新しい言葉を覚えたので、メモも兼ねて。
BSプレミアムでやってた、『画家・藤田嗣治が戦争画にこめた思い 英雄たちの選択』を見た。藤田嗣治が描いた「アッツ島玉砕」を肴に、数人の専門家があーでもないこーでもないと話し合ってた。画家藤田や賛否両論ある戦争協力画「アッツ島玉砕」について、より深く知りたい人向き。
「アッツ島玉砕」が、なぜ非難されたのかよくわかってない。現代のもっと感情に訴えてくる、戦争を描いた映画や映像作品を見慣れていると、「戦意高揚」を意図したと言われてもピンとこない。同時代がどうであったかについて疎い現代人の目からみると、迫力はあってもわりかしマイルドにも見える。本物の絵に対峙したら、受ける印象はまた別かもだけど。
「芸術は正直な感動がつく壮大な嘘」「芸術は、何を表現するかより、いつ表現するかの方が大事」「藤田は世界制覇の方が日本制覇より楽な人物」とか、思わずメモしたくなる名言が次々と飛び出すから面白かった。司会の磯田道史氏のしゃべりが特に面白かった。専門家としてゲストに呼ばれてたのは、一ノ瀬俊也氏、中野信子氏、高橋源一郎氏、三浦瑠麗氏の4人。小説家の高橋源一郎氏以外、初見の名前が並ぶ。
あなたが同じ立場だったら、藤田のように戦争画を描きますか?というゲストへの問いかけが特に印象的。
大虐殺のようなテーマは、大きく感情を揺さぶってくるテーマ。芸術を生業とする人なら、大きく感情を揺さぶってくる出来事を前に、表現欲を持ったとしても不思議はない。
描かざるを得ない立場に立たされた時、何をテーマに描くのかでも表現する人の個性が表れる。誰がどう見ても戦争反対、人の死に反対と、一見してわかるものを描くのも個性。ただしそんな絵は検閲に引っ掛かって公にはされず、「世界のどこかで掲げる小さな旗」でしかない。
他者を圧倒する傑作をばばーん!と描いて、検閲も容易にすり抜けつつ、それでいて当初の目的を大きく逸脱する。真意は本人にしかわからず、のらりくらりと言い逃れができるようなものを描く。それも個性。
あなたは描きますか?という問いかけの中で出てきた「リスキーシフト」ということばが印象的。テーマに対して賛成でも反対でもその立場を鮮明にして、自分が掲げた旗に正直に真摯にのめり込むほど、事態は過熱してゆき先鋭化する。賛否両論が巻き起こるほど、みながその事態を知ることになり、過熱した事態が身近になる。身近になることは日常に入り込んでくることだから、日常が侵食される。いったん浸食を許した後は、インフルエンザウィルスのように、感染力が強ければ勝手に爆発的に拡がっていく。
リスキーシフトとは、集団の考えが危険な方向へ向かっていくことだってさ。
同時代の谷崎潤一郎は、発禁処分を受けつつ発表するあてのない「細雪」を書いていたそう。「細雪」は、芦屋を舞台にした裕福な四姉妹の華麗な日常絵巻。戦争の影なんかどこにも見えず、観劇や花見や紅葉狩りに興じる姿を、美しいことばにのせて描いている。同時代から見れば腑抜けに見える反面、戦なんか知るもんかという強い意志のあらわれにも見える。熱狂には感染しないという、強い意志が垣間見える。真意は知らんけど。
もしも自分だったらどうするか。
花とかきれいな景色、あるいは子どもがわきゃわきゃ楽しげに遊んでるようなものを描くだろうなと思う。猛々しいものも野蛮なものも、負の感情しか呼ばないようなものもキライだから。猛々しいものも野蛮なものもアホクサと思う、武器を捨てて、遊びに行こうと思えるようなものを描く。
六花亭札幌本店での喫茶室における、クリスマスまでのお楽しみ。16時を過ぎるとキャンドルの灯りだけになる店内。
キャンドルの灯りはステキだけど、暗すぎて文字も読めないという大誤算も。。ステキな思いつきも、やってみなきゃわからない。
(暗すぎて、いちごのショートケーキもいまいち美味しそうに見えない)
きれいなものや美しいもの、嬉しいや楽しいのストックに、これからも励む。
北海道立近代美術館では、藤田がデザインした「平和の聖母礼拝堂」と同じ技法で制作されたステンドグラスの展示も始まった。近々見にいこっと。
お休みなさーい。
細雪について過去に書いたエントリーはこちら。