クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

「最後の恋」読んだ

7人の男性作家、荻原浩伊坂幸太郎朝井リョウ石田衣良橋本紡白石一文越谷オサムによる恋愛アンソロジー、「最後の恋 MEN'S」読んだ。

 

短編集だからさくさく読めた。副題が「つまり、自分史上最高の恋。」となっていて、最後の恋が史上最高の恋だったら幸せねー。いいわねー。

 

読む前はもっとこう、ソファの上でうわわわわわって転げ回るようなこっぱずかしさを予想してた。でも、作者の年齢層がほどよくバラけてるせいか、こっぱずかしさ満点の青臭さというよりは、もうちょっとしみじみと哀感漂う作品の方が多かった。

 

恋した人の輪郭がっくっきりはっきり、あぁこういう人だから好きになったのねーと感じられる描き方した、朝井リョウの「水曜日の南階段はきれい」が最も好感度高かった。ただその好感度の高さは、恋と親和性高そうな高校時代を、最も若い作者が瑞々しく描いたからこそって気もする。

 

彼よりも年長の作者は、そもそも最も美味しい設定譲って、かつその設定越えなきゃだから、ハードル上がって大変。

 

そんな中で、伊坂孝太郎の物語巧者っぷりは際立ってた。どうなるのかなーって翻弄されるのが楽しかった。

 

恋も愛も感情の揺らぎだけど、ただ一緒に居るのが嬉しい楽しい、そんなハッピー全開な空気を纏ってるのが恋って気がする。じゃあ愛はどうなのっていうと、一緒に居ることが必ずしも嬉しい楽しい一色ではなくて、時には苦さや痛みも伴う。一緒にいることは辛くもあるし、注いだ愛情が必ずしも自分に返ってこなくてもいいやと思えるもの。そんな風に考えている。

 

石田衣良の作品は、そういうちょっとほろ苦い、あるいは痛みを伴う、もうそれ愛でしょっていう大人っぽい恋を描いてて、雰囲気があった。映像化されたらどんなキャスティング、中性的なファムファタールって、今なら誰がぴったりくるかなーと考えるのも面白い。

 

アンソロジーだと、名前は知ってるけど、自主的に読んだことのない作者も含まれてくる。ファーストコンタクトにちょうど良かった。何しろ短編だしとっつきやすい。

 

最期にワタシの一行、聞かれもしないのに勝手に書いとく。

「たとえば生クリームのケーキを頼んだ後で、もし、モンブランを頼んでいたらどうだったのかな、と想像することもあるでしょ。でも、一緒にいる人がモンブランを注文していたら、一口くらいは食べさせてもらえるかもしれない。ああ、こんな味だったのね、って」

イチゴショートのイチゴは後か先かを考えるよりも、モンブランかチーズケーキか。はたまたチョコレートケーキか。そういう選べたかもしれない違うお話を、文字でくらい楽しんでもいいじゃないのと思う。

 

最後の恋 MEN’S: つまり、自分史上最高の恋。 (新潮文庫)