クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

先週と先々週食べたものの振り返り

季節の変わり目で体調も崩しやすい今日この頃。変わり目だからというわけでもなく、明らかな外的要因によって、風邪引いた。

 

温室あるいは箱入りだと、温室あるいは箱から出た途端にウィルスに感染するんだよな。それも飛び切り質の悪いやつに。風邪引いて、食事どころじゃなかったわ。という記録を残しておくのも一興。ちゃんとした食事を作り食べるのは、健康だからできることと、健康体のありがたさを噛みしめよう。

 

二週間分のはずにしては数が少ないのは、食べてないか写真どころじゃなかったかで、それ以外にも適当なものを胃に入れている。風邪薬飲む前に食べるかという動機で、ようよう何かを口にしてるような状態。今後は非常時に備えてすりりんごでも常備しようかと思ったね。

 

いつまでも家の近くにあると思うなコンビニで、利用者の変化を受けてか以前よりよりスーパーっぽくなった品揃えの中には、これ一本あるいは一品でエナジーチャージ的な商品が少なくなった。ような気がする。

f:id:waltham70:20180903233446j:plain
f:id:waltham70:20180903233449j:plain
f:id:waltham70:20180903233523j:plain
f:id:waltham70:20180903233431j:plain
f:id:waltham70:20180903233516j:plain

f:id:waltham70:20180903233500j:plain

最近お気に入りのプレート(⋈◍>◡<◍)。✧♡
f:id:waltham70:20180903233443j:plain
f:id:waltham70:20180903233520j:plain
f:id:waltham70:20180903233510j:plain
f:id:waltham70:20180903233437j:plain
f:id:waltham70:20180903233434j:plain

f:id:waltham70:20180903233425j:plain

カレースープごはん
f:id:waltham70:20180903233440j:plain
f:id:waltham70:20180903233505j:plain
f:id:waltham70:20180903233507j:plain
f:id:waltham70:20180903233428j:plain
f:id:waltham70:20180903233514j:plain
f:id:waltham70:20180903233502j:plain
  • かつおのタタキとソテー
  • 紫蘇とシラスのパスタにチキンソテー
  • 鶏肉のトマト煮込み
  • ラムと野菜の焼肉
  • カレースープごはん
  • ゴーヤーチャンプルー風豚肉炒め
  • 鮭とマイタケご飯

カレースープごはんは、食欲がないなりに栄養もとれる一品。雑炊やうどんばっかりじゃ、元気でないわという時にいいということを学習した。美味しいとはわかっていても、なぜか苦手なスープカレーは自宅で作る気にもなれないけど、カレースープごはんなら作れるし、食べられる。

 

秋になると作りたくなる、鮭とマイタケご飯のトッピングは、イクラっぽいけどマスの卵。

f:id:waltham70:20180903233454j:plain

こっちはイクラ

今年は秋刀魚だけじゃなくて筋子も大漁なのか、見掛けた筋子が安かったので、イクラの醤油漬けにも始めて挑戦。膜や筋をきれいに掃除するのは思った以上に面倒ではあったけど、たいそう雑に扱っても一向にヘーキだったイクラに驚いた。丈夫なのね。。手間暇かかったけど、原材料が安いと満足度も高い。今週いっぱいは、遠慮なくイクラを使おう、そうしよう。

 

最高級品は、日常使いする値段からは遠くなり、廉価版は安全性に問題を感じるとなったら、中級品は手作りに限るということか。安い原材料さえも手に入りづらくなったら、食の伝統にも赤信号のともる時なのかも。かもかも。

 

そんな小難しいこと考えなくても、単に金払いのいい客が減って、元の売り場に出戻ってきただけかも。どっちもありそうだ。

 

昔撮った食事写真を見直すと、今はもう割れてしまって処分した食器が写っていて懐かしい。割れちゃったら買い直すしかないから、遠慮なく入れ替えもできる。食器はつい買い過ぎてしまう方だから、使わないものは思い切って処分を心掛けるようになってから、この分野の断捨離は順調。

