クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

世の中からイジメはなくならないけれど、特定集団からのイジメはなくせる。

浴衣姿でそぞろ歩く人を、たくさん見掛けた昨日。北3条広場では、さっぽろ八月祭が行われてた。夏真っ盛りな感じでイイね。

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(北3条広場に敷き詰められていた布。趣旨はよくわからないけど面白い。)

探せば楽しい面白いことに事欠かない中で、こっちとこっちの記事に触発されて、面白くもないことにもちょっとだけ。

business.nikkeibp.co.jp

anond.hatelabo.jp

(この記事に関する感想は、集団を「割る」人間は、優秀でも何でもないだろで終了。)

こんなレビューも書いちゃったしね。

waltham7002.hatenadiary.jp

 

世の中から盗みがなくならないのと同じレベルで、イジメもなくならないとは思ってる。同調圧力の強い集団の中に居ると、ストレスもたまりやすくなる。その中での異分子は攻撃対象になりやすく、ストレスのはけ口にされる。攻撃された方がイジメの被害を訴えたとしても、訴えられたことを逆恨みし、攻撃を繰り返すことが生き甲斐になってしまう残念な人もいる。
 
 
” あいつ嫌いだ”という好き嫌いは、イジメに繋がりやすい。好き嫌いは、運命などという耳触りのいい思考停止ワードで説明するよりも、単に倫理観の違いで説明がつく。自分ならやらない・口にしないことを、躊躇なくやってしまう人に好意は持ちにくい。そして、倫理観の違いは主に環境要因からくるものだから、環境が変われば、好まれる倫理観も変わる。
 
 
バックグラウンドが違えば違っていて当然の倫理観を擦り合わせるため、学校や会社のような場所では研修によって、擦り合わせが行われる。セクハラ・パワハラなどのハラスメントやイジメなどの、集団にとって好ましくない行為について、これはアウトと共通解が与えられる。
 
 
ブランドイメージが確立していて、自分達の果たす役割に自覚的な集団ほど、ブレない倫理観を持っている。自分達の倫理観を揺るがす存在を、そのままにはしておかない。ブレるから。外から見ても、中の人からしても、何が正解なのかわからない状態は、マイナスにしかならないから修正される。

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 会社のように目的が明らかな集団であれば、倫理観もわかりやすい。最終的には社会のためであっても、まずは利益を出せないと、会社ごっこにしかならないから。名門校や私立校など、ブランドイメージが卒業生の進学先や就職先に結びついている集団の倫理観もわかりやすい。
 
 
営利団体のようにはっきりとした営業目的も持たず、”人類愛”や”人格形成をめざす”みたいな曖昧な倫理観しか掲げることのできない集団の倫理観は、しばしばブレる。元々が曖昧で漠然とし過ぎてるからブレまくる。倫理観が定まらないから、ブレた要因や原因についても処分が曖昧で、曖昧なまま歳月だけ重ねてどうしようもなくなる。

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”いじめは、いじめる側の人間にとっては、ストレスの発散であり絆の確認であり娯楽” ~「ちょっといい話」としてのイジメより引用~。
ボーダーを越えるか越えないか。俺たち私たちの仲間になるかどうかの試金石で、通過儀礼にさえなっている。通過儀礼にイジメ的要素を必要とする集団の、存在意義って何なのか。存在意義がわからない胡散臭い集団は、世の中からも顧みられない。
 
 

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目的がはっきりしていて具体的な集団であれば、イジメの発生リスクも少なくて、問題があっても修正されるスピードも速い。わかりやすさ、大事ね。
 
 
さっぽろ八月祭、高度経済成長期のニュータウンでお祭りが始まった時も、こんな感じだったのかと思うような盆踊り大会だった。カッコつけ過ぎないところが、地元感いっぱいでよし。BGMは『地元に帰ろう』。地元の町内会はヨソモノに対して敷居が高くても、商業主義主導だと敷居も低い。
 
 
次回はわかりやすくステキなお店の紹介エントリーでも書くつもり。
 
 
お休みなさーい。