クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

もういくつ寝るとクリスマス

手を変え品を変え、時には説教やお願いの形を取りながら、繰り返し何度も何度も結局は同じ中身を繰り返すのは、繰り返し何度も言わないと忘れちゃうからでしょ。人は忘れっぽいけどマシン、デジタルの記憶はそう簡単に忘れちゃくれないさ。

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道に落ちていたツララ。

これはきっとユニクロのCMに違いないと思ったら、実は時計メーカーのCMだった。テイストがよく似てたので、クリエイターの人が同じなのかも。かもかも。あるいは、そう誤認させようとわざと似せたのか。

 

高額商品のCMが目に付くようになると、もういくつ寝るとクリスマス。という気分も盛り上がるさ。

 

新しい洋服を次々と買っては、ユーズドとして売る。という、メルカリやZOZOTOWN経済圏のお話は、なんだかせわしなくて別の惑星の話みたい。

 

ユーズドでいっちゃん気になるのは値付けの部分だから、買取価格もユーズドとしての出品価格にも納得感があると、のめり込める。

 

今はまだ1~2万円内の商品のお話だけど、主たる購買層である今の20~30代が、年齢とともに買う商品をグレードアップさせていけば、この仕組みで何でも売れそう。売り手と買い手が最短で出会える場所に、売りたい人も買いたい人も殺到するもの。めんどくさがりの面倒と思う心理的ハードルを極限まで下げれば、大きなマーケットができるもんだねと感心して見てる。

 

売ったり買ったりを頻繁に繰り返す、大量生産に大量消費はもう止めませんか?というスローなライフスタイルは、どこ行くんすかね。

 

薄利多売で一度に動く金額はそう多くないけれど、チリも積もれば山となる方式か。それとも耐用年数を過ぎるまで使い潰す方式か。どっちにしても大した金額は動かないところが成熟、あるいは歳とった国ならではって感じー。

 

ユーズドでも日本製の良品が欲しいという、新興国の人にもウケがいいのかも。

 

インターネット上のマルシェでスーク。めんどくさがりには、とにかく向いてない場所。昔の知人が、いらなくなったものはまとめてそのつどフリマに売りに行く、わりにアクティブな人だったけれど、そもそもフリマ好きな人にとってはよさげな仕組み。有人と無人だったら、大抵の場合無人レジで済まそうとする人間とは大いに違う。

 

断捨離中に出てきた昔のノート。共同体から利益体への変化、なんて書き留めていて、その変化の渦中にいるから実感する。共同体にも利益体にもなれない相手とは、相互不干渉あるいは没交渉が、もっとも平和的解決手段さ。

 

グローバリズムの世の中では、同じことが世界中で同時多発的に起こるんだってさ。世界で一斉に同じことが起こったらどうなるのか。その先が見えてる人は、ちゃんと対策とってるでしょ。

 

お休みなさーい。