クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

お子様目線

春分の日なのに、外は真っ白だった。昨日の日中はきれいな青空だったのに。
猫の目のようによく変わるお天気ですこと。選抜も始まってるのに、春はまだまだ先ねー。

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(昨日はこんなにきれいな青空だったのに。。)
 

労 働時のBGMとして、「レリゴー、レリゴー」と愛唱するほど気に入ってる『アナと雪の女王』。エルサがあらゆるものを次々に凍らせていくシーンの美しさと か、今思い出してもうっとりできる。すごーくいい映画なんだけど、「子どもと同じ目線の高さ」になるのが苦手な人には、ちょっと退屈かもしれないとも思っ た。
 
 
この間駅の改札で、お母さんに急ぎなさい!と急かされて、ものすっごい嬉しそうに”その場駆け足”してる推定年齢3~4歳のお子様がいたんだよね。その子の後ろには私とか、またその後ろにも。。って感じで改札にカード(切符)通したい人何人か居たんだけど。
 
 
急ぎなさいと言われて、その場駆け足とか。その発想は無かったわーって、私もその後ろの人も、ちょっとあっけにとられた。そろそろホームに電車がやってこようかという時間帯で、はっきりいって足並み乱れるというか、ほんの少し乗り遅れを心配した。
 
 
「何やってんの!」ってお母さんに叱られながら、おちびちゃん連行されていったけど、その間も大変うれしそうにキャッキャしてた。
 
 
身近に小さなお子さんがいない環境だから、たまーにそういう”自由な発想”のお子さまに遭遇するとびっくりするのよね。イラっとくるより、面白いことするわねーと、たまーにしか遭遇しないから寛大でいられる。
 
 
たまーにしか遭遇しないから、予想もつかない行動見て、あらあらってびっくりさせられる。身近に子どもが居ないと、「子どもの目線の高さ」、実感しにくいんだよね。
 
 
割と好んで子どもだまし系に親しむのも、「子どもの目線の高さ」、わからない・できないのわからなさ・できなさがどの辺りにあるのか、再確認したいからっていうのがあるのかも。
 
 
なんてことをA・シアラー『世界でたったひとりの子』読みながら、ちょこっと思った。
 
 
寿命が伸びるとともに生殖能力が落ちて、子どもが生まれなくなるディストピア未来社会を、数少ない子どもを主人公に描いてる。
 
 
そんなSF、日本にも昔あったなー。そっちはそのものずばりで『最後の子ども』が主人公だったけど。ラストはどうだったか忘れちゃったから、「ちょっと」中身を確認しようにも、本屋さんには在庫なかったのよね。ブックオフにはありそうだけど。
 
 
年金制度とか、介護の担い手とか。そんな視点から離れて、子どもがいない社会描いてたのよね、『チグリスとユーフラテス』では。
 
 
子どものまま年を取って、魂も子どものままなのと、為りは子ども(あるいは老成しないでもいいかも)のまま、魂はすっかり老成しちゃってるのと。どっちがよりグロテスクかな。
 
 
なんてことを考えながら、叶匠寿庵の「あも」食べた。お彼岸のおはぎがわり。
 
 

お休みなさーい。

 

世界でたったひとりの子

世界でたったひとりの子

 

 

 

チグリスとユーフラテス(上) (集英社文庫)

チグリスとユーフラテス(上) (集英社文庫)