クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

それなりに料理ができる人向けの料理本

料理家である高山なおみさんの料理エッセイ、『気ぬけごはん』を読んだ。
 
『暮らしの手帖』に連載されていたエッセイを本にまとめたもので、どうりでページをめくった時の体裁に見覚えがあり。ページ中央よりやや下にラインが引かれた上下二段組み(という言い方でいいのかな。専門用語よく知らないから)のデザインで、雑誌と同じだからデジャブ感ありまくりだった。

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 母親の愛読誌だったので、小学生の頃から読んでた雑誌。最近はあんまり手に取る事もなくなっちゃったけど。高山なおみさんが連載してたのも知らなかった。その頃にはもう卒業してたから。

一 番熱心な読者だった小学生の頃は、『おそうざいふう外国料理』が連載されてたはず。帝国ホテルや大阪ロイヤルホテルは高級ホテルの代名詞、そう刷り込まれたのも、暮らしの手帳の連載のおかげ。

 
 
暮らしの手帳の看板企画、商品テストなんかも、ふむふむなるほどと熱心に読んでた。考えたらあの商品テスト、今の価格・comと同じようなことをやってたような気がする。
 
 
と、『暮らしの手帖』の想い出をたぐり寄せながら『気ぬけごはん』を読んでた。タイトル通り「気ぬけ」、飾らない日常ごはんのレシピが載ってる。
 
 
どのお料理もあんまり凝ったものでもなく、材料さえあればとりあえずできそう。

時には、「明太子スパゲティを作ろうと思ったのですが~(略)肝心の明太子が ほんの少ししかありません」なんて書いてあって、あーあるある、そういうのよくあるよねーっと、うかつで準備悪い人でも安心できる記述がいっぱい。
 
 
レシピも載ってるけど文字オンリーで写真無しなので、そういう意味では親切じゃない。

例えば、まだ小さなお孫さんがフルーツゼリーを懸命に口に運ぶ姿を見て、 彼女に美味しいゼリーを食べさせてあげたくなってゼリー作ってる。そんな文章のあとにレシピが紹介される。どういう状況でその料理を口にするに至ったか、 みたいなストーリーも一緒についてくる。時には二番目のお孫さん誕生からストーリー始まってたりして。
 
 
何を作ろうかと献立を考える時、和食や中華みたいなジャンル、あるいはキャベツや豚肉みたいな素材と自分のレパートリー、時には制限時間なんかの条件に縛られて、献立を決めてる。
 
 
和食が続いたから今日は中華にしよう。今週は肉食に走り過ぎだから、今日は野菜・豆腐中心でいこうとか。いろんなことを考えてると、栄養がー予算がー健康がーと、どんどんタスク化してきてしまう。毎日それを繰り返してると、はっきりいって疲れる。山積みのタスクをこなすのが好きな人、あんまりいないはず。

疲れるんだけど、「ちゃんとしなきゃ」という刷り込みに毒されてる部分が、かなーりある。
 
「歯医者に行った旦那さんが奥歯抜かれて柔らかいものしか食べられないからお粥にしました」なんて、この本には書いてある。自分も歯医者行った後に何を食べよう かと悩む。

そういう状況になったら、そういやそんな時にはお粥食べてる人もいたよなって、ふわっと思い出してお粥作ってそう。
くたびれているときは特に、がんばって料理を作られると食べるのがますますつらくなる
高山なおみさんの旦那さんはそう考える人のようで、高山なおみさんはちゃんとそんな時のために「気ぬけごはん」のレシピもレパートリーに持ってる。
 
旦那さんが疲れてるときに、「ちゃんとしなきゃ」とがんばって凝ったお料理出して、それでつらくなられたらなんだか本末転倒。

がんばったら、「ちゃんと やったもんね」アピールしがちだから、「気ぬけ」大賛成。ごはんを作ること、食べること、「生活」は一生続くものだから、できるだけ無理せずに気長に続けら れる。それも大事。
 
 

お休みなさーい。

気ぬけごはん

気ぬけごはん

 

 

おそうざいふう外国料理

おそうざいふう外国料理