クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

会うこともない人を、喜ばせてもしょうがない。

観光地生まれの観光地住み。

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観光地には観光客ねらいのお店と、観光客のために働く人ねらいのお店がある。一体どちらが“明るい方”なのか。今どきガイドブックには載ってない、隠れ家と言われるお店であっても大抵はガイドブックで紹介済みという現実を考えれば、明るいのは観光客にも知られてるお店。

 

観光客フレンドリーを掲げている場所は、観光客が気持ちよく過ごせる場所。どうしてわざわざ暗くてジメついていて、気持ちよく過ごせそうもない場所をめざす必要があるのさ。

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 メモ代わりにレシピをアップしようがおでかけ記録をアップしようが、見た映画や読んだ本や何かについて書こうと、自分でお金出して確保してるスペースで、何しようと自由でしょ。公序良俗に反しない限り。

 

料理に旅行にレビューに、あるいは新しい何か。専門ブログめざして何かに特化しようとしないのは、その気がないから。

 

量をこなせば必ず他の何かと比較するようになり、比較するようになれば、ここが足りないあそこがダメと、ダメ出しするようになる。誰かが作ったものにダメ出しして得意げになるような、未来図の持ち合わせはない。

 

書き残したいのは、よかったの気持ち。いつでも新鮮な気分で向かい合えるよう、摂取する量は多くなくていい。

 

ブログを書き続けていたら、ブロガーかアフィリエイターかライターをめざすかのような空気がイヤ。就職活動がわりにブログを書いてるわけでもない。暇人が、自分のために書き続けて何が悪いのさ。

 

ネットには口先、ことばだけで他人の人生に介入しようとする人が多過ぎる。うんざり。暇人だけど、自分が読みもしない、恩恵にあずかることもない何かのために、使う労力はない。

 

誰かを気持ちよくさせること、笑顔にすることは、簡単そうに見えてとても難しい。まずは自分の機嫌がよくないと、身近な誰かを喜ばすこともできるはずがない。

 

今日も悪くなかった(*˘︶˘*).。.:*で終れるよう、キレイやよかった、面白いことをコレクションしてる。し続けてる。やりたいのは、それだけ。

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大通公園の放水シーン。今日いちばん和んだ光景さ。)

 勝者のための歴史は勝者が勝手に書き換えていくんだから、それ以外の人間は、よかったことも悪かったことも、そのまま書き留めていくだけさ。

 

もはや好きなようには行動できない、自由な意思を制限される人生を選んでおいて、他人を身代わりにしようとしないで。自分のできないことを、他人に代行させようと目論まないで。

 

会うこともない人を、喜ばせてもしょうがない。

喜ばせ甲斐があるのは、私が機嫌よく過ごすことで笑顔になる人だけ。他人の不幸を喜ぶような人も、他者の人生を尊重しない人も、喜ばせ甲斐のある人リストには入ってない。知らね。

 

お休みなさーい。