クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

怖いけど怖くない

実は怖がりなので、ホラー小説やホラー映画はあんまり観ないし読まない。 

より正確に言うと、読みたい・観たいけど怖かったらやだ。でも怖くなかったら、それそもそもホラーとしての出来どーなの?って考え出して、損した気分になりそうだし。怖がりたかったのかそうじゃなかったのか、もう何が何だか。

 

怖い話を聞いたり読んだりした時に、何が嫌ってお風呂場で髪洗う時が嫌。特に髪すすいでるとき。いい歳しててもいまだに怖い。

 ”「シャンプーのとき背後に気配を感じるのはなんなんですか?」「リンスです、リンスが順番を待ってます」”っていう松本人志の言葉にめぐりあった時、ほんと魂が救われるような気がしたよ。

 

リンス(っていうかコンディショナーね)使ってもまだ何か視線感じる時は、あぁそういやヘアパック最近してないから、きっとヘアパックが私の出番まだ~って順番待ってるんだな、とか。多分これ応用無限に効く。いやほんと松本人志は偉大だわ。

 

今見たい映画は山盛りのゾンビが出てくる『WWZ』。でも映画館の大きなスクリーンで見たら怖さ倍増だから、DVD出るまで待つかどうしようか考えてる。映画館で観たら、先送りもできないから。

最後に見たホラーらしいホラー映画って『リング』が最後っていうくらい、ホラー映画にはご無沙汰してる。近未来ディストピア社会を描いたSFもホラーっちゃホラーだったけど、その場合”モンスター”あるいは”お化け”にスポットあててるわけじゃないから。

 

『リング』はね、ほんとに怖かった。映画館内も阿鼻叫喚の渦って感じで、ここ怖い!と思ったら、すかさず四方八方から「嫌~っ」「きゃー」「ひ~」って悲鳴だったり泣き声が上がってた。観客の声集めて適度にハウリング効かせたら、その方がよっぽど地獄からの声風で怖いんじゃないってくらいだった。

 

怖いから結局3割くらい目瞑って観てた。観終わった時、あーこれトラウマになるような怖さかもしれんとか思ったんだけど、近くに座ってた私よりも若い男の子が「怖いよ~俺もう夜に一人でビデオ(DVD普及以前です)観られへん~どうしよ~」って半ベソかいてた。あっなんだ。みんな滅茶苦茶怖かったんだと思ったその瞬間、「怖い」と思ってたのが「あんまり怖くない」に変わった。

 

もともと良くできた原作を才能ある人達が集まって、「もっとみんなに怖くなってもらうよう」映画作ったんだもの。そりゃ怖いに決まってる。だから、みんなで一緒に怖いよーって言えるものは、実はそんなに怖くないのかもしれない。

 

みんなが一斉に怖いよーって言いだすものは、必ず対策がとられるから。ほんで、みんな怖いと感じたんだから、「俺こんなに怖かった」とか「私が感じた怖さはそんなもんじゃない」とかって語り出すんだよね。語ってるうちに絶対話盛るひとも現われるし。本物のお化けやモンスターが聞いたら、それは違う!っていたたまれなくなるような尾ひれはひれまでついて。当初の形からどんどん変化していって、気が付いたらそれどんな妖魔ですの?っていうくらい巨大な”お化け”が出来上がってるの。

 

その頃になると、上質を知るとか、本物とは何かってプレミアム感大事にする”怖がらせがり”のお化け達も、ちょっと考え改めるの。やっぱプレミアム感考えたらもう少し露出絞んなきゃな、とかね。対策とられても頻出するお化けって、それ怖がらせてナンボの単なる”お化け屋敷”のスタッフだから。

 

みんなが怖いものはほんとはあんまり怖くない。赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいなのの方がよっぽど怖いし、一番怖いのは自分ひとりだけが感じる怖さだから。

 

私が今一番怖いのは、体重計と浴室の全身鏡。自分を観るのが一番怖いわ。

がんばって運動しよっと。