いじめ、なくならないっすね。
一瞬ギョッとするタイトルも、検索流入を意識してのことと思えば納得。いじめをきっかけに生まれる憎しみや恨み、心の傷との向き合い方を説いた、『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』を読んだ。
大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル (岩波ジュニア新書)
- 作者: 豊島ミホ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/05/21
- メディア: 新書
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他人から理不尽な仕打ちを受けて心の傷が直らない時、「大きらい」「リベンジ」で検索する人、絶対いそう。そんな人に届けばいいなと思う本。
書いた人は、『底辺女子高生』や『檸檬のころ』などの著作もある元小説家で現ライターの豊島ミホ。すこぶる居心地の悪かった自身の高校時代を『底辺女子高 生』としてエッセイに昇華しながらも、その影響から完全に抜け出すまで10年かかった、心の軌跡をぶっちゃけてる。きれいごとを並べただけじゃないから、 腹落ちする。
タイトルが刺激的なので、壮絶ないじめ体験が綴られているかと思いきや、身体的暴力行為とは無縁だった。俺の方が、私の方がもっとひどい体験をしている。そんな人もいるかもしれないけれど、言葉の暴力やからかい、無視といった行為にほんの2年晒されただけでも、心の傷が癒えるのに10年はかかってる。逸失利益がハンパない。ここ、特筆ポイントその1。
いじめや理不尽な仕打ちの被害者に対して、「忘れなさい」と諭す人がいるけど、「忘れられないのに忘れようとする」「赦せないのに赦すよう求められる」から、心身のバランスが崩れる。傷つけた側が35人に傷ついた側1人だったら、”傷ついた側の人間が環境への適応を求められる(本文より引用)”状況は理不 尽だとバッサリ言い切っていてスッキリ。ここ、特筆ポイントその2。
赦せない相手は赦す必要がない。やり返したい、見返してやりたいという気持ちも肯定してくれる。
でも、大きらいなやつを見返してやりたい、仕返しがしたいだけでは、本当のリベンジにはならない。そこをゴールにしている限りは、恨みつらみや心の傷から自由になれないことも書いている。
大きらいなやつと同じ土俵、同じルールにいるうちは、いつまでたっても心の平安は訪れない。ここ特筆ポイントその3で、個人的にはこの「私のルールとあなたのルールは関係ない」、自分ルールを強く持つことをおススメしたい。
大っきらいなあいつ、大っきらいなあの女と同じ空気を吸うなんて耐えがたい。絶対にイヤ。それでOK。
口惜しかったら不幸になっちゃダメ。何があってもどれほど理不尽な目に遭っても、自分のそばにずっと居てくれる、自分を大事にしてくれる人のためにニコニコ上機嫌で過ごすこと。大きらいなやつに対して、これ以上のリベンジはないから。
いじめが問題となるたびに、いじめの根絶について議論されるけれど、たぶん今後もいじめがなくなることはない。人口減少時代に入るんだから、どのコミュニ ティや組織でも、これからは人が減る。
人は減るのにSNSなどを通じて、誰が何をしてるかが丸わかり。毎日が祝祭みたいな大都会ならともかく、過疎地や田舎あるいは小集団で、悪口やゴシップが娯楽ナンバーワンの座から降りることもない。
いじめは必ず起こるものなんだと思って、受けた心の傷をどう癒すか広く周知する、あるいは心に傷を負った人がいることを前提とした社会にスイッチしていく。くらいの気持ちで居た方がいいと思ってる。
人 が減っていく中で、地域あるいは学校を盛り上げようと真面目にがんばる人が、意図せずいじめの加害者になることもある。より良くを目指して先頭に立ち、真面目にがんばっている人に対して悪口は言い辛い。言い辛いけれど、みながみな、地域のため、みんなのため、公のためと私心なくがんばれるわけでもない。
悪口は言えない、でもただがんばってるだけもイヤねとなった時、がんばってないように見える誰かに矛先が向く。全体主義の中の異分子に、攻撃が集中する。一丸となってがんばろうが裏目に出るのはそんな時。
攻撃された異分子、他の人ほどみんなのためにがんばれない人は、攻撃された後に何を思うのか。
自分を害したみんなのため、公のために負う義務は何もないと個人主義になる。人口が減りつつある「ひとり社会」の中で、心理的にも「おひとり様」の人が増えていく。ひとり社会の中で家族や友人のサポートを受けられない、心理的にもおひとり様が増加する社会はどんな未来か。
ただ心の傷から立ち直れない人多数の社会が待っているだけ。
と いうことで、ほんの気晴らしのつもりだったいじめの加害者は、社会に大きな穴を空けていることになる。がんばって税金たくさん納めて、社会に空けた穴をせっせと埋めるべし。人間関係のつまずきがきっかけで心の傷から立ち直れず、満足に働くことさえできない人が増えるってことだから。
著者は小説家としての筆を折り、今はライターをされているとか。経済的な良し悪しはわからないけど、もったいない。上流夫人のてすさびみたいな、出版社の新刊刊行数を満たすためだけに出版される、心に何のひっかかりも残さない美辞麗句を並べただけの女流小説家(特定のモデルがいるわけではないです、念のため)の文章より、きっともっと面白いものが書けそうなのに。
上か下かと常に相手を値踏みし、空気を読み合う人間関係がシンドイ人にもおススメだった。
お休みなさーい。