新年も3日目、おせち料理も3日目ともなると食べる方も苦行となって、“おせち料理を食べ切る”チャレンジに挑んでる気分になれる。地味なチャレンジは、生活のなかにだって落ちている。
ローストビーフの残ったタレにはゆで卵を投入して煮卵もどきにし、お雑煮にしても食べ切れない蒲鉾は、油揚げや葱その他を卵でとじてきぬがさ丼にする予定。大量に作った黒豆はおやつ代わりだから、余っても問題なし。
年末から用意していたストック食材、だいたいきれいに食べ上げられそうで、もっすごい満足。綿密に立てた食料計画でもないから、棚からボタモチ感が強くて、そのぶん満足感も大きい。
象の時間、ネズミの時間というフレーズに出くわしたばかり。
同じタイトルの生物学の本もあるけれど、こっちは生産時間=象の時間、消費時間=ネズミの時間という文脈で使われていた。
日常的に料理をする人はよくわかっているに違いない、時間をかけて料理をしても、食べ上げるのはあっという間という悲しい事実。7時間かけて用意したから、7時間かけて食べろと言われても無理。
準備した時間と、食べ上げる時間が限りなくイコールに近付くほど、生産者と消費者間のもめごとも少なくなり、調理担当者の機嫌がいいと、出てくる料理を待つ専門、食べる方専門の人も、安心して食べられるってもんで、家庭内平和も守られる。
ついでに正月くらい休ませろというおせち料理を、日常に持ち込んだのが「作り置き」だよな。生産時間をまとめて取って、少しづつ消費するスタイルでも、象の時間とネズミの時間は限りなくイコールに近付ける。
生産時間をゼロにして、買ってくるだけで済ますこともできるけれど、それを許すとエンゲル係数はウナギのぼり。日々日常的に料理する人は、どちらかといえば節約志向のはず。節約志向だから、生産にかかる時間と消費にかかるコストを天秤にかけたら、生産にかかる時間の方を取って、コストは料理以外の分野のためにとっておく。
身の丈にあった暮らしで過不足なく生きているっぽく見える、市井の人見て導き出した答えなんですけどね。
身の丈にあった暮らしで満足できてないように見える人は、サンプルには含まず。
生産にかかる時間と消費にかかる時間が限りなくイコールに近付いた、お手軽レシピ本が人気になるのも納得。時間も予算も限られている人が、世の中のマジョリティなんだから。暇持て余した有閑人向けのレシピは、思いっきりそっちに振らないと、今や興味関心を惹くのさえ難しい。
簡単にできて間違いなく美味しく、市販の調味料使用もためらわず、それでいてコストも安いとなったら、そりゃ人気でますわ。と、2017年に人気となったレシピ本を振り返ってもよくわかる。
秘訣がわかってる人は、今さら伝統ふりかざされるのもイヤなんでしょ、きっと。
お正月をおせち料理で乗り切るように、日々の生活も作り置きで乗り切れば、ゆとりの時間も日々に生まれる。ま、余った時間で特段することがない人にとっては関係ない話なんだけどさ。
今年は自民党の総裁選もあって、政治クラスタがSNSでも活発に活動しそうで今からうんざり。てっぺんに居てもうてっぺんには居られなくなった人は、別のてっぺんに飛び移るしかないんだってさ。これ豆知識ね。
以前にも書いたけれど、忘れないためにもう一度。
社会に居場所が見つけられない人間を、戦場という非日常に走らせるような、大きな物語なんてイラネー。
ってことで、今後もみみっちく日々の生活を見つめていく所存さ。
お休みなさーい。