クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

アーティストが主役の映画3つ

歌手、小説家、ピアニストと、アーティストが主役の映画を3本見てきた。2808文字と長いのでお時間のある時にどうぞ。

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実在の人物を描いたエンターテイメント作品、架空の人物を主役にしたフィクション作品、実在の人物をその家族が捉えたドキュメンタリーと、三者三様。どれも面白かった。
 
『ジャージー・ボーイズ』は、アメリカの伝説的ポップ・グループ『ザ・フォー・シーズンズ』がスターダムにのし上がるまでと、それからを描いた映画
 
アメリカの音楽シーンを描いた映画だと、今までは『ドリームガールズ』が一番好きだったけど、この映画もかなり好き。エンドロールが楽しさいっぱいで、とにかくハッピーな気分になれた。
 
 
メイン・ヴォーカリストであるフランキー・ヴァリの、故郷ニュージャージーへの愛が根底に流れ続けるところが大変良かった。
 
 
ニュージャージー、NYに隣接していて、東京住みに対する千葉や埼玉住みみたいに、「一番がすぐそこにあるのに一番にはなれない街」。そんな街出身者であるフランキーが、最後まで故郷や故郷に連なる者に対してウェットさを持ち続けるところがツボにはまった。
 
 
天性の歌声と作曲の才能と、彼ともう一人だけでも『ザ・フォー・シーズンズ』はやっていけそうだったのに、そうしなかった。
 
 
背負わなくてもいい重荷を自ら背負って、嫌な思いをして。
 
 
もっと効率のいい、成功への方程式を駆け上がる道もあったのに、そっちの道を選ばなかった。
 
 
グローバリズムの本場であるアメリカにだって、ウェットな部分はある。過去のものではなくて現在進行形でも。
 
 
効率に振り切れば楽になるけれど、ウェットな部分を完全に手放すこともできない。だから、ウェットな部分を持ち続けたまま成功、そして和解へといたるストーリーに、とてつもない心地良さを感じた。
 
あと、ちょっとした仕掛けというか遊び心というか。観客に語りかけてくる演出方法が面白かった。悪戯っぽくて。
 
 
『グレート・ビューティ 追憶のローマ』
ー全てを手に入れたはずの男。何よりも求めたのは、初恋の人の面影だったー
 
というコピーに、寄り添ってダンスする男女の姿のフライヤー。
恋愛映画、ラブロマンスを想像するでしょこれじゃあ。全然そんなことないストーリーで、驚愕のあまり顎が外れそうになった。
 
 
愛は描いてる。愛の対象はきっとローマ。古来より都市であり続け、人を魅了し続けた都市への愛に満ちていた。
 
 
若くして成功した小説家で、現在は本業の小説以外で食べてるセレブ小説家のジェップが主人公。
 
 
夜通し乱痴気騒ぎに明け暮れて、朝日が昇る頃にようやく眠りにつく。そんな生活を送っている。
 
 
最先端アートシーンのいかがわしさや、選ばれた人々の胡散臭さ満点の描き方が秀逸だった。目を背けたくなるほど醜くて。免疫がない人は気分を害する可能性もあるくらい、際どい映像が続いた。
 
 
最初は不快感の方が大きかった。
 
 
嫌がる子供が怒りにまかせて描くペインティング作品を、シャンパン片手に値踏みする紳士淑女達。その姿は、古代ローマの貴族たちが繰り広げたという狂宴を見るよう。
 
 
狂宴の場にいながらも、愚行に同化することのないジェップが、ペトロニウスに重なった。『サテュリコン』読んだことないけどね。全ての愚行の行き先を見極める美の判定者、それがジェップなのかも。彼の仲間を見る目は優しい。それでいて、彼は染まることがないからずっと孤独。
 
 
都市の魔力に負けて、ある人は去り、ある人は堕ちていく。
取り残されながらも未練を残し、そこから去ることができないジェップは、永遠にローマに片思いするかのよう。
 
 
朝日とともに起きて、日が落ちたら安らかに眠るだけ。平穏な生活を羨みながらも、自らはそんな生活を送ることはない。
 
 
”貧しさとは、語るものではなく生きるものなんです”と説く、104歳の修道女が膝行で階段を上る姿はもはやホラー。
 
 
快と不快を紙一重で隔ててるような際どい映像が続いた割に、観終った後は、不思議と爽やかな気分になった。
 
 
どこまでも醜い姿がすっかり暴き出されたら、そこにはもう、やましいことは何も残ってないから。
 
 
何も残ってないから、また新しく始められる。
ずっと昔から都市、人を魅了し続けてきた街は、そんな風に何度も再生してきたに違いない。だからなのか、妙に前向きな気持ちで見終わることができた。毒気に免疫がないと最後まで見るの辛いけど、最後まで見通すことで印象が変わる映画なので、絶対最後まで見た方がいい。
 
 
アルゲリッチ 私こそ、音楽!』は、最高のピアニストのひとりであるマルタ・アルゲリッチに、その最愛の娘であるステファニー・アルゲリッチが迫ったドキュメンタリー作品。
 
アルゲリッチといえば、「美しく激しい人」。
ショパンコンクールで審査員を務めた際に、ある候補者が落選したことに猛抗議し、自身も審査員を辞任したエピソードそのままに、激しい演奏をする人。
 
 
ついでに気分屋でも有名で、コンサートをしばしばドタキャンすることでも知られている。
 
 
この映画では、開演前にイラつきナーバスになる姿も映像に収められていて、イライラが募るとドタキャンになるんだなーと思いながら見てた。過去に2回ほど、コンサートでドタキャンくらいました。
 
 
過去の演奏シーンもふんだんに盛り込みながら、娘から見た「母であり希代のピアニストであるアルゲリッチ」が語られる。
 
 
いくつになっても稚気を失わずにいられるのも、きっと才能のうち。
 
 
バナナの皮を灰皿に捨てるのは良くない。良くないけど、その場で目撃してたら、しょうがないわねぇと代わりにちゃんとしたゴミ箱に捨てに行きそう。許されてしまう雰囲気があるんだよね、彼女には。
 
 
三人の娘はそれぞれ父親が違い、最愛の人の娘だからと三女にしてこの映画の監督であるステファニーを贔屓にするアルゲリッチは、母親としてはダメな部類の人。
 
 
母親としてはダメな部類の人なんだけど、成人した三人の娘と、年の離れた友人のように交流している。
 
 
母親としては完璧で、母親業が終わった後は、娘とよそよそしい関係しか結べない母親と。
 
 母親としてはダメダメで、ダメダメだけど、成人した娘と友好な関係を結べる母親と。
 
 
どっちが人として魅力的かと言うと、成人した娘と友好な関係を結べる母親に、軍配を上げたい。
 
 
アーティストと生活は、折り合いがつけにくいもの。
この映画でも、なおざりだった生活面が、ぶっちゃけられている。
 
 
折り合いは悪かったけれど、アーティストとして生涯を全うし、一般的な形ではないけれど、家族ともそこそこ良好で。アートと生活がうまくとはいえないまでも、折り合いがつけられることを描いてた。
 
 
もっと捻くれた性格に育っても良さそうな娘からさえ「女神」と崇められる。才能が、彼女の人生を全て好転させたのかも。そんな才能が、ただひたすら羨ましく思える、そんな映画でした。