クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

アーティストという人種は、やっぱり果てを可視化した姿

春節も近いせいか、外国人観光客の姿が目につく今日この頃。観光客で賑わうのは観光都市としては大変結構なことなので、カフェ難民となるくらいは甘受しますとも。

 

観たいような、観たくないような。尖りまくった感性を作品にぶつけたドキュメンタリー映画に関する記事を読んで、お騒がせアーティストについて考えてしまった。

 

元記事はこちら。

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海外のお騒がせアーティストはキョーレツ

アンナ・オデルという、スウェーデンでは悪い意味で有名なアーティストが居りまして。有名だなんてことも、今回初めて知ったわけだけど、その人の人生が壮絶だった。

 

要約すると、2009年に当時35歳の女性が飛び降り自殺をはかって精神病院に搬送。その後、自殺は狂言で一連の行為は美大生であった彼女の卒業制作のためのパフォーマンスであったこと。テーマは神経衰弱・精神疾患で、事前に学校や警察とも打ち合わせ、了承済済みで、特に警察からは違法性がないことを確認済みで決行したパフォーマンスだったことが判明。

 

感じ悪っ!そう思ったのは、スウェーデン社会やマスコミも同じだったようで、スウェーデン国内で「アート無罪で許されるのか」と話題になり、アンナ・オデルはお騒がせアーティストとしてすっかり有名になった。

 

アンナ・オデルには精神病院に入院した過去があり、その経緯から精神医療に疑問と憤りを感じていた。その憤りが反映されたパフォーマンスはマジメなもので、専門家の間では一定の評価を得たらしい。ただし、一般の人にとっては単なるお騒がせアーティストという認識。

 

お騒がせは一度では終わらない

そのアンナ、数年後にはまた新たな作品、映画を発表し、著名な賞を受賞しただけでなくヴェネチア国際映画祭でプレミアム上映と、国際的にも評価される。

 

英語でもないから内容は掴みにくいけれど、映画のテーマは「いじめ」。小学校の時から9年間いじめられていたアンナは、この作品でもやっぱり自身の体験を元に、いじめの問題に斬り込んでいく。日本でも公開されたらしいこの作品、もちろん未見なので、観た人のレビューを参考にした。

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20年ぶりに開かれた同窓会で、自身のいじめ体験についてスピーチするアンナに同窓会はシラケまくる。ところがこの映画も凝っていて、その同窓会自体がフィクション、作り物で、実際はアンナ抜きで同窓会は実施ずみ。彼女には声さえかからなかったというオチ。

 

ここからがこの映画のさらにすごいところで、アンナはかつての同級生を訪ねてまわり、自分の作品について、ひいてはアンナをいじめたことについてどう思っているのか、問い詰めるんだな、20年前のことを。おおこわ。

 

いじめられたことについて、被害者の私はこう思うというスピーチを用意し、それに対して加害者のあなたはどう感じるのかと聞いてまわり、その過程も映画として公開しているらしい。未見なので、その辺はレビューに頼るしかない。

 

1995年には精神疾患を患い精神病院に収容されてもいるアンナ。いじめが遠因にあるのかと思えば、アンナの作品にはすべて自身の経験が投影され、きっちりその過去を作品に昇華、不幸な体験を表現に変えていく。アンナに限らず、不幸な体験を表現に変えていくパフォーマー、好きじゃないんだよね、個人的には。

 

こんな不幸な目に遭った、大変な経験をした。表現するのはまったく構わない。ただ赤裸々な魂の叫びには、もうあんまり心が動かされないだけで。あっちでもこっちでも、叫びまくってるから。

 

スマートニュースの人気ランキング、自分が見てるランキングがどの程度正確なのか謎だけど、犬・猫にカワイイものが大人気。暇つぶしの王道も、ゴシップからカワイイにシフトしてる。期せずして目にするドギツイものに、辟易してるのはきっと自分だけじゃない。

 

対象に愛が感じられないドキュメンタリーは、心をざわつかせるだけ

ドキュメンタリー映画を時々見る方。自分が好きなドキュメンタリーと違って、一連のアンナの作品のどこが気に食わないのか。対象に愛がない、愛が感じられないからイヤな感じを受ける。

 

去年「札幌国際短編映画祭」で、「ママが幸せなら、みんなハッピー!」というドキュメンタリーを見た。娘が自分の母親を登場させたセルフドキュメンタリー作品。恋多き女性であった母親の半生を母親自身に振り返ってもらう趣向。インタビュアーが娘のせいもあって雰囲気ほのぼの。恋多き女性だっただけに、父親ひとすじではなかった母親に、娘としては複雑な心境だったことも赤裸々だった。

 

母親からは愛情もそそがれたけど、同時に思春期に複雑な人間関係を押し付けられた娘は、いわば被害者でもある。

 

娘=被害者が、母親=加害者にインタビューという側面もある作品。あらアンナ・オデルの作品と少―しだけ似てる。ほんの少しだけ。加害・被害の関係性であっても、アンナのような疎外は味わってないから母親に対してはほんわか以上の愛情が感じられる作品だった。

 

いじめた相手や、病院に収容中に拘束した相手に好感を抱けるかというと、多分無理。アンナに誰かの好意を感じる余裕がなかったのかもしれないし、本当にただ排除しかなかったのかもしれない。

 

アンナの作品からは、登場させた相手への愛は微塵も感じられず、それがつまりアンナの心象風景そのもので、対象に愛がないからこてんぱんにギッタギタに切り刻める。

 

アンナの恐ろしいところは、排除、見えなくして問題を解決してしまったつもりになっていても、それを許さない執拗さを見せたところ。

 

愛が感じられない作品を発表し、そっぽ向かれても、これ見なさいよと迫ってくる。疎外、見ないで済ますには無視できないほど大きな存在となって、かつて彼女に後ろ指を指した相手みなに、「私を見よ」と迫ってくる。今後どんな作品を発表するのか。彼女のような「果てを可視化したアーティスト」は好きじゃないけど、メジャーシーンで彼女がどんな作品を撮るのかは興味がある。

 

一般公開は厳しそうだから、ネットフリックスやHuluにアマゾンプライムに期待。

 

お休みなさーい。