クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

「流星ひとつ」読んだ

星見るついでって訳でもないんだけど。「流星ひとつ」を読んだ。

 

流星ひとつ

少し内気なロマンチスト。だけど、単に内気な人が、あてどもなく1年以上海外放浪するとかありそうにない。言うべき時に、言うべきことを言ってるだけで、内気とはまたちょっと違うのかも。

 

「流星ひとつ」の著者である、ノンフィクション作家の沢木耕太郎に対して、勝手にそんなイメージを持ってた。会ったこともない人だけど。

 

「流星ひとつ」を読み終わった時、こんなロマンチスト、他に知らないって著者のことを思った。この本は、極論すれば世界でたった一人に届けばいいような本だった。たった一人、藤圭子のお嬢さんである、宇多田ヒカルにさえ届けばいい。そんな本だった。

 

この夏藤圭子に何があったのか、そのせいで、宇多田ヒカルに何が起こったのか。いくら芸能ゴシップに疎い私でも知ってる。だから最初は、よりによって沢木耕太郎が、なんで藤圭子ネタなんか扱うんだろうって不思議だった。

 

深夜特急」「一瞬の夏」「敗れざる者たち」。どちらかというと、硬派で女っ気無しな著書ばっかり読んできたから、最初は違和感ありまくり。読んでいくうちに、色んなめぐりあわせで30年も封印されてきた本が、よりによって今この時に刊行されたことは、幸いだったんだと思う。

 

いくら一世を風靡した昭和の人気歌手とはいえ、「宇多田ヒカルのお母さん」っていう以上の情報を持ってない、私みたいな人はきっと驚くはず。

 

一切地の文を交えず全て会話、インタビューのみで構成されているので、すごく読みやすい。そして、全てが会話、藤圭子その人の言葉で語られているので、彼女ってこんな人だったんだって、新鮮な驚きを味わうと思う。

 

とてもクレバーで、自己表現力の高い人。ネットでちょっと検索したら出てくる悪意ある人物像とは全然違った。そして、若くして成功したが故に周囲にもみくちゃにされて、それでも世の中僻んだり、悪意で報いるようなこともしない。そんな潔い人だった。

 

もしもこの本で、28歳の時の彼女が率直に自らを語った文章に出逢わなかったとしたら。ネットなんかに溢れてる、一面かも知れないけど真実ってわけでもない、一人歩きした「藤圭子」像に惑わされたままだった。

 

誰にでもいい面と悪い面があるのに、どうもギョーカイの人とは折り合いが悪かったらしい彼女が見せた、「悪い面」だけが彼女なんだ。そう勝手にタグ付けして、終わりにしてたかもしれない。彼女のイメージをいい方に上書き出来て良かった。

 

強靭でしなやかな精神でもって彼女が眺めてた世界は、興味深いだけじゃなくって、案外美しくて。彼女の生い立ちや境遇を考えれば、もっと悲惨に見えても良さそうなものなのに、案外悪くないものだった。結局、世界の在り様よりも、気持ちの在り様の方が、大きく作用するんだなって、そう思う。

 

 沢木耕太郎が書いた映画評を、一冊にまとめたエッセイ集も持ってるんだけど、その中で「愛という言葉をたぶん口にしたことはない」って書いてるんだよね。いやいや何をおっしゃいますやら。嘘つき、或いは鈍感。こんなに愛溢れた本、滅多にあるもんじゃないと思う。男女間のというよりは、もっと大きな、才能を愛する・惜しむ。そんな感じの愛情に溢れてた。

 

インタビュアーの極意って「あなたのために、今私は全ての時間を使っています」って、わかってもらうことなんだって。そう何かの文章で読んだ。そんな風に使われた時間を閉じ込めたから、きらきらと、言葉が煌めくように感じるのかも。

 

お休みなさーい。