お餅が四角いと、微妙に違和感を感じる丸餅派。たまーに食べると、新鮮さ。
“お正月らしさ“なんてものは、すでに食べ物のなかにしか残ってない気がしてしょうがない、新年二日目。門松に晴れ着、凧に羽子板に。お正月らしさを彩る各種アイテムは、もうすっかり”デザインの中のもの“になってしまって、門松を除けばリアルで目にすることも稀になった。地域性はきっとある。
七夕らしさも雛祭らしさも、結局はインテリアと食べ物に収斂していったように、お正月もインテリアと食べ物に収斂していき、インテリアと食べ物に興味関心の薄い人の生活からは、お正月も抜け落ちていく。のかもね。
元日ならいざ知らず、二日ともなるとロードサイドのお店はどこも通常営業で、通常営業に正月らしさもへったくれもあるかと、初売りセールののぼり以外には、正月っぽさもなし。
毎年お参りに行く神社は、年々歳々お参りする人が増えている。
信心深い人が増えたというよりは、単に街の性格が、商業やビジネスの街から住む街へと変わり、住民が増えただけのことだと思ってる。普段着かつ家族でお参りに来ている人が多く、新年早々デートでここに来ました、キャハ☆ みたいな、浮かれた人はごく少なし。
そういう浮かれた人は、もっとネームバリューがあって、参詣者も多い場所に行くはず。場合によっては親や近所の人の目が届く場所で、わざわざ浮かれ騒いで針の筵に座ったり座らされたりすることもないわな。
二日目にして、すでに飽きているおせち料理。
目先を変えようと、ローストビーフをホットサンドにしてみたところ、焼き肉サンドになった。半生がキモで決め手のローストビーフから、半生を取ってどうすると釈然としないながらも、それなりに美味しかった。
ついでにおせちにはつきものの“なます”も、余ったらバインミーの具材にしてみようと思いつく。今年のお雑煮は、年末に作ったランチョンポークから出たスープをリサイクルした、コンソメ仕立てにしてみた。勝手にアレンジする方だから、どう考えても伝統とは相性が悪い。
ご飯に合うものはたいていトーストにも合うから、やっぱり余ってしまいそうなきんとんも、最後はきんとんトーストにして消化する予定。
多読や速読をよしとする人は、評論家やジャーナリスト、あるいは記録をつけるのが好きな人なんだってさ。
普通の人、生活のなかに読書という行為を取り入れ嗜む程度の人にとっては、多読や速読も関係ない。多読や速読をよしと喧伝する人たちの多くは評論家やジャーナリスト系の人や、その種の人たちの覚えがめでたくなりたい人たちだから、すすんで彼らの養分になることはない。
例えばtwitterのタイムラインで。
ほれ読め、さぁ読め、早く読めと言わんばかりの人が出現することがあって、うんざりしてた。映画でも本でも楽しみのために手に取るもので、義務として読む人は別の目的がある人。義務を果たさずとも、他者の成果物をチートする手段には事欠かないとなったら、もうルールの変え時。
ルールが変わるんだったら、古い衣はとっとと捨てるに限るんでしょ。
愛さないものは愛されないという単純な事実の前には、すこしの不思議もなし。
お休みなさーい。