クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

未踏の地

次はどこへ行こうかと地図をじっくりとっくり眺めていると、“未踏の地“がどのあたりにあるのか、くっきりはっきりする。一覧性、大事ねー。

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冷えピタシート代わりの涼し気な写真。肝が冷えると何でも涼しげ。

大勢の人の目に触れる場所に、そんな地名はつけられない。という地名がふんだんに残る場所は、大勢が訪れてこなかった場所。大勢の人が来るわけないから、安心してふざけた名前でもつけられた。

 

デジタルだと瞬時にデータの訂正も可能で、ふざけた名前をこっそりつけて楽しんだ、あるいは蔑んだ痕跡も瞬時に消える。紙になって流通していれば、そんなわけにはいかない。紙にプリントして流通しているものには、見る人が見ればふざけてる、あるいは蔑んでいたことがすぐに看破できる、ある時ある場所の雰囲気や証拠もそのまま温存される。

 

敬意を払ってこなかった相手から、まとめてちゃぶ台返しされるとおっかない。

 

おっかない人は、ちゃぶ台をひっくり返せる日めざしてじっーと観察しながら証拠を集めてる。誤魔化しようのない証拠をまとめて突きつけられたら、もう言い逃れもできない。

 

のっぺりとした高低差のない地図から、地形がよりわかりやすい地図、あるいは航空写真に切り替えると、わからないこともわかるようになる。航空写真では近付くにも限界があるから、ドローンのようにもっと小回りの効く何かをツールとして使うことができたら、より観察対象にも近くなって観察もより詳細になる。

 

人跡未踏の地、あるいは容易に人が近寄れないから大勢が訪れてこなかった場所は、数少ない証言に頼るしかなかった。フィールドワーク系なのに調査のしようがないから調査が進んでこなかったものは、ツールが進化すれば通説がひっくり返る可能性も高くなる。

 

通説に染まった脳ミソからは、奇想天外なアイデアも出てこない。奇想天外なアイデアは、通説には染まってないある種の門外漢から生まれ、門外漢のアイデアでもそれっぽい専門家風の人がやったことにすれば、専門家の意見として勝手にひとり歩きして、奇想天外だったはずのものも既成事実になる。

 

便利、あるいは進化したよねと今では珍しくなくなりつつあるものの源流は、仕組まれたのは何年も前で、そのあと丹念にデータを集めて実証して見せたから、今では珍しくないものになりつつあるのかも。

 

ロードヒーティングで雪を融かすと言っても、実物を見たことのない人にはどういう状況で何がお得で便利なのか、さっぱりわからない。

 

問題や脅威を感じている人には、解決策となる実物と、実物が稼働しているさまを見せれば、説明はいらない。コストが壁となって手が出せなくても、問題がコストでお金だったら解決は容易。誰かが負担すればいいだけだから。フロンティアは、そうやって攻略しながら消滅していくんだな。

スリルがするり。

好き、嫌い。大好き。やっぱり大嫌い。恋愛あるいはイロコイのジェットコースターに乗って味わうスリルよりも、今日はリッチマン3日後には大貧民という、資産が溶けてなくなるスリルの方が、ドッキドキ。

 

ただスリルを味わいたいだけなら、大富豪と大貧民の間を行き来するジェットコースターに乗る方が、はるかに刺激的で破滅的。破滅的で刺激的だから、そんなものに溺れるのは退屈してる証拠。破産が秒読みになったら、退屈なんて言ってられないから一瞬で目が覚める。

 

あの人、愛に殉じたはずじゃなかったっけ???

