クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

音楽もいいね

今日もそんなに寒くなかった。もしかしたら体の方が寒さに慣れちゃって、寒さ実感してないだけのよーな気もしてきた。。

 

録画してる番組があったので、帰ってきてテレビつけたらももクロアルフィーが一緒に『木枯らしに抱かれて』を歌ってた(アルフィーは演奏してるだけだったけど)。娘の文化祭にお父さんが助っ人で演奏してるよー、お父さんだってまだまだがんばれるんだよー。そんな感じで、過ぎ去った月日を思わず指折って数えたくなるくらいインパクトのある映像だった。しばらくテレビの前で固まった。

 

その後はかぶりつき。すごく久しぶりに面白いと思ってテレビ見てたかも。音楽に関してはライトユーザーで、音楽性とか難しいことわかんないから。ただ異種格闘技みたいな、ジャンル違いの人達のコラボを楽しんで見てた。『FNS歌謡祭』だけあって、ほんとお祭りだね。

 

近過去って、案外すぐ下の年代の人と一緒に面白がるのは難しいのかも。

 

アルフィーももクロ、あるいは小泉今日子ももクロくらい歳が離れてみて初めて、「僕達・私達の年代の一番が世の中で一番素晴らしい」から離れて、たくさんの人と一緒に楽しめるもの、面白がれるものっていうモノサシで眺められるような。そんな気がした。

 

すぐ上の世代って目の上のタンコブでしょ。うるさく干渉してくることもあれば、こき使われそうにもなるし。そーゆー奴らが薦めるもの、いいと言ってるものなんて、認めたくないバイアスがかかって、ことさら自分達の方がいいもの知ってるって言いそうになる。そんなことあるから。誰の言葉も虚心に聞き入れるような、広ーい心の持ち主そんなに多くないでしょ。もちろん私もその中の一人。

 

直近の世代間で「いい」ものを潰し合うような。そんなイメージ。利害ぶつかりそうにないくらい距離ができて初めて、ただ無心にいいね、楽しいねって盛り上がれるのかも。利害離れた人の評価が加わって初めて、次世代へと続いていく。そんな事考えた。

 

八代亜紀、デーモン小暮高見沢俊彦、おまけにマーティ・フリードマン。そのメンツで「舟唄」を唄う。この絵面を面白がれる人は、多分マスーmassー大衆側の人じゃないかなーなんて思う。大衆の側っていうのが、いいとか悪いとかはひとまず置いといて。

 

届きそうで届かない。そんな、世界でたった一人のための「何か」に込められた渾身のメッセージが、同時に大勢の人の心をも動かす。そーゆーこともあるんだけど。

 

大勢の人に届けと放たれた渾身のメッセージが、ちゃんと大勢の人に受け止められた時のインパクトって、やっぱり大きいんだよね。そうやって社会全体の余裕広げて、世界でたった一人かもしれない人の居場所もちびっと広がっていく。

 

どう考えても、それが一番効率良いような気がするなー。大勢の人に届いた方がいい、「大きな物語」がある時には特に。

 

フミヤと尚之が一緒に歌う姿は見れても、もう「チェッカーズ」が揃うことはきっとない。そう思うと悲しー。槙原敬之は歌ってても、ドリカムは居ないのよねー。細かくチェックしていくと、お祭りといえどもやっぱりハッピーしかないわけじゃないんだけど。それでも面白かった。ハミングできるような曲、たくさん思い出したり仕入れたりした。忘年会シーズン前という見事なタイミングで、やるじゃん。

 

お休みなさーい。