 

この調子で、他の分野の断捨離も進めたいもの。心を強くもとう。

 

気持ち悪いことがヘーキでできる人は、気持ち悪いことをヘーキでやってることがバレたらイメージダウンも甚だしいから、取り繕うことにも一生懸命。カラッポの偶像を美辞麗句で飾り立てるように、見た目のゴージャスさやハイセンスさにも人一倍こだわるのかも。

 

感情を動かす文章書きたかったら、不特定多数に向けたメッセージより、特定の“誰か”に向けた文章の方が圧倒的に書きやすいやね。

 

お休みなさーい。

定点観測観光地編その2 2018年

ウニを食べに行ったけれどウニを食べ損ね、それでもそんなにがっかりでもなかった記録。最初の夏に食べたウニほどの感動は、きっともう味わえないから別にいいんだ。はじめて食べた旬のウニは、そりゃもう美味しかった。

 

小樽を越えて、日本海沿いにドライブすること小一時間ほど。景勝地である積丹岬をめざす人も多いけれど、それよりもっと多いのはウニ食いに行く人々。古平~積丹は、ウニどころ。ウニが旬を迎える夏の間に、一体どれほどのウニが人々の胃袋に収まったのか。考えるとすごい。

 

が、12月も25日になってから。あるいは12月24日もあと残すところ数時間となってようやく、そうだクリスマスだしケーキ食うかと思ったところですてきクリスマスケーキが残ってないように、そういやウニ食うの忘れてたわ。という頃に、のこのこ訪れてももうウニはない。

 

海が荒れると船も出せず、船が出せないからウニもないんだってさ。荒天が続いたあとだったから、まぁしょうがない。荒天が続いたから、遠路はるばるドライブする気にもなれなかったわけだしな。近隣のお店にも、“ウニありません“と張り紙が出ていたので、地域一帯でウニが枯渇してたんだろう。

 

ウニの代わりに、マグロとブリがネタに入ったお寿司、高い奴を食べたので満足。

f:id:waltham70:20180901230149j:plain
f:id:waltham70:20180901230125j:plain
f:id:waltham70:20180901230154j:plain
これは海老の踊り食い、のち唐揚げ。

北海道、それも夏なのにブリとマグロ。どちらも近郊で獲れたものだとか。海流の変化を感じずにはいられない。北極海の巨大氷河が割れても驚きはない。だって北海道でブリやマグロが獲れるくらいだから。マグロ漁船は、南洋のものだとばっかり思ってた。大間のマグロがすぐそことはいえ。

 

お寿司食べてお腹いっぱいになったあとは、島武意海岸へ。神威あるいは積丹岬まで行くのは面倒くさかったので、近場で済ます。見晴らしもいいけれど、食後の運動を兼ねて海岸まで降りてみた。軽―い気持ちで降りることにしたけれど、結構な運動量。

f:id:waltham70:20180901230143j:plain
f:id:waltham70:20180901230140j:plain
海で山だから、眺めがいい。

結構な運動量だったけど、眼前に広がる土曜ワイド劇場あるいは火曜サスペンス劇場で、追い詰められた犯人が自分語りする場面に出てきそうな景色は見応えあり。ザッパーンと勢いある波の音をBGMとして、脳内で勝手に補完してた。

 

f:id:waltham70:20180901230133j:plain
f:id:waltham70:20180901230206j:plain
f:id:waltham70:20180901230200j:plain
f:id:waltham70:20180901230151j:plain
砂浜ではないので、足元が悪い。

知られざる景勝地に日本でもっとも詳しいのは、土曜ワイド劇場あるいは火曜サスペンス劇場の製作スタッフかもね。かもかも。全国くまなくロケしてそうだし。

 

ただし、想像としての土曜ワイド劇場あるいは火曜サスペンス劇場で、最後にその手の番組を見たのはいつだったか。もう思い出せないほど昔のこと。最後に見た時は、ストーリーを添え物にした、旅番組の亜種やん、これ。とか思いつつ旅番組として見てた。