 

という顔と名前がカネカネカネと言い出しても、損得勘定が出来ない人に集まるお金なんてたかが知れていて、期待薄。期待できないから、お金を集めるつもりだったら別の顔と名前を使う。

 

お金を集める必要があるので、顔と名前を貸して下さいという依頼にも快く応じてくれそうなのは、お金でカタがつく人の方。商品化に抵抗のない人が、商品になれる。商品じゃないものを商品であるかのように誤認させている場合は、顔も名前も使わせてもらえないのに、勝手に使ってるだけ。

 

勝手に使うのは腹いせでもあって、顔や名前を勝手に使われたくなかったらホニャララと、たいていは押しつけがましく何かがついてくる。

 

しつこく追い掛け回す側と、しつこく追い掛け回されるのがイヤで逃げた先に待ち受けている側は、たいてい一緒で同じ穴の狢。同類だから、イヤがる相手を追い掛け回してまでさせたいことも結局一緒。

 

追い掛け回してまで他人にさせたいことは、自分ではできないことや無理なことに決まってる。

 

美味しいと感じる味覚や、楽しいやきれいと感じる感性なんてとっくに失って、もう何にも感じないのに、うれしい・美味しい・楽しいフリをするのは拷問の一種。拷問のように、無理にうれしい・美味しい・楽しいフリをさせられるなら、ほんとに楽しそうで美味しそうでうれしそうな人に代わってもらえば楽になる。

 

ただうれしい・美味しい・楽しいフリをするだけなら、大して演技力もいらない。ただ動員をかけたいだけだから頭数さえ揃えばいいんだけど、無感動で無口な頭数だけ揃っても意味はない。

 

お金で釣るのがいちばん簡単なんだけど、お金で釣ってでてきたうれしい・美味しい・楽しいなんて、参考にならないからやっぱり大した意味はない。

 

自然に任せるのが、いちばん簡単で安上がり。だから自然に勝手に盛り上がってくれるテーマに変わるまで、不自然は続くよどこまでも。

適切な距離

自己責任で追い詰められた個人は、慈悲にすがる。

 

具体的な慈悲の形といえば宗教で、伝統的なものから新興のものまで。古今東西宗教と名のつくものもよりどりみどりで、バラエティ豊富。つかず離れずで宗教と適切な距離を保ちたい側は、だから過剰に個人を追い詰めたりしない。

 

自己責任で過剰に個人を追い詰める、何らかの主義が鼻につくほど過剰に表に出たものもいってみれば宗教の一種で宗教的だから、一見水と油のように見えても結局は一緒。結局は一緒だから、いざとなった時のセーフティネットとして機能してる。どちらかが危機に陥った時はどちらかが救いに現れ、互いに補完しあっている。だから、セーフティネット。一方的に、どちらかがどちらかをセーフティネットにして、いいようにしてることもあるんだけどさ。

 

南無阿弥陀仏に南無妙法蓮華教以下略で、それ以上知らないし言えないのは“サビの部分”しか知らないから。

 

物見遊山で神社にも行けばお寺にも行くけれど、神妙な気持ちでお参りするのは家族の場合だけ。クリスマスにその他、季節ネタは外来の宗教由来のものであっても生活に取り入れ季節感を楽しむのが、宗教とはほどほどのおつきあいを具体化した姿。

 

宗教とはほどほどのおつきあいを体現した姿が一般的になったのも、言ってみればWWⅡ以後の戦後教育の賜物で、宗教的なあるいはあからさまに狂信的な主義に殉じて無駄死にしたしさせられた、多数の犠牲を生んだ反動としてそうなっている。

 

それ、もうほとんど宗教じゃん。という極端な視野狭窄に嫌気がさすと、ほどほどがいちばんと、だいたい正気に戻る。

 

悪逆非道な蛮行を、キレイな言葉とシチュエーションに置き換えて、賢しげあるいは意地の悪さを剥き出しにして語ってると、みっともないしソッポ向かれる。キレイな言葉とシチュエーションに欺かれる状況そのものを、嘲りの対象にして見世物にすると反感買って、その種の見世物そのものが成り立たなくなる。

 

その一方で、キレイな言葉とシチュエーションが、そのままで通じる見世物があると、どうしたって多数の人は単純なそちらの方へと流れる。

 

単純なものを複雑にするか、複雑なものを単純にするか。

 

単純なものから複雑なものを好むように進化した群れと、複雑なものから単純なものを好むように進化した群れは、進化のスピードも方向性も異なるから、もとは一緒でも再び一緒になるには時間がかかるか、あるいは永遠に違う速度のまま進む。

