クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

『パリよ、永遠に』を見てきた。

ほぼおじさんというか、おじいさん二人だけで繰り広げられる、第二次大戦末期のパリを舞台にした映画『パリよ、永遠に』を見てきた。
原題は『Diplomatie』で、外交の意味だとか。

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国会中継、あるいはたまーに目にする国際会議でも、老獪な政治家同士の駆け引きは、ドラマのワンシーンのようで見応えがある。その駆け引きを、第二次大戦中最大の事件パリ解放を目前とした、後には引けない状況に持ってきたもんだから、そりゃ面白くなる。
エッフェル塔も、オペラ座も。ヒトラーはすべてを燃やし尽くしたかった。しかし、パリは守られた。そこには何があったのか。パリの破壊を命じられた男VSパリを守りたい男。運命の一夜のスリリングな「駆け引き」に一瞬も目が離せない。(フライヤーより)
 
見始めてすぐ、
・映画というより舞台劇を見てるよう
・遠い昔に読んだ『パリは燃えているか?』が、思い出して~と記憶層をツンツンしてきた
 
直感は正しくて、『パリは燃えているか?』の白眉ともいえる部分を、一夜の出来事に凝縮した舞台劇が原作だった。

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ノンフィクション『パリは燃えているか?』1965年出版
映画『パリは燃えているか?』1966年公開
舞台『Diplomatie』2011年初演
映画『パリよ、永遠に』2014年公開
 
この順番。元々はパリ解放までの4週間を描いた原作を、たった一日に凝縮している。
 
 
連 合国軍によるパリ解放が目前に迫った、パリのホテルを主な舞台にストーリーは進む。パリ中心部に位置するこの部屋の主は、ナチスドイツのパリ防衛司令官 ディートリヒ・フォン・コルティッツ。三代続く由緒正しきドイツ軍人だから、要職にあってもヒトラーとは政治的見解は一致してない。
 
 
花の都パリが炎上するかどうかは、パリの破壊を命じられた、このコルティッツ将軍しだい。その将軍のもとを、パリで生まれ育ったスウェーデン外交官ノルドリンクが訪れる。パリを炎上させないために、守るために。燃えてしまえば、花の都パリは永遠に失われてしまうから。
 
 
当初は頭の固い頑固爺いにしか見えない、コルティッツ将軍。ノルドリンクのあの手この手の懐柔にも頑として応じない。難攻不落とも思える人物をどうやって翻意させるのか。外交官の腕の見せ所が、映画の見所でもあった。
 
 
説得されまいと理論武装で固めた相手を、どう攻略するのか。良心に訴えれば、良心でもってはじき返される。常識と良心の人を、なめちゃいけない。後々まで尾を引く、ある政治上の重要な出来事を決めるポジションにある人は、簡単に説得なんかされない。
 
 
高潔さと公正さに裏打ちされた人の強さ。貧乏くじを引くことになっても、守りたいものがある人の強さ。どちらかを選べばどちらかが滅ぶ。責任の重さに応じて、意思決定も複雑になる。複雑な状況を複雑なまま見せ、複雑な状況に対峙する強さについて、つい考えた。
 
 
味方に背いて文化や文明を守るのか。文化や文明を守って敵に誉めそやされるのか。複雑さについて思いを馳せることもない人は、簡単に石を投げる。
 
 
コルティッツ将軍を讃えることは、同じ状況にあって違う選択をした人の名誉を汚すこと。戦後のコルティッツ将軍は、同じドイツ軍将校からは忌み嫌われたとか。文化・文明を守る決意をした、俺たちの仲間スバラシイとはならないところが、人の世の複雑さなのさ。
 
 
両手両足をしばられ、どっちに転んでも非難されること間違いなし。その状態で、何かを選ばれることを迫られ、その責任から逃げなかった。おじいさんフェチというより、そうした複雑な状況に対峙して解を出す人フェチだから、面白かった。『パリは燃えているか?』とは、また違う視点から「事実」を眺められたとこも個人的収穫ポイントでよかった。