クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

秋晴れ

ホレホレはよ写真撮らんかいとばかりに、次々とポーズを変えるキタキツネ。観光客ズレし過ぎで、ふてぶてしい。テッテケテーと俊敏に走り去るリスは、颯爽として可愛かったんだけど動きが早過ぎて、カメラには捉えられなかった。

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近郊にはいくらでも大自然が広がっているけれど、安心して車が止められて、気軽にお散歩しながら自然を満喫できるのは、やっぱり管理された場所。自然豊かな場所では、なぜここにと思うようなヒトと遭遇した時の方が、野生動物と出くわすよりもおっかない。

 

植物園に観光庭園は、オフシーズンのために次々と閉園してゆく今日この頃。11月最初の週末はお出掛け日和の好天で暖かく、雪虫の姿さえまだ見掛けない。突然ドカッと来てもいいように、準備はそれなり。

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これは、ちょっと前のもの。

エキゾチックな服装に、単なる飾りかもしれないけれど腰には剣もどき。切腹や敵討ち、あるいは改易に匹敵するようなエキゾチックな風習持ちだと、常識が異なる人たちから色眼鏡で見られてもしょうがない。

 

明治維新を経て開国した当時の日本も、欧米先進国からはエキゾチックな観察対象として、色眼鏡で見られつつ虚実入り混じった姿が喧伝されてたのかも。かもかも。先進化のために招かれた、お雇い外国人の目から見た日本を伝える記録がいくつも残されているけれど、お雇い外国人とひと口に言ってもその立場は様々。新政府あるいは雇用主との関係が、良好だったのかどうか。

 

新政府からは感謝と敬意をもって迎えられ、感謝と敬意に応えるように功績を残した言わば“両想い”の人が残した記録は愛に勝り、どちらかの気持ちが一方通行な言わば“片思い”の人が残した記録だと、手厳しく公平性には欠けるかも。

 

という視点は、欠かせない。

 

異なる常識の人たちからは色眼鏡で見られがちな場合は、当人あるいは当事者の言葉がもっとも説得力ありで、偏見まじりに受け取られるなら、自分たちで語る方がいい。

 

本、あるいは何かを読むという行為は、誰かの脳ミソを借りる行為でもあるから、誰の脳ミソを借りているのかが大事。別に本に限らず、映像作品でもそうなんだけどさ。公正さよりも、偏見の流布を目的とした人の脳ミソを借りてたら、知らずに偏見に染まりかねない。

 

この人は、いったいどの層から感謝と敬意をもって迎えられている人なのか。両想いの相手は誰なのか。ということまで考え出したらキリがなく、キリがないから迂闊なものには手が出せなくなる。

 

かといって、偏見のそしりを免れるために誰とでも握手するようになると、今度は金で転ぶとかあるいはもっと侮蔑的な言葉を投げつけられかねない。

 

どこからも等分に距離を置き、どこにも属さずどこにも与しないを実践するにはとかく骨が折れる。イヤねー。

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面白かった。きれいだった。楽しかった。役に立った。諸事複雑になり過ぎたら、疑いようもないほどシンプルな言葉ほどお役立ちで、きれいをきれいという言葉を使わずに表現しようとするのは言葉あそびで、言葉あそびに閉じてる人たちのあそび。

 

お休みなさーい。