 

いかようにもあるいは幾通りにも解釈の余地ができると、複雑になり過ぎて単純に楽しめなくなる。単純には楽しめないから単純に楽しめた昔、例えば何らかの古典に回帰することはあるんだけど、古典といっても例えば文学作品的な古典には、人権意識もコンプライアンスも含まれていない。

 

現在のルールというフィルターを通過してはじめて、人権意識やコンプライアンスが根付いた現代にも通じるようになって、古典が普遍的なものになる。

 

複雑なものを単純にする行為には、現代には通じない部分をバッサリ切る意味もあって、バッサリ切ったらどうしても単純になる。

 

単純なものを複雑にする行為は、そもそも最初から現代には通じない部分がないか少ないから肉付けしての増量も簡単で、簡単だから肉付けして複雑にすると、コッテコテで濃厚になる。

 

単純なものか、複雑なものか。ついでにいえばどちらの方がより利益になるのか。注文に自在に応えられる器用な人は、どちらに転んでも困らないようにできていて、困らないように鍛錬してる。練習の場所には困らないよう、広大な練習場所を常に確保する態度は、どう考えても勤勉を奨励する人のもの。

先月食べたもののふりかえり

7月なのにラザニアを食べていた。しかも、クーラーも扇風機もなしで。オーブンを使ってケーキだって焼いていた。ひと月経つか経たずかのこととは思えないほど、暑くなって夏真っ盛り。

 

とはいえ夏バテするほどダメージは受けてないから、食欲不振とは無縁なところがちょっと空しい。夏痩せするほどの暑さだったら、むしろ夏バテも歓迎できるんだけど。

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  • 親子丼、カボチャサラダ、味噌汁 
  • マグロの味噌和え、大根サラダ、カブとアスパラガスのサラダ、お吸い物 
  • ラザニア、キィウイ 
  • 油揚げの袋煮、トマトの甘酢和え、チンゲン菜の和え物、味噌汁 
  • ピラフ、カリフラワー、スープ 大人向けお子様ランチ(ピラフ、ナポリタン、海老フライ、ヒレカツ、プリン)
  • 焼肉、春雨とピーマンのきんぴら、カブの煮物 
  • 練り物盛り合わせ、春雨とピーマンのきんぴら、かぶの煮物 
  • きんぴらご飯、ポテトサラダ、きゅうりのカリカリ漬け 
  • 煮込みうどん、ポテトサラダ 
  • 鶏の唐揚げ、そぼろ入り玉子焼き、ピーマンの和え物 
  • 焼き鯖の大根おろし添え、厚揚げ、しし唐の煮物 
  • しらす丼 カオマンガイ、長芋とパプリカのマリネ 
  • カオマンガイ風ご飯、海老とニラの中華炒め、しめじとベーコントマト炒めチーズがけ 
  • ポーク野菜炒め、フライドポテト、味噌汁 
  • 紅茶鶏、ごぼうとツナのホットサラダ、キャロットラペ 
  • ねぎ塩豚丼ごぼうとツナのホットサラダ、ピーマンのごま和え 
  • きくらげ入り麻婆大根、ゴーヤーとツナのサラダ、かぼちゃの煮物 
  • 青じそとシラスのパスタ、冬瓜のコンソメ煮 
  • いわしのシソ巻きトマトソース煮、ピラフ、ブロッコリーカニカマのサラダ
  • ミートボールのトマトソース煮、なすとミョウガの和え物、れんこんのカレーピクルス 
  • 豆カレーと自家製福神漬け 
  • 豆カレー、ブロッコリー、自家製福神漬け 
  • 鶏ミンチの水餃子風、ミニトマト入りめかぶ

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器に対してプリンが大き過ぎた。。

ピラフが余った時に作ってみた、大人向けお子様ランチ風アレンジ。残り物活用とはいえ作ってる方も楽しくて、ほんとは小さな旗でも立てたいところだった。まずは大人向け、お子様ランチで画像検索して、必須アイテムをリサーチした。炭水化物&炭水化物に揚げ物なんて、普段はやらない組合わせも、遊びっぽく盛り付けると許せる。野菜少なめになっても。

