クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『私の少女』見てきた

7月4日はアメリカの独立記念日にして、シアターキノの23歳の誕生日。だからというわけでもないけど、『私の少女』見てきた。世間では『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』が大人気。大人気過ぎて、座席獲得競争に敗れる日々。見たい時にストレスなく見れるって大事。
 
 
韓国のさびれた漁村を舞台に、限られた登場人物の人間関係をサスペンス風に描いたこの映画、もうねストーリーの大勝利。この設定にこのストーリーを思いついた時点で、面白くない訳がない。
 人を愛することをあきらめていた“私”は少女を守るために心を許し、無力だった幼い“少女”は初めて誰かのために行動をおこす。ありのままの自分を認めてくれる人がいれば、人はきっと強くなれる。ふたりが背負わされた過酷な運命から一歩前へと踏み出す、希望の物語。
(『私の少女』公式サイトよりhttp://www.watashinosyoujyo.com/
 
人を愛することをあきらめていた”私”は、訳ありでソウルから左遷されてきた若き警察署長の女性警視ヨンナム。挫折したエリート女性をペ・ドゥナが演じて る。無力だった幼い”少女”は、家庭内だけでなく、学校でも暴力に晒され日常的に虐待に晒されている14歳の少女ドヒ。『冬の小鳥』に続き、複雑な内面を 持つ少女をキム・セロンが演じてる。この二人の女性を軸に物語は進み、そこにドヒの粗野な継父ヨンハが要所で絡んでくる。
 明るい感動を呼びそうなあらすじと違って、見た後には苦い、後味の悪さも残る。見てはいけないものを見たような、後味の悪さがこの映画のいいところ。
 
 
建物だけは韓国風だけど、水田が続き、年寄りの姿しかなく、産業はあっても働き手がいない状況は、きっと日本の限界集落でもお馴染みのもの。閉じた人間関係、クローズドサークルで起こる”事件”は、見て見ないふりをされるか、無かったことにされる。時には警察といった公権力をも抱き込んで。明らかにできる のは、”外”から来てやがては去っていく人間だけ。
 
 
左遷されてきたエリート女性ヨンナムに、ある事情さえなければ、もっとストーリーは単純だった。
 
 
母性愛と、性愛にも通じる愛情の境目を、赤の他人はどうやって見分ければいいのか。ヨンナムが異性愛者だったら母性の発露で片づけられることも、そうではなかったから、話が素晴らしくややこしい方向へと転がっていく。
 
 
一度抱いた疑いを、他人はそう簡単に捨てたりしない。ベッタリと張られたレッテルは、そう簡単に剥がれることはなく、剥がれることはないから、安心して塗り重ねられる。
 
 
いわれのない虐待を受け続けた少女ドヒは、生存本能だけを異常発達させた子。小さな村、クローズドサークルの中で、謂われなき虐待を受け続けることをシステ ムとして背負わされ、小さな村にいる限りその宿命から逃げられないことを知っている。だから、どれだけ殴られようとドヒは抗議することもない。声を上げることは無駄だから。
 
 
ドヒを殴りつける粗 野な継父ヨンハは、村で唯一ともいえる若い働き手で、村のために労働力を調達する、村にとっての大恩人。妻には逃げられ、心を許せる友人がいるわけでもな く、酒に逃げる日々を送るのがヨンハという男。ドヒを殴るのもストレス解消の一環で、ヨンハのストレス解消を見逃がすのは村のためでもあるから、ドヒを殴 るヨンハを村の人は誰も止めない。黙認してる。
 
 
ドヒは、村がシステムとして機能するためのいわば生贄、あるいは人柱で、人柱として捧げた以上、その悲鳴を村の人が聞くことはない。ドヒの悲鳴が届くのは、外の人間にだけ。
 
 
ドヒが異常ともいえるほどヨンナムに懐くのも、彼女が外の人間で権力者だから。生存本能だけを異常発達させたドヒは、ヨンナムならドヒを救い出せると素早く見抜く。見抜いた後の行動は素晴らしく早く、自身に貼られた”暴力の被害者”というレッテルを利用して着々と障害物を取り除いていく。ヨンナムとの明るい未来のために。
 
 
ドヒは、あどけない少女の一面も持つけど、この子は結構怖い。暴力に晒され続けた人間が獲得するのは、歪な強さであることを見せつけてくる。物真似が上手なのは演技力の達者さの証明で、憑依とも呼べる達者さで、”こう見られたい私”を巧みに演じ分けて恐い。
 
 
ドヒがシステムのための人柱・犠牲者なら、ヨンナムは、システムから弾かれ続ける永遠の異端者。
 
 
男性社会の警察機構で、若くして警視に登用されたヨンナムは、男性社会の中の異端者。もしも彼女が異性愛者だったら同志として快く迎えられたかもしれないけど、そうではないヨンナムには異端者の中の異端者として、一生異端者のレッテルが付きまとう。何かあればそのレッテルが災いを呼ぶだけ。
 
 
一度は見捨てようとしたドヒを、結局ヨンナムは見捨てられない。
 
 
永遠にシステムから弾かれ続ける者同士が手をつないだ時、そこにあるのは母性でもなければ性愛につながる愛でもなく、ただ同類への愛にしか見えなかった。小さな怪物を人へと成長させるおまじないは、「君だけじゃないよ」という、同類からの愛情でしかないのかも。
 
 
オールタイムベストに『ラブ・アクチュアリー』が入る人間にとって、決して見て爽快感を覚える、楽しい映画ではなかった。でも『ラブ・アクチュアリー』とは真逆、対極にあるような手法を使いつつ、言わんとするところは結局同じ。使ってるコードが違うだけ。
この感想を読むことがなければ、アンテナに引っかかる事もなかった映画。面白かったよ。
 
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お休みなさーい。