クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

人見知り

初対面の人間が集まったらやっぱりぎこちない。話したい!って確固たるテーマ持ってて、機会があったらペラペラしゃべり始める人って、一般社会ではやや特殊な部類に入ると思ってる。

トカイナカ、地方都市だけど街中に住んでると、よく遭遇するのが「街頭インタビュー」。カメラ抱えたテレビクルーの人が、街ゆく人に向けて〇〇について、例えばTTPどう思いますか?みたいな質問してたりする。

 

お昼時の公園でパンにかぶりついてたら、隣のベンチで老婦人くどいてた年配男性に対してインタビュー始まったことがあった。それまで、「この歳になってあなたのような人に会えて幸せ」とか言って、上品なご婦人の手をとらんばかりにして歯が浮くような台詞並べてた男性が、マイク向けられたら豹変した。

 

「私は常々~」とか「〇〇について語るにはまず〇〇から語らなければならない!」つって、インタビュアーのマイクもぎとらんばかりの勢いで長広舌ふるい始めた。

インタビュアーもドン引き。結局その人は「儂は昔〇〇に勤めていた」っていうマスコミOBの人で、その後近頃のマスコミについても一家言ぶってた。

 

その時に、不用意にマイク向けられてもペラペラ話し出すことが出来る人って結局経験があるか、準備してる人なんだなって思った。自分に向かってマイク差し出された時に備えて準備するって思考がもう、用意周到過ぎるから。

 

自分と何ら共通項を持たないように見える人と話すとき、口ごもったり、話弾まなくても普通だと思う。それまでは、共通の話題を通じて人間関係結んでたことの方が多いはずだから。

 

エイリアンとして、ぽんっと群れに放り込まれるようなことが多かったから、中身のない会話、社交的な会話だったら続けるのも苦じゃない。天気とか持ち物とか、流行ものとか。でも、社交の段階過ぎたら大抵もっとを求められるから、そこから先へ進むのは確かに苦手かも。

 

本読んだり、映画見たり。自己完結するようなものが趣味で、ひとり遊び楽しいから、その時間削るのかーと思うと躊躇いを感じる。心狭いなーって自分でも承知してる。

 

ただ、社交の先って大抵かなり面倒くさい。解決困難な話を聞かされる羽目になること多いって経験則がある。そういうものを引き受けるのは、心理的にも負担になるので、引き受けられるものの取捨選択は心掛けている。潰れちゃうから。

 

それと、重荷を肩代わりしてくれた人優先っていうのは確かにある。そうやって、時間をかけて人見知り状態脱していくしかないかなーって思ってる。