覚悟したほど厳しい暑さでもなく、暑さよりも「白さ」が気になる一日だった。
煙霧が発生してたとか。視界がきかないので気分もモヤモヤした。
大体毎朝NHKの朝ドラ『花子とアン』見てる。最近はドラマの進行的にも目が離せないので、旅先だろうが親が来てようが、構わず見てた。
あの手のドラマは年代問わずに楽しめるので、同じくほぼ毎朝見てる親とも一緒に見て盛り上がってた。簡単に共通の話題見つかって助かった。
今朝の放送回なんて、今までの白眉ともいえるくらい面白かった。というより、ひいきにしてる石炭王・嘉納伝助こと「かのうちゃん」の見せ場がこれでもかといっぱいあって堪能した。
去りゆくかのうちゃんの背中に”漢”とか”哀愁”って刻まれてるようで、女性目線での分析ならできるけど、あれは男性から見るとどういう風に見えるのか、男性目線の意見こそぜひきいてみたいと思った。イノッチとかじゃなく。
あのシーンでなぜあんな行動に出たのか。わからないから確認したい。確認しようと思ったら、NHKの朝ドラって何回も再放送してるから、見直すのも簡単なんだよね。
朝やって、昼に再放送やって、BSでも放送&再放送してる。週末や、ちょっとまとまった分量になったら、総集編も随時放送される。
よく考えたらどうしてこんなに何度も再放送されるのか、不思議。
・たかが15分ほどのちょっとしたドラマだから、ちょっとした切っ掛けで見るのもやめてしまうから。できるだけ視聴者を逃さないようにするため、もしくは視聴者へのサービスなのか。
・15分という「尺」が、スポットを埋めるのに便利。時には15分×N回で自在に長さも調節できて、番組編成上何かと重宝されてるのか。
それにしたってたかが朝ドラを、どうして毎日数回、幾度にもわたって再放送するのか。今クールだけ熱心に見てるニワカにはわからない、暗黙の了解でもあるんですかね。
こういう時こそ「人力検索はてな」なのかもしれないけど、まずは「らしい」理由を考えた。
NHKの朝ドラは、基本的には新人、これから売り出す人のプロモーションの場だから。が、一番しっくりきた。
どんな辺鄙な田舎だろうと、NHKだけは全国どこでも視聴できるんだよね。民放がほとんど入らない地域だと、NHKが唯一の「世の中に通じる窓」、みたいなものだったりして。
ネットに親和性高い人、スマホ使いこなしてSNSで積極的に発信してるお年寄りなんて、過疎地ではきっと珍しい。
自分で情報の真偽を確かめられる、リテラシーの高い人は別。そうじゃない、半径15キロくらいで生活完了してるような人にとっては、「NHKに出てた人の言うこと」はとっても正しく聞こえる。
少なくとも近所のじーさんばーさんよりは。
NHKの朝ドラに出てた人が、順調にキャリア重ねて別のバラエティや情報番組に出るようになって。昔っから知ってる顔が、スキャンダルにまみれることなく、「ああしましょうね」「こうした方がいいですよね」と言ってくれたら。真に受ける人それなりに居るんだよね。
公共放送が世に送り出すスポークスマンのゆりかごだから、何度も何度もしつこいくらい、再放送してるのかも。何人生き残れるかわかんないけど、「誰が言うか」が大事な価値観は、今後も受け継がれる準備は着々と進んでるのねー。
一方で、「聞き逃してしまったからもう聞けない、見れない」コンテンツも世の中にはいっぱいあって、もやっとする。
NHKの番組、さすが公共放送と思うような質の高いものも多いから、ヘビーユーズしてる。そもそも質が高いか低いか。比較対象あってのことだから、比較の対象ががんばらないと、質をキープするのも楽じゃなさそう。
今回のヤマ場が終わって『花アン』愛が盛り上がったら、また何か書きたい。
お休みなさーい。
以前書いた花子とアンの感想。