今日も風の強い一日だった。先週までの日曜と違って、なんだかワクワクしないのは、『ダウントン・アビー』第1シーズンが終わってしまったから。
このワクワクするようなOPテーマ曲とも秋までしばしのお別れ。
本当に世界で人気かどうかは知らないけど、ニューオーリンズのラジオ番組をネットラジオで聞いてた時に、「ダウントン・アビー第〇シーズン放送決定したよ!イェーイ!!!」とコメンテーターの人達もえらくはしゃでたんだよね。
第1シーズンも終わったことだし、人気の理由を考えてみた。長くなってしまったので、興味のある人だけどうぞ。
このドラマ、タイタニック号の沈没事故から物語はスタートする。
グランサム伯爵家三姉妹の長女メアリーの婚約者も、その犠牲者だった。そこからグランサム伯爵家混乱の日々が始まる。
長女であっても限嗣相続制(げんしそうぞくせい)により、女性であるメアリーには伯爵家を継ぐことができない。婚約者の突然の死により、マシューという遠縁の、中産階級出身の弁護士が突然相続人になってしまった。
誰が相続人になるかによって、使用人たちの未来も変わってしまうかもしれない。なんせマシューは中産階級出身なもので、何でも自分でしようとするから、使用人なんか要らない人なんだよね。
「立場に応じた責任」を自覚しない人が、自分達の主人になってしまうかもしれない。M&Aで突然買収された企業の従業員が、合理化目的のリストラに怯えるのに似てる。
電気も電話もまだ普及していない時代、屋敷は大勢の使用人を抱えている。伯爵家は使用人が居ないと回らない。使用人だけでなく、広大な所有地に住む人々の生活にも影響する。
立場は違っても、言ってみればみんな同じ船に乗ってるようなものだもの。
タイタニック号沈没みたいな大事件は、回りまわって一見無関係な個人の生活にまで及んでしまう。
そして、限嗣相続制(げんしそうぞくせい)によって、伯爵家を継ぐことができないメアリー、相続人次第でジョブチェンジを強いられるかもしれない使用人達。彼らを見てると、「法」という高い壁の前での個人の無力さ、不安定さを感じてしまう。
「三人寄れば社会」を体現するように、伯爵家の三姉妹も決して仲良しこよしじゃない。一見すると、誰もが誰かの悪口を言ってる「鬼ばかり」の世界に見えるけど、よーく見るとそうでもない。全方位でいい人、悪い人は出てこない。
ひと言で言ってしまえば社会の縮図なんだけど、イヤな人もいい人の前ではいい面を魅せるし、いい人もイヤな人の前では、意地悪になる。いい面を見せてくれる人には、いい面を見せる。
メアリーは気が強くてプライドの高いマウンティング女だけど、執事のカーソンの前では素直な一面を見せるし、使用人といえども尊敬で結ばれてる。
伯爵家の三女シビルは奔放で時に困ったちゃんだけど、メイドであるグエンの夢を応援してる。
根性の悪い二人組、第一下僕のトーマスと侍女のオブライエンは、妙な同胞意識で結ばれてる。
メイド長のアンナと従者のベイツは、深い信頼関係で結ばれてる。
集団生活は争いを生むばかりでもなくて、友情や秩序を生み出す入れ物になり得ることも、ちゃんと描いてる。
伯爵家ほどの財産家にとっては、財産の継承こそが重大な関心事であること。そこには、金銭的なものだけでなく、影響力のような曖昧なものも含まれること。
世代が若くなるほど時代の変化にも敏感で、意地悪トーマスの身代わりの早さには驚かされた。サバイバルに貪欲なトーマスだけど、彼には貪欲になるだけの理由もあるから仕方ないんだけどね。意地悪キャラの行方の方が、作品の印象を左右するので、彼とオブライエンの動向には注目してる。
その辺りも見どころのひとつだった。
第1シーズンは、第一次世界大戦の開始で終わってる。
タイタニック沈没よりも大きな出来事が、登場する人達個々の生活にどう影響するのか。
『登れない山もいずれ誰かが登る。沈まない船もそれが沈まないまでの間だ』。これもやっぱりグランサム伯爵家当主の言葉だけど、第2シーズンが始まるのを楽しみにしてる。てか、グランサム伯爵の名言集作りたいくらい。名言収集にもってこいなんだよね。
お休みなさーい。