 

神威岬あるいは積丹岬ほどメジャーだとは思えないのに、観光バスで乗り付けた団体旅行客が居て驚いた。旅行会社の人、真面目あるいはマメだな。

f:id:waltham70:20180901230128j:plain
f:id:waltham70:20180901230203j:plain

海岸まで降りるのもひと苦労な急斜面を降りた海岸沿いの、謎の遺構っぽい何か。気になる。今は失われた道でも、かつてはあったのか。この斜面をわざわざ降りて、何らかの建物建てるなんて狂気、あるいは札束の魔力あるいは権力を感じる遺物。作らせた人のメンタリティは、きっとエジプトのファラオ並みに違いない。

 

北海道を訪れた観光客は、過去最高だとか。それも納得で、一見辺鄙な場所でも何か観光の目玉になるようなものがあれば、観光客は必ずいる。ウニを食べさせる店も、ずいぶん増えたような気がする。

f:id:waltham70:20180901230130j:plain
f:id:waltham70:20180901230157j:plain
f:id:waltham70:20180901230137j:plain
もうちょっと天気がいいとよかったんだけど。。

確実にウニ食べたかったら、シーズン終盤によっこらせと出掛けるんじゃなくて、もっと早めに出掛けましょ。という反省を、来年に生かすかどうかはまた別もの。

 

お休みなさーい。

さようなら、夏

そろそろ扇風機も用なしで、片付ける頃合い。さようなら、夏。

 

家のつくりようは夏をむねとすべしなのは、夏の暑さが厳しい場所のお話。冬の寒さや厳しさが命にかかわるような場所とは、おのずとそのつくりも違ってくる。今年は久々に夏バテしたくらいの暑さだったけれど、厳しい暑さの記憶もすでに彼方さ。

 

あらこんなところに、新しい建物が。ホテルか飲食店かと思ってじっくりしゃれた建物を見て見たら、お寺だった。という経験をすること、たびたび。建て替え時と重なっていたからか、北海道では伝統的寺社建築の職人集めるのも大変だったのか。

 

伝統とは距離を置きますと、形から入るのもコミュニケーションの一環。容れ物が変わると、中身が変わっても文句言われにくい。

 

顧客の創造といえば、ドラッカー潜在的なニーズを掘り起こせばそこに顧客がいて、商売が成り立つくらいの意味だと思ってるけど、顧客の創造に熱心になられても困る業種もあり。

 

病院、病院に準じた医療機関、葬儀社の顧客と言えば、病人に怪我人に死人。顧客だけで成り立ってる業種ってわけでもないけどさ。でも彼らが顧客の想像に目覚めて、死ねよがし・病気になれよがし・怪我しやがれよしに熱心になって、見込まれた将来の顧客に迫ってきたら困るでしょ。

 

あいつ病気になりやがれ。怪我しやがれ。死にやがれと、営業マン同士を競わせでもしてたら超絶ブラックで、今時だったらフィクションのネタでも不謹慎と謗られるかも。かもかも。

 

そんなことで熱心になられても。。というインモラルな行為でも歓迎するのは、そもそもモラルに背を向けた人たちと思えば間違いなし。

 

鬼を訳したらdevilとなって、そりゃそうなんだけど、いまいちしっくりこないのは日本昔ばなしのせい。日本昔ばなしに出てくる鬼は、時に悪魔というにはもう少し間抜けで、人間臭すぎたから。

 

悪魔を人間臭く描いた西洋の読み物もあったのかもしれないけれど、どっちかっていうと、悪魔は悪魔らしく伝わってる。人を越えた存在でありながら、時に人間臭い感情を振りまく超存在と言えば、神話の神様の方がよりそれっぽい。

 

神様とは区別する意味で、悪魔は悪魔らしく、悪魔的イメージで伝わってるのかも。かもかも。

 

お休みなさーい。

定点観測観光地編2018

“盗人たけだけしい”を念頭に置いて記事タイトルをチェックしていくと、二番煎じ三番煎じの記事が見分けやすくなる。盗人じゃなかったら、猛々しくなる必要もないもんね。

 

