昆虫。同族を苦痛から救うよりも、同族内でのより手厚い再配分を望み、自ら同族を痛めつけて苦痛を与える道を選んでヒューマンを呆れさせていた。

 

さすが、もとは昆虫。

 

ヒューマンにとって予想外の選択は人類愛とは無縁で、そもそも人類でもないから彼らが見せた知性と感性は、ヒューマンとは相容れない。

 

同族の味わう苦痛が蜜に変わるという設定で、また思い出すのはミュンヒハウゼン症候群。周囲の関心や同情を集めるために自らを傷つける、あるいは子供を病気にしてしまう病。世にもまれな自然現象と観光客を、可哀そうな人に寄せられる関心や同情に置き換えると、なんだか似てる。

 

難病に苦しむ子供とその家族には、同情が集まるもの。だけど、周囲の同情や関心を集めるために子供を病気にしたことがバレたら、集まった同情も関心もすみやかに軽蔑に変わる。

 

それ、単なる虐待だから。

 

自分の子供、あるいは同族に与える苦痛が虐待と謗られてしまうのならと、ターゲットを変え、赤の他人を傷つけるようになったらそれはもう犯罪。虐待がダメなら、犯罪に走る。うん、どう考えてもヒューマンの知性とも感性とも相容れない。

 

誰かの味わう苦痛が蜜に変わると知って、急いで同族になろうと急接近して蜜のおこぼれにあずかろうとする。それだけでなく、より手厚い同族内での再配分をめざし、さぁ泣けもっと苦しめと、一緒にさらなる加害に精を出す。

 

その一連の行為が犯罪と立証されそうになったら、速やかに無理くり縁を結ぼうとしたことはきれいさっぱり水に流して、遁走する。

 

どこにも知性が感じられない行為が平気なのも、もとは昆虫だから。ヒューマンの常識も言葉も通じない相手はヒューマンではなく虫、bugとして扱われ、bugすなわちプログラムの誤りだから、取り除かれるかリセットされる。

 

その後はそんなに虫が好きなら、ずっと虫、bugでも眺めて暮らすがいいねと、bug取りに従事させられると、現代風ディストピア御伽草子のできあがり。

 

同族への虐待によりフトコロが潤うシステムが、あまりにもうまく回り過ぎていまさらもう同族への虐待が止められない場合は、さてどうすればいいのか。

 

まずは、同族への虐待を非難する声を徹底的に封印する。非難するものは同族から切り離してしまえば、非難の声も上がらなくなる。虐待を非難するのは、同族に対する同情あるいは憐憫があるからで、だったら虐待する対象をより同情も憐憫もされないものにすればいい。

 

1ミリグラムも心の動かない崇拝者の捧げる献身は、同族とは言えない同族として、食い物にするのにもってこい。

 

信者と書いて、儲けるとはほんとよく言ったもの。儲けたい人にとっては、都合よすぎる存在が、信者で崇拝者だから。という思考実験、おしまい。