クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ただの日記

  • AlphaGoがさらに進化したAlphaGo Zero、強化学習でAlphaGoに100戦0敗
  • スペイン、法秩序回復のため、独立で揺れるカタルーニャ州自治権停止へ
  • 関東周辺で積雪、10月中旬としては60年ぶりの寒さ

対局相手さえ必要とせず、あとは勝手に強化学習で、AlphaGo Zero自身との対局を繰り返していたら、ごっつい強くなりましたとさって、それどんなギフテッド教育や。賢い子(AIだけど。。)のみ選別し、その後で隔離する方式は、知識欲がより強い人間にも応用したらいかんのか?

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あんまり大きなニュースではないけれど、今日もっとも脳内へぇボタンが乱打されたニュースは、ニュージーランドで9年ぶりに政権交代というもの。

 

ニュージーランドで総選挙があったのは、先月23日。

 

なのに今頃政権交代のニュースが流れるのは、与党が最大得票数を獲得して第1党となったものの、過半数には達しなかったから。得票数の順番は、与党・野党・最小勢力である第三党という順番。得票数の詳細は不明だけど、たぶん与党と野党の得票数は拮抗してる。

 

その結果どうなったかというと、最小勢力である第三党NZファースト党がキャスティング・ボートを握り、第三党が与野党どちらと連合を組むのか、選ぶのかで政権が決まることに。

 

その結果、第三党は野党との連合を選び、そういうわけで9年ぶりの政権交代が実現しましたとさ。

 

得票数の少ないもの同士が連合を組んで勝ち、もっとも得票数の多かった与党は敗れるとか。それ、どんな戦略ですか?と戦史研究家にでも聞いてみたい。

 

多数決で決めれば、禍根、不支持を表明した層の不満が残りそうな局面。一義的には数の多さ(最終的には数の多さがモノ言ってるんだけど。。)が勝利には結びつかなったところが、個人的には脳内へぇボタンが連打されたポイント。数は多くても勝てなかった、民主主義の不思議かな。

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割り切れない数だから起こったことで、二大政党制だったらこうはいかない。

 

二大政党制あるいは二極の最大のデメリットは、AとBが対立していたら、AとBの足の引っ張り合いが、永遠に続くところだと思ってる。

 

Aに負けたあとでBが次に勝つ、より多数の支持を得ようと思ったら、B自身の魅力をアップさせることももちろんだけど、Aの足を引っ張り続け、相手の戦力を損なうのも戦術のうち。だから、醜い争いを永遠に見せられることになる。アメリカとか、まさにそうじゃん。

 

強くなるためだったら、そうならざるを得ない面もあるけれど、ことが政治だったら強くなるより、“良く”なることの方がずっーと大事なんじゃないですかね。

 

得票数の多さを競うだけだったら、オセロの石を白から黒に変えるような、強引かつ横暴なことも行われてしまうしできてしまう。数の多さを競うために無理が横行するのなら、無理にかき集めた票が無効になる可能性もあるようにすればいい。という考えは、社会の複雑さを表しているようで好き。

 

AlphaGo Zeroは、ルールが決まった対局では無双。

 

でも現実には、対戦相手がひとりに決まっている局面は、競技以外ではあんまりない。複数かつルールも共有せず、時の運や地の利にも左右されることがほとんど。最強のポーカーAIが出たら、いよいよ人間の座もあぶねぇと危惧するところ。

 

ルールが決まった局面では無双だったら、ルールを変えられたらどうなんすかね。ルールメイカーこそ最強じゃないっすか。

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抹茶プリン。サクサクの最中の皮がうまうま。

ルールが変わった時に、人間が新しいルールに馴染むよりもはるかに高速で自己学習して新しいルールに馴染んで、誰よりもその分野に精通するのなら、使えそうなのはやっぱり先生役。

 

最高の教育は、たいていの場合高価。高価だから、誰にでもという訳にはいかない。

 

最強かつ最高の先生から学べるのは、きっと選ばれた人で、最強最高のAIに教えを請おうと殺到する人間の姿をデフォルメすると、宗教画ちっく。

 

最強かつ最高の教育を、多数に無償提供した時に起こる光景は、いまだかつて誰も見たことがない宗教画になれそうで、そっちの方が見てみたいやね。

 

お休みなさーい。