クリスマスにケーキ食べて、端午の節句に柏餅を食べるように、やらなくてもいいんだけどやらないとなんとなくきまりが悪い。と、年中行事化しつつある特定観光地へのお出掛け。ラベンダーは近場でクリアして、ひまわりは遠いからスルーした。

 

片道2時間越えのドライブとなると一泊くらいしたくなるけれど、ホテルの予約が取りにくい。あるいは取れない。勢い、近場で済ますことになる。

 

というわけで今年も、ゆりを見にオーンズ春香山に行って来た。今年で3回目。天気のいい日を選んで出掛けられるのが、近郊お出掛けスポットのいいところ。

f:id:waltham70:20180830232318j:plain
f:id:waltham70:20180830232231j:plain

往きは運動不足解消でえっちらおっちら斜面を登り、帰りはリフトに乗った。何回見てもいい眺め。気持ちいい風。今年も来てよかったわーと素直に思えるのは、大変な思いはなーんもしてないから。天気がいい日に、思い立って来ただけ。

f:id:waltham70:20180830232338j:plain

f:id:waltham70:20180830232302j:plain
f:id:waltham70:20180830232214j:plain
地味に新しいもの、テラスが増えていた。

もしこれが、入念に計画を立てての“はるばる遠方へのお出掛け“だったら、ゆりの見頃にはもう少し気を配ってた。今年は酷く暑い時期もあったせいか、そろそろお盆かという頃だと、すでに盛りは過ぎていた。

 

始めてオーンズ春香山を訪れた時とは、時期も違うせいかそれともなのか。全体的にゆりの花もまばら。まばらでも、ゆりの香りは濃厚に立ち込めているから、もしもこれがぎっしりみっちりのゆり畑だったら、世話する人は暑さと香りのダブル攻撃でたまらんだろ。

f:id:waltham70:20180830232209j:plain
f:id:waltham70:20180830232430j:plain
f:id:waltham70:20180830232245j:plain
f:id:waltham70:20180830232342j:plain
左は今年2018年で、右は2016年。

ゆりの花冠を被った巫女によって神事が行われるという、率川神社の三枝祭。絵面を想像するとたいそう美しいけれど、ただでさえ香りのきついゆり。花冠にして被らされたら、人によっては酔いそう。

 

ネモフィラにコスモス。同じ種類の植物で覆いつくされたフォトジェニック花畑を作る時には、世話する人のことまで考えて、匂いがきつ過ぎないものを選ぶのもポイントかも。ラベンダーだって、ゆりほど香りはきつくない。

 

オーンズ春香山で気持ちのいい眺めを堪能したあとは、小樽の祝津へ行ってみた。

f:id:waltham70:20180830232326j:plain

小樽の運河周辺は、真夏でも観光客が絶えずに賑わっていた。

f:id:waltham70:20180830232222j:plain
f:id:waltham70:20180830232236j:plain
f:id:waltham70:20180830232307j:plain
f:id:waltham70:20180830232330j:plain
f:id:waltham70:20180830232310j:plain
涼し気な音を振りまいていた、風鈴。

賑わう運河周辺を通り過ぎ、向かった祝津界隈は、ほんのり磯の香りも漂ってきて、由緒正しい日本の夏休み・おじいちゃんおばあちゃんちにやってきました感がいっぱい。のーんびりしてる。

f:id:waltham70:20180830232219j:plain
f:id:waltham70:20180830232255j:plain

昭和感も濃厚な、遊園地に水族館。チームラボのデジタルアートが身近な人にとってはカルチャーショック起こしそうな、最先端とは真逆な景色が広がってる。半端に最先端をめざすより、最先端に頑なに背を向けるのもカッコいいと思うんだけど、どうなんでしょ。

f:id:waltham70:20180830232314j:plain

青の洞窟小樽編に向けてか、小型の船が次々に海を横切っていく。

f:id:waltham70:20180830232201j:plain

そりゃまぁこの海の青さなら、沖合に船出してそこからザッバーンと海に飛び込みたい。海水浴願望は微塵もないけれど、浪打ぎわより沖合の方が、圧倒的に気持ちよさげ。

 

