クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

好日

賑わうべき時に賑わうべき場所が、ちゃんと賑わっているとひと安心。

 

悲観は気分で楽観は意思で、よくない噂やニュースほど大きな翼に乗って遠くまで届くものだから、悲観は作りやすくて楽観という意思はとかく叩かれやすいのかもね。かもかも。

 

雨模様という、当初の予報はどこへ行ったのか。

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好天に恵まれた一週間。ホテルでは宿泊キャンセルが相次いだとか言うもんだから、チャーンスと物色するも、行ってみたかった評価の高いホテルの週末や連休の予約は相変わらずいっぱい。機動力の高い人たちによって、早々に押さえられたのかもしれないし、そもそも“マーケットが違う”のかもしれないけどさ。

 

観光客が絶えないはずの場所も、ほんの一瞬観光客の姿が消えたけれど、その代わりに普段はあまり見掛けない“お客様“を見掛けた。

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真っ白でもなく真っ黒でもなくブルーグレーの体色だから、これはやっぱりアオサギか?剥製なら見たことあるけど、本物のアオサギをこの場所で見掛けたのは初めて。鴨が我が物顔で泳ぎ回る場所かと思ってた。

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ぼっちの鳩と、避難するかのように大群となって木にとまる鳩。こちらも、なかなかに珍しい光景。

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スーパーやコンビニの商品棚は、いつも通りからはまだちょっと遠く、ここではあったものがあちらでは不足中といったナゾナゾが続行中。一旦止まった、あるいは傷ついた物流網を立て直すのは楽じゃないのは、やっぱり立地の問題かそれともなのか。

 

誰もが納得する、もっとも美しいカタチでナゾナゾを解いた人に、大きな贈り物があるのかもねと想像するのは楽し。

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札幌の歴史には疎いもので、てくてく街を歩いているとどちら様ですか?と思うような人物を顕彰した銅像その他に時々遭遇し、始めて偉人だったと認識する。小学校あたりに地元史を習ったことがあればともかく。そうした機会がないと、とことん来歴には無頓着になる。

 

現在のような都市の、かげも形もなかった時代にこうあれかしと願って礎を築いた人たちの目に映る現在の姿は、願った通りなのかそれともなのか。街は生き物だから、そもそも生き物に命を授けた人たちの息吹みたいなものは、やっぱり現在まで残ってるもんだと感心する。

 

一見伝統的なものがこの地では伝統ではなく、他の場所では新しいとされるものの方が伝統に基づいていたりと、個性的。

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個性は差別化につながるものだから、本来はブランド化もしやすいはずなんだけどどうなんでしょ。ブランド名だけでは乗り越えられない、ぶ厚く手ごわい国際物流網の壁。とか考えるのも楽し。やっぱり楽観は意思のたまもので、意思があるところに道は開けてその先まで続いていくと考えると、納得感もあり。

 

お休みなさーい。