クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ただの日記

例年11月は株価が高くなりがちとはいえ、今年はとりわけ景気がいいようで。名前だけはよく知られている会社が実はまだ未上場だったと知って、そっちの方が驚き。景気のいいお話が飛び交うなかで、トヨタ自動車はひっそりと札証と福証から姿を消すとか。選択と集中やね。

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ある日のおやつ

プロデューサーは、才能を集められる人のことなんだって。

 

映画の中のセリフなんだけど、納得さ。毎回メンバーが固定するようになると、もう才能が集結する場ではなくなって、おべんちゃら集団に堕するのも納得。才能なんて枯れずにいつまでも続くもんじゃないから、乾ききった才能にお水をやるのがおべんちゃら。

 

少しでも才能が長持ちするようにとの、善意から発する行為と思えば横行するのも納得で、あれ優しさだから、おべんちゃら集団も早々なくならないんだな。

 

スパムという名の互助行為を許さないのは、なまやさしい場所ではないから優しさ求めて寄って来んなってことかも。かもかも。才能を必要とする場所が、そもそも優しいはずなんてないんだから。

 

手斧飛び交うってのは本来そういうことで、ピンでやっていこうとするなら、手斧くらいで怯むなってことで。手斧くらいでは怯まない、そもそもインディーズの闘士みたいな人がやたら跋扈していた場所でもあったんだけど、世代交代につれて場所もそこに集う人もルールさえ変わりつつある中で、昔のまんまではいられなくて。

 

取引先の意向がモロに反映される場所でもあると気付いてしまってもなお自由に、あるいは自由そうにふるまえる心臓の持主じゃないと、昔のまんまではいられない。

 

他者の経済活動の場(含む生活の場)を尊重できないのは、どう考えても反社会的で反市場的とも言えるわな。ミンシュシュギが機能している証左として、反社会的で反市場的な言動を敢えて表に出して演出するようなら、本当にもう終わってる。

 

終わっているものをなんとかしようとして、反社会的で反市場的なメディアの誰もが嫌がるお守役を、人為的に作り出そうとしても景気がいいからそうはいかない。不自然なことからは、みんな逃げ出す。

 

平均年齢23歳くらいの若い国は、のびしろがたっぷりあって羨ましい。若い国が欲しがりそうなものを質量ともに豊富に用意できれば、若い国の生き血を吸って年寄りの国だって生き延びれそうなもの。年寄りを食べて生き延びるのと、どちらも不健全ながら、どっちがいいんすかね。

 

お休みなさーい。