人口に比例して都市の景色なんてどこも似たり寄ったりになるから、“はるばる旅した”気分を味わいたかったら、不便あるいは辺鄙なところまで出掛けるに限る。年中行事化してる、また別の場所に出掛けた時の記録はまた別の日に。

 

悪いことしか書かないと思われたくないからいいことも書こうとするむきには、そもそもいいことも悪いことも書いてきた場所の方が、いいんだわ。

 

お休みなさーい。

塩水

信頼できるガイドブックは、紹介する必要のないものはちゃんとスルーしてる。写真は撮りようでどうとでも誤魔化しがきくから、“いちばんいい顔“に騙されがち。ところが現地に行くと、別の顔も見せられてガッカリということもあるわけで。

 

観光資源の限られた土地ではあれもこれもと紹介したくなるのが人情で、人情を汲んでかお役所が作ったものは、満遍なく現地にあるものを紹介してる。にもかかわらず、お役所作成リストから零れ落ちているのは、現地資本とは関係がないからか???と、邪推するのも旅の醍醐味かも。

f:id:waltham70:20180828001811j:plain

グローバルとローカルの対立や共存。観光地ほど、あからさまになりがちかも。かもかも。

 

地図に記載のある観光名所。看板もあって車の轍もあるけれど、道を進むほどに“手つかずの自然”が迫ってきて、そんな場所ではヒグマに遭遇するより人と遭遇する方が、より不自然で恐ろしい。

 

あ、これ怖い奴やと思ったら、とっとと引き返すに限る。

 

広い外洋に出るつもりで作った船。船頭多くして船山に上るで、気が付いたらなぜか、落ちたら奈落の底まで真っ逆さまの山をえっちらおっちら上ってたら、どう考えてもおかしい。

 

オーストラリアには、大量の地下水が埋蔵する場所もあるらしいけれど、塩分濃度が高くて農業その他の産業用には適さないんだとか。

 

せっかく水が大量にあっても、利活用できないんじゃしょうがない。

 

2年ほどまともに雨も降らず、乾き切った大地の下にはたっぷりの使えない地下水、塩水系という状況は、理不尽を絵に描いたよう。オーストラリアつったって広いから、地下水たっぷりの土地と、乾き切った大地とがすぐ近くとは限らないんだけどさ。

 

自然ほど、凸凹をフラットにすることがなし難いものもなし。

 

今年はたっぷり痛感することになった、自然災害の恐ろしさ。地震に対する備え、特に都市型災害に対しては耐震化や免震化その他でそれなりに準備は万端だけど、都市以外は脆そう。

 

日本の海難事故史上最悪の悲劇となった、洞爺丸事故級の台風にどこかの地方が見舞われたらひとたまりもなさそうで、ひとたまりもなかったことがすでに忘れ去られていると、防災も進みそうになさげ。

 

港は防災除けでもあるけれど、港のキャパを越えた船が停泊してたら、防災には不安が残る。千客万来はいいことばかりでもなく、キャパオーバーは不安定要素だから、もっと広い場所に移ってもらうにしても、増えるスピードが速すぎると、どうにもならない。

 

局所では減ることを心配しているけれど、世界的には人口爆発中で、一旦増え始めたら収拾がつかなくなる。その怖さを知ってる人だけが、蛇口を締めるように思い切って閉じることができる。

f:id:waltham70:20180828001807j:plain

閉じるということは、コントロールしようという意思の表れで、閉じることもできなければなすがまま。

 

暑すぎず寒すぎずというには、風が冷たすぎる。北海道マラソンで夏のイベントはすべて終わり、短い秋に向けてまっしぐら。食欲の秋までまっしぐら。

 

