クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

嬉しい楽しいを記録したのが映画の始まり

仕事始めとはいえ、街はまだまだお休みムード。

 

真面目に働くのは週明けからでええやんと言わんばかりの、まったりのんびり気分が漂いまくってると感じたのは、きっと気のせいじゃない。

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栗きんとんをバターたっぷりのトーストに載せ、栗きんとんトーストで〆て、おせち料理にもサヨナラ。1月のレギュラーメニューとして、どこかのカフェにでも置いてくれないかと思う、予想通りの美味しさだった。

 

よく考えたら割といいお値段がする栗きんとんなので、採算面で厳しそう。食べたかったら自分で作る方がきっと早い。真面目に作り置きに励むのも、週明けからにしようそうしようと、こちらものんびりまったり。

 

映画の感想を書くのは、公開が終わってから。と、伸ばし伸ばしにしているうちに、書こうと思った内容さえ忘れつつある『リュミエール!』。

 

どこかの映像資料館で常時上映されていそうな、“映画“の発明者リュミエール兄弟による記録映画を集めたもの。短編映画というよりショートショートと呼びたい108本の動画。

 

最初期の映画、シネマトグラフにはストーリーもなく、ただ街の景色を映したり、面白おかしく見える瞬間を捉えたりといったものばかりで、最初期のYouTubeを眺めているようだった。そのせいか、流れる映像は1895年から1905年にかけてのものと、微塵も親近感は抱けないものなのに、妙に微笑ましく懐かしかった。

 

初めてホームビデオを手にした時。初めて携帯やデジカメで動画を撮った時、何を撮ったかと言えばまずは身近なもので、世界中の誰かにとっての身近な景色や面白おかしいで溢れ返っていたのが初期のYouTube

 

何ができるかもよくわからない、はじめましての道具を手にした時に人類がやろうとすることは、100年経っても変わりゃしないんだなと微笑ましかった。

 

映像記録集といえば『映像の世紀』だけど、あちらはBGMも重々しくテーマも重々しい。『リュミエール!』では、落語家の立川志らくがナレーションを担当し、軽妙なトークに合わせて『映像の世紀』では流れないような、市井の人のありふれた暮らしを映し出す。

 

1895年から1905年のヨーロッパといえば歴史的にはキナ臭く、動乱の時代と呼びたくなるけれど、動乱の時代にだって市井の人の暮らしは続くし、面白おかしいことだって転がってる。

 

後世から見たら、大きな出来事一色に塗り潰されてしまいそうな時代の、そうではない一面を切り取っていて、そうでない一面を敢えて取り上げたのは、同時代の人のためだから。

 

悲観はムードで楽観は意思ということばが好きなんだけど、暗い気分に襲われそうな同時代の人に、明るく面白楽しいというメッセージを届け続けたリュミエール兄弟が資産家、ブルジョワジー階級だったというところもポイント高い。

 

時には自らや家族、友人・知人をモデル(俳優というほど演技してないし。。)に起用し、撮影する場所は自らの会社や自宅や別荘で、上映する映画館も自分たちで用意していたリュミエール兄弟

 

新しい道具やビジネスに対する好奇心以上の、強い動機でもあったのか。そのあたりは作中ではまったく忖度せず、ただ残した作品からその偉業を読み解けという観客まかせのスタイルは、逆に兄弟の人生に対する興味を募らせたかも。

 

映画、あるいは動画のはじまりは、ただうれしい楽しいを記録するものだった。うれしい楽しいをみんなで共有するものだったという単純な事実から、ずいぶん遠くはるかに旅したものよ、という気分も盛り上がりまくった。

 

お休みなさーい。