 

カオマンガイを作ったときに余ったソースを、翌日は肉無しでただご飯にかけると、サラダ風ご飯。みみっちいけどソースだけ、タレだけかけたご飯は意外と美味しくて、なにもたんぱく質をがんばって毎日取ることないんだよな。。という気分になった。食べさせるという目的があると、ついそうなっちゃうんだけど。

 

知らないだけで、カオマンガイ用ソースもすでに市販されているのかも。サラダチキンと合わせたら、手抜きでもカオマンガイ風になりそ。

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ガトーショコラにかぼちゃ、そしてきな粉が今年のさっぽろスイーツの必須アイテム。ガトーショコラにかぼちゃプリンとどちらも味の想像がつきやすいだけに、想像を裏切る美味しさだったから嬉しい。きな粉をグラサージュにして使っていて、見た目は地味なんだけどすごく美味しかった、とっても地味なお店のもの。

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最先端では実験的なことが日々行われてるに違いないんだけど、最先端のお下がりとか余ったものじゃなくて、最初から最先端に背を向けたものでちょうどいいのが今の気分。最先端は危なっかしくて、基礎や基本がしっかりしているものは年季が入ってるから安心感もたっぷり。

 

材料を見ても、簡単に手に入るものばかり。それでいて、面倒くさいからあんまり自分では作らない。作れそうで作らないものを高く評価しがちな傾向は、自分でも気付いてる。

 

最先端だけでは足りないと気付いてる最先端の人ほど、伝統にもちゃんと向き合っている。そうじゃないと、古いものが現代に伝わってるわけがない。古そうに見えても実は新しく、実は新しいから本当に古いもののように今に伝わってない。ということも、あるのかも。

 

気温も高いけどそれ以上に湿度が高く、カラッと晴れずにジメついてるせいで、日本の夏らしくはあるけど札幌の夏らしくはない暑さ。続くのは、今週末くらいまでだとか。

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晴れた空、次はいつになるのか。

少し不思議

いつ頃だったか、もう思い出せないほどの昔。多分インターネットも普及してなかった頃に、街でお金をバラ撒いた人が出たというニュースがあった。

 

新聞だったかテレビだったか。どちらかで見たのか双方で見たのか。その辺もハッキリとしないながら、どっちかっていうと若い男の人が、ビルの上から花咲か爺さんのようにお札、札束をバラ撒いているイメージだけが今も残ってる。

 

なぜお札をバラ撒いたのか。続報は出なかったか、見なかったからわからない。ただ思うのは、その人にとってそのお金は要らないものだったってこと。

 

欲しかったものや、失くしたくなかったものの代わりに手に入ったものだったら、ちっとも嬉しくないし有難くもない。そんなお金要らない。要らないから、バラ撒いた。ただ面白いことがしたかっただけかもしれないけどさ。

 

その人にとっては要らないお金に群がる人を見て、お金をバラ撒いたその人は、こんなものでも欲しがる人がいるのかと、案外不思議に思ったかも。

 

お金は、使う人と受け取る人が居るからお金になれる。

 

ある人から受け取ったお金は、受け取っても嬉しくない。あるいは、支払いたくないある人に渡るのなら支払いたくないと、色のついたお金を使う人と受け取る人の双方が厭うようになったら、それはもうお金にならない。交換できないならお金にならず、交換できないものが市中に出回ったら、たちまち経済が回らなくなる。

 

お金は経済を回す血液で、血液が流れなくなった人体はポックリ逝くように、経済もストップする。いくらヘリコプターで景気よくお金をバラ撒いても、バラ撒いたお金に“色”がついていて万人にとってのお金になり得なかったら、底の開いたバケツに水貯めるようなもの。

 

お金から“色”を抜かない限り、回るはずのものも回らない。

 