お休みなさーい。

先々週と先週食べたものの振り返り

喉が痛いうえに、筋肉痛。たったそれだけの不調でも、気分は満身創痍さ。大通公園のビアガーデンも解体が進んで、宴のあと。夏が終わるのはあっという間で、秋も駆け足とせわしない。四季があるというよりも、夏と冬プラスアルファと思っておけば間違いない。

 

二週間前のことなんて、大して覚えちゃいないけど食べたもののことはわりかしよく覚えてる。

f:id:waltham70:20180820233524j:plain
f:id:waltham70:20180820233616j:plain
f:id:waltham70:20180820233537j:plain
f:id:waltham70:20180820233426j:plain
f:id:waltham70:20180820233553j:plain
f:id:waltham70:20180820233449j:plain
f:id:waltham70:20180820233604j:plain
f:id:waltham70:20180820233653j:plain

f:id:waltham70:20180820233454j:plain

f:id:waltham70:20180820233529j:plain
f:id:waltham70:20180820233520j:plain
f:id:waltham70:20180820233612j:plain
f:id:waltham70:20180820233548j:plain
f:id:waltham70:20180820234023j:plain
f:id:waltham70:20180820233443j:plain
f:id:waltham70:20180820233641j:plain
f:id:waltham70:20180820233430j:plain
f:id:waltham70:20180820233623j:plain
f:id:waltham70:20180820233557j:plain
f:id:waltham70:20180820233435j:plain
f:id:waltham70:20180820233439j:plain
f:id:waltham70:20180820233458j:plain
f:id:waltham70:20180820233502j:plain
f:id:waltham70:20180820233512j:plain
f:id:waltham70:20180820233553j:plain
f:id:waltham70:20180820233608j:plain
f:id:waltham70:20180820233516j:plain
f:id:waltham70:20180820233506j:plain
f:id:waltham70:20180820233542j:plain
  • 豚バラと厚揚げ
  • 麻婆大根
  • ツナと塩昆布の炊き込みご飯、鮎の甘露煮
  • 塩豚
  • 豚バラとれんこんとピーマン炒め
  • ひじきのパスタ
  • ナスとツナの味噌煮込み
  • マスのムニエル
  • ピーマンと竹の子入り麻婆春雨
  • 塩豚

メインだけ抜き書きしてみるとこんな感じ。ヒット作は、ツナと塩昆布の炊き込みご飯と塩豚。ツナ缶と市販の塩昆布を放り込んだだけ。他の調味料無しで作った炊き込みご飯は、炊き込みご飯というよりもピラフっぽかった。

 

ピラフっぽくなったのは、ツナ缶の油のおかげ。油っぽい缶詰を使えば、他にもピラフっぽい炊き込みご飯が簡単にできるんじゃないかと、ツナ缶と塩昆布以上のゴールデンコンビを考え中。塩昆布に匹敵する具材を見つけるのが、なかなかに至難の業。旨味の塊だからな、地味に。

 

塩豚は、豚のかたまり肉に塩を揉み込んで数日放置したのちに茹でただけ。

 

とろろと合わせると、気分的には牛タン定食。塩でしっかり味が付いているので、こちらも他に調味料の必要無し。皮がない分、鶏肉を扱うより豚かたまり肉の方が扱いやすい。ゆで汁はスープとして利用可能で、塩豚の有用性を久しぶりに思い出した。また作ろっと。

 

暑い時は冷たく冷やしたくだものが美味しいから、メロンに桃に梨にとくだもののお世話にもなった。あってよかった冷蔵庫。常温だと、いくら完熟でもやっぱりそこまで食は進まないから。

 

冷蔵庫普及前は、井戸や小川の流れで冷やしてたのか。コンポートにしても、冷やした方がより美味しく感じる。

 

8月16日は大文字の送り火で、送り火のテレビ中継を見ながら、送り火ミニどらを食べた。もっと上品な麩菓子系もあったけれど、しっくりくるのはやっぱりミニどら系。ひとつのどら焼き(三笠)の上に、五山の送り火文様をすべて模したお菓子なんてのもあって。

f:id:waltham70:20180820233435j:plain

左大文字に舟形

ひとつで功徳総どり系っぽくて、日本人の合理性というかちゃっかり性というか、面倒くさがりが凝縮されてるようで好きさ。ちゃっかりという言葉や態度も、そういや英語にしにくい系の日本語。近頃は外国の人が英語で落語をやってたりするけれど、英語にしにくい系のことば。どう訳してるのか、気になるやね。

