クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

わくわくするアート

久しぶりに青空がのぞくも、空気は冷たい一日だった。
7月とは思えない涼しさなのに、外国人観光客の中には短パン・タンクトップ姿で街を闊歩されている人もいてソンケーする。こっちは鳥肌立ってるのに。

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多分6月の初め頃から、大通公園の西端ともいえる札幌資料館の裏手に、奇妙な物体が出現してた。

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何かなー?と不思議に思ってたら、これ、『札幌国際芸術祭』の展示作品のひとつ、『コロガル公園 in ネイチャー』だった。

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開催地特権で、作成過程を日々見守ることができた。ラッキー。
 
 
ほぼ完成形が下の写真。木製ながら、情報工学と教育工学を駆使して作った、遊びながら学べる遊び場らしい。あら、そう聞くとなんだかカッコいい。

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7月19日に開幕する『札幌国際芸術祭』では、その他の会場でも現代アートの作品がたくさん展示されるので、いくつかは見に行くつもり。
 
 
屋外が展示場所になったり、思いがけない素材や発想で「アート」を見せてる。アート作品、見るのは好きだけど「これが時の座標軸だ!」と言われても、はーそうなんですかと首ひねるばかり。
 
 
言われればそうかもしれない、でもそうなのかな。何だかたぶらかされてるみたい。と、作品の前で首ひねる感覚は結構好き。
 
 
これまでの常識にうっすらとヒビが入るような、非日常との出逢いが楽しいと言いましょうか。とか適当なことも言っとこ。
 
 
ものすごく失礼な感想として、現代アートって、一見しただけでは何のことだかわからないものが多い。ついでに、それを言ってはおしまいワードとして、一体それが何の役に立つの?という疑問もむくむくと湧き起こる。
 
 
芸術祭の間中、なぜそれがここにと思うものが、市内のいたるところに展示される。終われば廃棄されるものもある。その壮大な無用さ、無駄っぷりは、もう感動すら覚えるレベル。
 
 
無用さ、無駄をおおがかりな見世物にするには、相当大きな組織力、地方ごと巻き込むような、大きな単位じゃないとできないこと。
 
 
大規模な祭りになって人を呼べるようになったら、一見無駄や無用なものも、その間は有用なものに変わってる。
 
 
功利を超越した無用のものこそ、値がつかない高価なもの。なぜだかそんな風に刷りこまれてるんだけど、その刷りこみがやっぱりね、とお祭りの間に補強される。
 
 
モエレ沼公園内にある、ガラスのピラミッドに特設された巨大4Kビジョンでは、Perfumeのライブも手掛けた、メディアアーティストの真鍋大渡作品も。
 
 
チ・カ・ホと呼ばれる、札幌駅前と大通駅を結ぶ地下歩行空間に流れる電磁波をセンサーで感知して、そのデータを真鍋大度が映像化、坂本龍一が音楽に変換して、4Kビジョンに流すとか。
 
 
その辺にいくらでも飛んでる電磁波が、音楽と映像でアートに変わっちゃうんだよね。すごい未来が来たなーと、わくわくする。
 
 
お休みなさーい。