クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

銀行マンと独立系映画産業の蜜月を描いた『ハリウッドがひれ伏した銀行マン』見た

銀行マンと映画産業。

 

一見食い合わせの悪い両者がコラボしたら、どちらのビジネスも大変潤うことになったとさ。1980年代の独立系映画の隆盛を、金融面、お金の面で支えた人物にスポットを当てたドキュメンタリー。

 投資あるいは投機から融資へ

投資と投機の違いは直感的にわかるけれど、投資と融資の違いは直感的にはわかりにくい。一般的には投資、あるいは投機(つまり博打やな)と見なされがちな映画ビジネスに、融資の手法を取り入れ、資金回収と運転資金の借入を共に容易にする手法を編み出したビジネスマンが主人公。

 

オランダの中堅銀行に勤めるいち銀行マンが、なぜ映画ビジネスで成功することができたのか。を、彼の長女がインタビュアーとなって当時を振り返る趣向になっている。

 

長女がインタビュアーとなって、オランダ人銀行家フランズ・アフマンと交流のあった人々、アフマン本人あるいはその妻(つまりインタビュアーにとっての母親)も含め、ゆかりのある人々のインタビューで構成されている。

 

だからアフマンのビジネス面だけでなく、父親としての姿も映し出される、公私に迫った作品。ほんの時折映し出される“父親“としての姿が思いがけない感動を呼ぶので、家族ものとしても見られるドキュメンタリーになっている。

 

同時に、彼が金庫番として手掛けた『キングコング』のようなふっるーい映画も同時に映し出されるので、オールド映画ファンにとっても意外な発見があるかも。かもかも。ジェシカ・ラングなんて、久しぶりに見たよ。。

 

ハリウッドの有名スターが、我も我もと彼と仕事したがった

さてこのアフマンという人、オランダのナンバーワンでもない銀行から、ハリウッドでは超有名な金庫番になった人。

 

スーパースター、といっても当時のなので、今となってはさほどネームバリューがなかったりするマイケル・ダグラスケビン・コスナーも彼と一緒に仕事をし、スーパースターから逆にサインを求められていた。融資実行書へのサインの方が、より求められてたには違いないけれど。

 

ハリウッドで、スーパースターから熱心なオファーを受けるほど求められる人材となったのは、彼が映画製作に安心して取り組める、“プリセールス”と呼ばれる安全な資金回収スキームを作り上げたから。当時とては新しい手法で、だから重宝がられた。

 

メジャーと呼ばれる巨大映画会社に資金供与する金融機関はいても、独立系と呼ばれる小資本系新興映画会社に喜んで資金を提供する金融機関は、きっと今もそう多くない。

 

アフマンはニッチな市場を取りに行き、ニッチな市場での成功をステップに、勤務する銀行がクレディ・リヨネという国際的にメジャーな銀行に買収されても、金融界で生き残ることができた。クリエイティブ投資部門での責任者として。

 

脚本がすべてだった

映画製作というと巨額の資金が必要となりそうだけど、アフマンはそのすべての費用の面倒を見ていたわけじゃない。完成品と製作品を分け、いわば試作段階の製品の運転資金を提供していた。

 

試作段階で融資が実行されるから、完成品には超ヒット作、『氷の微笑』や『ターミネーター』あるいは『キングコング』に『ダンス・ウィズ・ウルブス』といった有名作も含まれるけれど、B級映画も多い。

 

ヒット作にはなりそうもない、B級映画にも資金供与の道を開いたことが大きくて、玉石混淆で900本もの映画に投資するなかで、映画を見る目も磨かれたのか。

 

映画のなかで、投資の決め手は何か?という質問に対しては“脚本がすべて”と答えていた。

 

そもそもアフマンは、教養ある家庭に育ったインテリ男性。品があった、オランダ人らしく威厳があったと彼を形容することばには、ハリウッドで活躍する業界人とは真逆の形容詞が並ぶ。

 

ハリウッドで金庫番として知られるとともに交友関係も派手になり、結局はそれが仇となって足元をすくわれるけれど、それでも金融家というラインは超えずにいた人。映画を愛しながら、最後まで映画産業そのものに染まることはなかった人だからこそ、きっと新しいスキームも生み出せた。

 

賄賂より会計報告書

ハリウッドの名士が集うパーティで、分厚い茶封筒を渡されたアフマンは、一体いくら賄賂をもらったのかと噂されたけれど、その実中身は会計報告書だった。

 

という、作中のエピソードが好き。

 

銀行家として十二分に成功を収めた人間が、少々分厚い札束を前にしたとしても、なびくわけがない。いかにも銀行家らしい、銀行家であることにプライドを持っていたアフマンらしいエピソードで、彼の人となりがよく現れている。

 

だから一緒に仕事をする人は選び、品がない人は嫌った。

 

品がないうえに、陳腐な脚本しか持ってこなかったら願い下げ。冷酷とも言えるそんな態度も、いかにも銀行家らしい。

 

成功だけを描かず下り坂も描いている

映画ビジネスに新しいスキームを持ち込み、映画産業を盛り上げた、アフマンの人生のハイライトともいえる前半部分もいいけれど、いろいろあって失脚したその後も味わい深い。

 

むしろ意外な感動は、人生下り坂部分に落ちていた。

 

インタビュアーがアフマンの実の娘、遅くに生まれた唯一の女の子であるところがポイントで、アフマンと交流のあった人々が彼女に率直に語るのは、アフマンが単なるビジネスパートナーを越えた存在だったから。

 

単なるビジネスパートナー以上の存在だったから、伝えるべきことを伝えるためだけに、彼らは語らずともよいことを語る。

 

ビジネスを越えた存在だったから、ビジネス目的では語らないし、語れない。アフマンが知られざる存在だったのは、そういう人物だったってこと。

 

時には忙し過ぎて、家庭を顧みる暇もなかったけれど、人生の下り坂ではちゃんと迎えてくれる、帰るべき家庭を持っていた人。ちやほやされて調子に乗ることはあっても、引き際は心得ていて、家庭や家族を大事にする、当たり前の人。

 

映画産業には“当たり前ではない人”もウジャウジャ居そうだけど、“当たり前ではない人”に大多数の“当たり前の人”の気持ちはわからない。

 

アフマンが関わった映画作品には、結果として後世に残る名作が多数含まれているのは、きっとそのせい。

 

アメリカ映画界が巨大産業に成長するなかで、当たり前で居られた人ももう当たり前では居られなくなり、きっと今は往時とは違うスキームが出来上がっている。

 

映画界といえば、監督やプロデューサー、あるいはアクターなどクリエイティブな人にスポットが当たりがちなところ、資金面から支える銀行マンにスポットを当てた珍しい作品。

 

今では巨大産業となったアメリカ映画界にも、まだ隙間があった。ほんの一瞬の、短いけれど濃厚な季節を切り取っていて、面白かった。

 

お休みなさーい。