 

やってはいけないことをやらかした集団は、より抑圧的な強者がやって来る前にスタコラ逃げる。というのは、休み中に見た絵の解釈さ。

 

お休みなさーい。

「あんなことがあったんだもの、しょうがない」理論

新築マンションの平均取得価格がバブル期超えの波は、北の国まで遅れて届いて、中古マンションの価格設定まで強気。

 

キャピタルゲイン狙いがあからさま過ぎるもの。誰が買うの???

 

中心部の中古か郊外の新築か。どちらにしても、納得価格でもお手頃価格でもない時は、「おうち」以外への出費が増えそうなものなんだけど。賢くなった消費者に、過去の経験則は一体どれほど通用するものなのか。謎。

 

お盆を過ぎるとすっかり涼しくなって、なんだか喉が痛い。涼しいを通り越して、夜ともなるとすでに寒いから、いつまでも夏気分で薄着だと風邪引きそう。今年の夏は天候不順だった。。と、貴重な夏空の写真を振り返って思い知る。瞬間的に猛暑がやって来ても、たかが知れてる。

f:id:waltham70:20180819234929j:plain
f:id:waltham70:20180819234933j:plain

f:id:waltham70:20180819234925j:plain

それぞれ別の日、別の場所で撮ったもの。

 

オロロンラインをひた走った昨年に比べれば、あんまり出掛けた気もしないけど、それでもボチボチ今年の夏も出掛けてる。どこに行っても外国人観光客が居ない場所はなく、“正月はハワイ”みたいに、“夏は北海道で避暑“がアジアで定着すれば、観光客数も右肩上がりでめでたいね。

 

外国人観光客とは縁の薄いところには、外国人観光客に押し出されるカタチで別の観光客が増えるはずだから、この波に乗り遅れるなと過剰に心配することもなし。生き残ってきたのは、いつだってリアリスト。

 

水と油に月とすっぽん。白と黒に優等生とヤンキー、あるいはスポーツマンともやしっ子。そのままでは、仲良く手を繋ぐことなんて考えられない二者を結びつける魔法は、「あんなことがあったんだもの、しょうがない」。

 

Aが困った状態に置かれた時。Aに救いの手を差し伸べたのは、類とものA´ではなく対極にあるBだった。ということでもあれば周囲の人も、それならしょうがないと奇妙な取り合わせにも納得しがち。

 

でもさ。最初から、「それならしょうがない」と周囲に思わせるために、Aに差し伸べられた類ともであるA´からの救いの手のことごとくを、Bが蹴散らしていたら、話はまったく違ってくる。

 

そうして出来上がった奇妙な取り合わせで、いっちゃん「得してる」のがBだったら、「あんなことがあったんだもの、しょうがない」と思われるような出来事の首謀者も、ほんとは誰だったのか怪しくなる。と、考える人もここにおりまして。

 

ほぼすべての揉め事は、金銭がらみ。動くゼニ金が大きくなるほど、揉め事もおおごとになりそうな一方で、動くお金がリアルに想像できる、現実的な金額の案件ほど揉めることもままあって。相続でも、多いとは言えない財産ほど争いが激しくなるとか言うのも、納得。抱え込むマイナスが大きくなるのも、十分に揉め事の種。

 

何人もの名前、表札がズラズラと並んで「私たち、相続でもめてまーす」と世間に向けてアナウンスしていた立派な一軒家があったのも、バブル期の景色。あなた誰?という親戚が沸いてきて各々権利を主張する景色が繰り返されると、「ゴネ得」が当たり前になって社会に浸透すんだよな。

 

そりゃ、ルールで先手打ちますわ。

 

お休みなさーい。