クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ご飯はいつも美味しい

曇り時々晴れな一日。気温がぐんと下がって一気に寒くなった。

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写真よりも本物の方がずっときれい。紅葉も進んで、赤や黄色に変わった葉っぱがほんとに華やかで、たかが葉っぱなのに、なぜにこんなにキレイなのか。淡い色の花が次々に咲いていく春よりも、秋の方が華やかなんじゃないかと思う。

 

多分自分が思ってるよりたくさんの人に「この世間知らず」って思われてるんだろーなーという気はしてる。実際二日にいっぺんくらいの割合で「この世間知らずに、世の中の大変さを少しでもわからせてやろう」的なお説教食らうくらいだし。そういう人やシーンにリアルでしょっちゅう遭遇してる。いい歳してんだけど。以下はリアルで遭遇してることです。

 

要するに態度や発言が迂闊で、迂闊なことをうっかり口に出してるから、何か物申してやろうという気を起こさせるんだろうなーと。普段言いたくても言えずに溜め込んでた何かをぶつけるのに、ちょうどいい対象見つけたって感じで。

 

そういう時に、嫌な感じ、悪意がすごくて辟易とするような物の言い方する人はやっぱり少ない。大抵は、袖擦り合うも他生の。。。って感じで「そーですねー」で済んじゃうようなことがほとんど。で、たまに、なにそれすっごーい!っていう「街場の賢者」に遭遇することがある。

 

遭遇した時に「何それすごーい、かっこいー」とか言って、値打ち台無しにするから、いつまでたっても説教モードから抜け出せないんだけど。

 

一体いつそんな悟り開いたんですか!?って、そう思うに至った心の軌跡にこそ興味が湧くような。そーゆーものを勝手に「賢者の言葉」呼ばわりしてる。

 

何かイロイロあって、鬱々とした時期を経て、その間には仕事や家庭環境も激変して。今はこんなことやってるんですよーなんて自虐的な人が、「でもごはんが美味しく食べられるようになりました」って言っててちょっと感動した。ご飯が美味しいっていう、すごく単純なことに気付いたおかげで、モロモロのモヤモヤが軽くなったんだって。

 

例えばお腹いっぱい食べて、お日様の光燦々と浴びて、すべきことに全力投球してて、その結果も満足いくもので。欠けてるものを見つける方が難しいような人が抱え込んだ憂鬱な気持ちって、ちょっとやそっとではどうしようもない気がする。迷路で出口みつからずに、ずっと迷子になってるようなもので、ぐるぐるぐるぐる同じところをさ迷ってそう。

 

お腹いっぱい食べられないから。お日様の光燦々と浴びるの難しいから。やらねばなことは山積みでも、できないから。憂鬱の原因わかってれば、その原因をどうにかすれば済む話だから、その場合の憂鬱は割とどうにかしやすそう。

 

でもって、憂鬱をどうにかしたら、そこで悩むのを止めるっていうシンプルな生き方って、一見単純でバカみたいじゃない。バカみたいだから、「これでいいのか、いやいやいかんだろ」って複雑に考え込んだ方が、高等そうな生き方に見えたりするのが困ったところで。

 

「ご飯が美味しく食べられるようになった」から、その状態をキープすることに集中して、そしたら憂鬱も軽くなったから、これでいいいやって思考を止める。自分との調和とか言ってしまうことの中身って、案外とってもシンプルで、街場の賢者は専門用語なしで、その心境に至ってるからすごいんだよね。

 

「ご飯が美味しい生き方」。今月仕入れた良い言葉として、心のメモ帳にしっかりメモしといた。いつでもご飯は美味しく頂きたいもんね。

 

お休みなさーい。