南フランスの美しい片田舎を舞台に、高慢ちきエレガンスばばあとワンマン頑固おやじが大人げない文化闘争を繰り広げる、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』を見てきた。
ミシュランの1つ星フレンチ・レストランのオーナーであるマダム・マロリーと、その向かいでインド料理店を営むインド人一家の長(=パパ)による大人気ない争いが、もう最高におかしかった。
一見ハートウォーミングコメディだけど、多文化共生によって変わる世界の、いい面と悪い面の両方を描き、それでいて明るい未来を感じさせてくれる、素晴らしいラストが待っていた。こういう希望に満ちた作品大好き。
ネタバレにはなってないと思うけど、内容には触れてるのでこの後は折畳み。興味のある人だけどうぞ。
格式高い名門フレンチとにぎやかな庶民派インド・レストランー何もかも対照的な2つの店は、食材やお客をめぐって衝突を繰り返す。その解決の鍵を握るのは、 インド人一家の次男で”絶対味覚”と亡き母から受け継いだ”魔法のスパイス”を自在に操る、天才料理人のハッサンだった。(フライヤーより引用)
格式あるレストランの経営者だけあって、ハイヒール姿も板についたキャリア・エレガンスな装いが、とっーてもステキだった。こんな風に年取りたいわ。
マダム・マロリーは、洗練されたフランス文化を体現したような人。そんな彼女とバトルを繰り広げるのは、不幸な出来事が元で故国インドを追われ、イギリスを経てフランスにたどりついた移民一家の長。パパとしか呼ばれてなかったので名前は知らない。
互いにメンツをかけていがみ合う、新旧の文化を背負った二人。そんな親たちをよそに、その息子であるハッサンは、洗練された文化に着々と馴染んで才能を開花させていく。
当初は料理人を自称していたハッサンの成長もまた、この映画のキモ。自らを料理人と呼ぶかシェフと呼ぶか。どう定義するかで運命も変わるもの。
高潔さに支えられた高慢には、見る者の頭も自然と下がり、傲慢さに支えられた高慢は、単に醜悪なだけだった。
本当に高いプライドは、人を謙虚にさせる。
高慢ちきエレガンスばばあから高慢さが消えた時、そこにいたのはカワイイおばさまだった。カワイイおばさま相手だと頑固親父も、一人の男性としての素顔をのぞかせる。
この映画、1つ星レストランが舞台なだけあって、星の行方も大事なポイントだった。ついでにそこにはもうひとつの意味、スター誕生の「スター」もかけてるんじゃないかと勝手に推測。
あるジャンルを引っ張っていく、その人の存在によって業界が一気に湧き立つようなスター。
見終ってから気が付いたけど、『ショコラ』のラッセ・ハルストレム監督作品だったんだよね、これ。そしてスピルバーグが製作。豪華メンバーによる作品だった。
料理の代わりに『ショコラ』ではチョコレート、こちらが旧大陸の移民なら、あちらはロマの人々と、似通ったモチーフが出てくる。
似てるけど、『ショコラ』が描いた世界と決定的に違うところがひとつある。
スター誕生を望む業界、ひとりの天才・スターによって大きな発展が期待される業界では、どこで生まれたのか。出自による差別はもはやあんまり関係ないんだよね。
チョコの魔力をもってしても解けない、古い因習に縛られた『ショコラ』の世界は、もう過去のもの。
ハッサンの成功は、誰もが公平に扱われて欲しいという、かつての夢物語が、今はもう夢ではないことを示してる。
『ショコラ』でこうあれかしと描かれた世界が、現実になった。
『マダム・マロリー~』では、誰もが公平に扱われることで生まれた別の不調和、新しい脅威を描いてもいる。
レストランが舞台のこの映画では、たくさんの料理も出てきた。どの料理が一番美味しそうに見えたかで、ラストの受け止め方も、人によって違ってきそう。
業界の行方さえ左右する、スターであるハッサンの選択には、彼が何を好ましいと思っているかがしっかり現われてた。
ついでにそれは、夢物語を現実に変えるパワーを持った人達が見る、新しい夢。ハッピーな笑顔がいっぱいのラストに盛大な拍手を贈りたくなったのは、夢を現実に変えるパワーを持った人たちと、同じ夢を見てる。そう思えたから。
『ショコラ』も大好きな映画のひとつだけど、『マダム・マロリー~』も大好きな映画のひとつになりそう。
どんどんカッコ良くなるハッサンも良かったけど、ヘレン・ミレンがやっぱりステキだ。