クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

おくりもの

今日から三日間雨だって。とっても幸先のいい三連休のスタート。

 

どうせ家の片付けくらいしか予定入れてないけど。そしてこの、家の片付けは何にも増して優先順位高いんだけど、優先順位高いからってやる気が起きるとは限らないのであって。多分、最後に困るのは自分ひとりっていう状況だと、困るのが自分だけだったらまぁいっかって、放置しがちなのよね。

 

スーツケーツひとつで生きられる人間に憧れるけど、実際は引越屋さんに「荷物多いっすね」って言われる始末。母親から持たされた物(託されたとも言う)が無ければもっと荷物減るんだけど、親が存命中にそうした物を処分するのは人道に反するような気がするので、着々と蓄えられてゆく。そして家の収納スペースが、自分のものとはいい難い物で埋まっていく。

 

祖母の家の納戸を整理してたら、母親の小学生時代の宿題発見っていう記事あったけど、親ってほんと、いろんなもの取っとく人なんだよね。

昭和の親は特に、自分では捨てられないものを子供に託す傾向あるよなって思ってる。必要かどうかはあなたが判断してよって思うんだけど、思い入れが強過ぎて判断できないから、先送り。要するに捨てられないんだよね。自分達が大事に思ったものを、同じように大事にして欲しいって宅急便で送って来ちゃう。今はもう無き母親の実家で使われてた、明治だか大正だかの食器なんかがどどーんと届いて、困惑する。

引越屋さんに、この玉手箱みたいなの何ですか?って聞かれても、答えようがなくって、ますます困惑する。

 

割れてしまったものは運命だって運命論者になって、がんがん使って手滑らして、どんどん割っていけばいいかなとも思う。自分で買ったものだとそうする。それで諦めもつくから。色んなものが割れて、欠けて、じゃあ全とっかえするかで「新しく」できるから。あぁほんと「欠けたものはたまんない」し、欠けもせず「そのまんまキレイ」に残ってたら増々たまんないわ。

 

母親が若かりし頃は、今と贅沢の基準が違ったんだよね。出勤前には毎日のように美容院に行って、髪の毛セット(?)してもらってたとか、着るものは生地から選んでオーダーで誂えたりしてたらしい。海外旅行したり車買ったり。高価なものはほんとに高価で手が出せなかったかわりに、「毎日美容院」とか「着るものオーダー」とか身の回りのことにお金かけてたみたい。

 

母親が昔誂えた服とかしっかり残ってて、裁縫の得意な伯母が近所に住んでた時は、仕立て直して着てた。スカートとストールお揃いにしてってリクエストしたりして。裁縫が得意ではない母親は、その代わり料理に特化してた。しゃれたケーキ屋さんなんかその辺に無かった時代にイチゴババロアのケーキやオレンジのドームゼリーとか、本や雑誌で見た小洒落たもん作ってくれてた。

 

そういう親の背見てるから、無きゃ自分で何とかするもんだって意識身に付いてる。

 

仕事も今みたいに拘束時間長くなかったみたいだから、国内だけど結構あちこち旅行してた。あちこちで買ってきた謎のお土産、やや不気味なこけしみたいなものがたくさん家にあった。何でこんなの買ってくるの?っていうキモ可愛さに溢れてるやつ。お金そんなにかけずに楽しんでた。あらそう考えると、快楽主義って血筋みたい。