クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

インサイド・ヘッド見てきた

感情を映画というフォーマットに載せて、世界中の人のハートを掴みにいくピクサー。そのピクサー自身は「感情」をどう捉えているのか。そこに興味があって見てきた、『インサイド・ヘッド』。
 夏休みも終わってお子様の姿が消え、すっきりした映画館で見てきた。お子様は消えたけど、もっと小さなちびっこと並んで鑑賞する羽目になったので、緊張した。ちびっこ専用クッションを座席の上に重ね、チョコンと置物のように座ったせいぜい3歳くらいの子。ピクサーの映画は本来お子様のためのものだから、リアルちびっこの反応をベンチマークにしながら鑑賞してきた。
 
 11 才の女の子、ライリーの頭の中に存在する5つの感情たち---ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。彼らは、ライリーを幸せにするために 奮闘の日々。だが、ライリーを悲しませることしかできないカナシミの役割だけは、大きな謎に包まれていた…。(映画公式サイトより引用)

映画が始まってすぐ、賛否両論あったドリームズカムトゥルーの主題歌が流れる。主人公ライリーの幸せを願った歌。この映画のテーマも、ライリーの幸せを願ったものなんだと念押しするよう。わかりやすくていい。
 
 
ミネソタという自然豊かな土地で育った主人公ライリーは、両親にたっぷりと愛情を注がれ、友人にも恵まれている。アイスホッケーが得意で、ひねくれたり曲がりようのない環境でスクスクと育っていたライリー。ところがライリーパパの仕事の都合で大都会サンフランシスコに引っ越すことになり、ライリーの世界は一変する。
 
 
環境が変わる。友達も居ない。ライリーの両親も新しい環境に馴染むのに精一杯で、ライリーに細やかな愛情で応えることができない。ライリー、ピーンチ。し かもライリーの脳内も大ピンチに見舞われる。ヨロコビとカナシミ、ライリーの感情を司る5つの感情のうちの二つが、どこかに行ってしまう。ヨロコビとカナシミを無くしたライリー、一体どうなっちゃうの!?という感じでストーリーが進んでいく。
 
 
ライリーの脳内にある、5つの感情が常駐する場所、司令部の描き方がこの映画で一番面白いところ。
 
 
ヨロコビがリーダーとなって、カナシミ・イカリ・ムカムカ・ビビリを動かしていく。ライリーがいつもハッピーで過ごせるように、負の感情をコントロールす る。ライリーがプレッシャーを感じるような場面では、緊張をほぐすために過去の成功体験を想い出させるよう努めたりして。健気なんだ、ヨロコビが。
 
 
11歳の女の子だったら、いつも笑顔で居て欲しい。
 
 
ライリーの脳内指令部で、ヨロコビがリーダーになっているのはそういうこと。そのヨロコビが、カナシミとともに司令部から放り出され、何とかして司令部に戻ろうとするストーリーと、ヨロコビを忘れたライリーのストーリーが同時進行する。
 
 
ライリーの中から、ヨロコビが失われる。ある感情が失われる時、人の脳内で何が起こっているのか。ものすごーくわかりやすかった。
 
 
禍福はあざなえる縄のごとし。あるいは感情が死ぬ。言葉にすればたったそれだけのこと。その状態を、言葉を使わずに表現してた。
 
 
何とかしてライリーの脳内指令部に戻ろうとする、ヨロコビとカナシミに手を貸すのが、ライリーの”イマジナリーフレンド”ビンボンというキャスティングが、 またステキ。ピンチを救うのはイマジナリーフレンドで、イマジナリーフレンドは、ピンチを救うために存在するという、ピクサーからのメッセージっぽい。
 
 
ついでに、いつもニコニコ上機嫌でいられて当たり前の小さな世界から、もっと大きな世界に放り出されても、やっぱりニコニコ上機嫌でいようよという、メッセージでもあるかなと思った。
 
 
環境が変化するとヨロコビが失われて、カナシミ・イカリ・ムカムカ・ビビリが幅を利かせるようになる。大人になるにはある種感情の割り切りが必要で、割り切りと共に無表情になったりあるいは愛想笑いを覚えたり。そのうち本当にヨロコビを忘れてしまう。
 
 
そうじゃなくて。ヨロコビとともに大人の階段登って行って、嬉しい楽しい大好きな気持ちを別の誰かに注いで、笑顔の人を増やそうよ。
 
 
幸せになるためには誰かに愛されることも大事だけど、結局のところ自分を幸せにできるのは自分だけ。脳内でいつもヨロコビが活性化するための条件、自尊感情の育て方、なんてのも伝わってきた。
 
 
映画にかぶりつきだったちびっこと違って大人なもので、つい余計なこと考えながら見てしまった。DVDが出たら、もう一度見たい。予断入り過ぎてないか確認したい。感情の描き方や捉え方が、とにかく面白かった。
 
 
ドリームズカムトゥルーの歌も、その後に続くショートムービーも。お子様の集中力考えたら、最後まで飽きさせないための工夫として、良かったんじゃないかな。躾けの行き届いたちびっこだったのか、並んで鑑賞することになったちびっこは、最後まで飽きて騒いだりすることなくかぶりつきで見てた。
インサイド・ヘッド (吹替版)

インサイド・ヘッド (吹替版)

 

 お休みなさーい。