クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

イメージ喚起

ご馳走を作るときに大事なのは、まずは作りたいと思うご馳走があること。ご馳走とはこういうものという具体的なイメージがなかったら、ご馳走を作ろうという気にもなれんわな。

 

ついでに自分にとってのご馳走が、ありふれたご馳走とはちょっと違うものだったら、せっかくご馳走を作って振る舞っても、ご馳走と気付いてもらえないという悲劇もあり。労力に見合った評価が得られずストレスとなるなら、まずはありふれたご馳走とは何か?から学ぶとストレスも減るに違いない。

 

ご馳走を作った自分も満足。ご馳走を振る舞われた誰かも満足。与えた方も、与えられた方もニコニコ満足してる姿は傍目から見ると微笑ましく、微笑ましいから世間も満足。ご馳走を振る舞う気は満々なのに、食べてくれる人がみつからない場合は、ありふれたご馳走とはちょっと違うものと思ってまず間違いなし。

 

これとこれを組み合わせると、きっと美味しいはずという予想。大当たりするだけで満足してニコニコしてる人は、ただひたすら趣味を突き詰めてるだけで、商売っ気なんてハナから考えちゃいない。

 

目は口ほどにものを言う。

 

感情表出が抑えめで控えめ、無口な人でも目は雄弁に感情を語ってくれる。サングラスで表情を隠すのは、感情を気取られないため。生き生き、あるいは死んだようなと目を見れば本当はどう思っているのか、真意もバレやすい。

 

褒めたくないのに褒めねばならず、けなしたくないのにけなすしかないとなれば、心は死んでいく。面従腹背を強いられ続けると、まともな人ほど壊れるのは早く、壊れやすいものはとっとと壊すに限ると破壊行為に勤しむ人は、壊れてカラッポになった器こそを欲してる人。

 

壊れてカラッポになった器は、機械的に命令に従うヒト型ロボットにもってこいで、ヒト型ロボットを必要とする人なんて、表に出てこれない人や表沙汰にできないことをやってる人に決まってる。

 

ありふれたご馳走とはちょっと違うものを、無理にでも食べてくれる人。あるいはありふれたご馳走とはちょっと違うもの愛好家のフォロワ―は、自然増には期待薄。だから顧客の創造よろしく欲しいものは何でも自分たちで作るDIYな人たちだったら、自分で作る。

 

スクラップアンドビルドとはよく言ったもの。壊して新しい価値観を植え付けたヒト型ロボットの方が、ひとりの人間を一人前に育て上げるより生育期間は短くて済む。だから壊す方が手間も時間もかかるものは後回しで、ヒト型ロボットになりたくない人にとっては、後回しにされるのもスルーされるのもめでたいこと。

 

昭和の終わり。昭和が終わっても予備校という名の塾の授業は休講にもならず、いつも通りでガッカリした。

 

ガッカリする生徒たちに向け、これから君たちは古い因習とは無縁の世界で生きると力説してた予備校の先生は、長い旅を終えようとしてる人のお言葉あるいは御姿を見るために詰めかけた人の群れに何を思うのか。あるいは古い因習を疎んだその人は、古い因習とはきっぱり縁が切れたのか。今だからこそ聞いてみたいやね。

 

お休みなさーい。