紛争地帯や内戦地帯では往々にして経済が停滞するのも、きっとお金に“色”がつき過ぎてるから。忌避される“色”のついたお金の流通量が増えると、買える物も買えなくなって、物流が滞って流通が混乱する。

 

単なる交換手段のはずのお金に、こちらでは500円プレミアム。あるいは500円デラックスと、本来価値以上のプレミアムがついて、本来は同じ500円均一のはずなのに、交換できるものの量が変わってくるのが、混乱した状態。

 

500円の陰に見え隠れする、誰かの影響で価値が増えたり減ったりするから、混乱する。陰に見え隠れする“色”をすっかり落とし、500円はやっぱり単なる500円以上でも以下でもない状態にならない限り、混乱は収まらない。

 

価値が増えたり減ったりすることがわかっていたら、損したくない気持ちが勝って買い控えのような状態も招くから、やっぱり経済は滞ったまま。

 

プレミアムを左右しているのは、陰に見え隠れする何かの“色“。だから”色“がすっかり消えて、すっかり消えたねと使う人と受け取る人の双方に周知されてすっきりしない限り、もらっても嬉しくも有難くもないものは、価値が定まらないままですっきりしないまま。

 

あなたからのお金は頂けません。と、何らかの色つきのお金にキッパリはっきりNOをつきつけた途端に経済が回らなくなった場合は、今までどんだけ色つきのお金が回してたんだ。。と驚き慄くところ。

不自然に任せると不自然

そもそも感情の振れ幅が大きな激情家で、自身でも激情を持て余すような人が好むのは、感情が揺さぶられない場所。何があっても能面のように無表情で、一見感情が欠落したかのように見えてもそれは、後天的に獲得した仮面かも。

 

巨大な権力持ちが、うっかり感情が命ずるままに動いたら、巨大人災メーカーとなって巨大災害だって引き起こしかねない。

 

大噴火のあとには、黒い石がゴーロゴロ。火砕流や溶岩流が冷えて固まったあとにはこの世のものとは思えない奇観が生まれ、物言わぬ石の大群は、ことばに代わって災害の激しさを物語る。ことばなんて、いらない。

 

肩の上にたくさんの人の生活や人生をのせた権力者が、感情のままに暴走したあとに生まれるのも、そんな景色かも。振り落とされたたくさんの人の人生も生活も、冷えて固まって黒い石となり、沈黙したまま動かない。

 

冷えて固まったまま動かない。黒い石の群れを前にすれば、どんな激情だってたちまち冷める。冷却効果抜群。逆に、冷えて固まった黒い石を前に、意気揚々と得意げだったら、何なの、この人?と思うのが自然な反応。

 

人災よりも、地震に洪水や台風といった自然災害の方が被害は大きくなるけれど、天災に人災が加算されると、千年に一度クラスの大災害になった。千年に一度クラスの天災に人災が加算されると、やってくるのは千年に一度クラスを超える未知数の大災害で、そうなったら固有の歴史も文化もすっかり流される。

 

天災発生時には人災が重ならないよう環境を整えるのは、防災を考える人たちのお仕事で、天災と人災が重なるよう積極的に仕向けるのは、どう考えても防災側のお仕事じゃない。

 

災いが大きくなっても他人事のように受け入れられるのは、他人事だからと思うのが自然で、固有の文化と歴史がすっかり流されるのを待ってるせいだからと思うのも自然。

 

怒らないことに決めた人は我慢強くて、感情を露わにしない代わりに自身の感情に殺されがち。押し潰されがちと言い換えてもいいんだけど。我慢を強いられた身体の方が先に動かなくなって、動かなくなった体を動かすのは、トレーニング。

 

無数のルールで自身を縛り、感情の暴走に備えて幾つものストッパーをかけて激情を封印したあとは、感情のままに振る舞いながらも激情を表に出さずに済む立ち居振る舞いを学ぶとき。学習しながら、ストッパーも外していく。

 

保身や計算に基づいて感情を小出しにし、激情家のフリが上手にできるようになったら、その人はもう感情に引きずられているとは言えない。我を失ったという言い訳も、もう通用しない。

 

情のない単なる冷たい人に人はついてこないし、動かせない。冷えて固まった黒い石を前に得意げな人の薄情さを看破してるから、黒い石の群れは沈黙してる。

 

感情を表に出さないはずの人が、私情も露わに何かに感情をぶつけ始めたら変化の兆し。感情のはけ口を求める人と、感情のはけ口をぶつける先が変わったってことだから。

 

貯めるだけ貯めこんでからしか怒りはぶつけられず、怒りが向かう先も一ヶ所しかなかったら巨大災害になりがち。感情を表に出してはいけないはずの人は、そもそもどこに怒りのような感情をぶつければいいのかわからないから、貯めこみがち。

 

ここならぶつけてもいいんだと感情のはけ口を見つけ、安心して何度もぶつけてくるのは、結局甘えてる。無理な背伸びと窮屈な抑圧と。成長過程で過干渉が激しいと、あらゆる面でアンバランスが顔を出すのかも。かもかも。自然にまかせてのーびのびな状態を、後天的に身に着けるのは大変そ。

楽しい人しか寄って来ない

シンプルな設計で、使ってる人からはたーのしー♪という声しか聞こえてこないようなものは、楽しいという声しか聞こえてこないように作られている。実際使ってる人はみな楽しそうで、ただ純粋に楽しんでいる。

 

ただ純粋にたーのしー♪という声を聞くために作ったものだから、そもそも楽しくない人は寄って来れないようになっているし、楽しくない人が寄って来ても続かないようになっている。

 

たーのしー♪で始めたことも、いつか必ず楽しくない時がやってくる。そんな時でも、ただ純粋にたーのしー♪を貯めこんだ、たーのしー♪貯金がたっぷりあれば踏ん張れる。ただ純粋にたーのしー♪という声を聞くためだけに作られたものは、楽しくない時期を乗り越えた先人からの贈り物で先人自身への贈り物。

 

長く一つのことに取り組んでいる人は、楽しく続けられる仕組みをきっとどこかに仕込んでる。自分へのご褒美もそのひとつ。

 

忘れちゃいけない大事なことは、今は夏休みで夏真っ盛りで、たーのしー♪貯金がたっぷり貯めこめる時期だってこと。たーのしー♪貯金をたっぷり貯めこめるシーズンを逃すと、たーのしー♪もたちまち尽きて、楽しくないことが増えるだけ。

 

見渡す限り一面の緑。人工物が極端に少なく大自然を身近に感じながら、ハンモックに揺られてお昼寝。という光景は、北海道とは縁の薄い人が抱く一般的あるいは初歩的な北海道のイメージ。

 

自然豊かな景色がウリの場所に、街中でも普通に見るようなものが増えたら台無し。はるばるやって来る意味がない。

 

背の高い建物。例えばタワーマンションをちょいと横倒しにしてコンパスに見立て、円を描いてみる。円を描いた範囲に建物が密集していたら、その一帯を再開発するコストはきっと、背の高い建物を建てるよりも高くつく。

 

建物が密集したエリアで背の高い建物が次々に建つのは、その方がコストが安くつくからで、人口が密集するほどに都市開発費用は高くつき、面ではなくて点になる。人口が少なくさらに言えば更地ばかりだと、都市開発はやりやすく開発しがいもあり、点ではなく面となる。

 

面は点と違って孤立しにくく、ひとつひとつが目立ちにくいから、何かを隠すにも都合よさげ。

 

地面の値段がお高い場所だったら高層の建物が建つような費用を、タダ同然の広大な土地が広がる過疎地にぶち込んで一帯を開発したら、隠れ家がたくさんできる。

 

秘密基地や隠れ家を作るのも、たーのしー♪貯金のひとつで亜種。用がない人には面白さが伝わらないけれど、必要とする人にとってはただ楽しいだけで、意味のない行為を意味のある行為よりも上位に置くような人が好みそうな贅沢品のひとつ。ついでに、夏休みのご褒美としてもピッタリ。