クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ただの日記

  • 江戸時代から続く伝統ある秋祭り、長崎くんち始まる
  • インフルエンザワクチンの製造量、昨年を下回る見通し。厚労省、自治体に適切な運用を促す
  • アメリカ、スーダンに対する経済制裁を10月12付けで一部解除と発表

横浜中華街、あるいはハウステンボスとのコラボかな?と一瞬錯覚する、異国情緒あふれる長崎くんちの光景よ。長崎というエキゾチックな土地の来歴が、ギュギュっと凝縮されていて面白い。ノーベル文学賞発表後のここ数日は、長崎推しも激しいやね。

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雨上がりの空

秋祭りたけなわ、三連休初日ということで、全国各地でお祭りが行われているっぽい。ほのぼの。

 

全国花火競技大会は、土浦花火大会で幕。花火大会なのに無防備な恰好で観戦すると、寒くて凍えそうになったもんさ。花火は、うちわや扇子をパタパタしながら鑑賞したいもの。その方が風情も5割増し。

 

雨上がりの空は、雲が刻々とその姿を変え、名もなきアートみたくて見飽きない。インスタ映えする一枚は、電線が邪魔してなかなか撮れないんだけどさ。

 

ネット通販で時々服を買う。モデルは、ナイスバディとはいかない普通の店員さんが務めていることも多く、親近感を抱きやすい見た目だから買いやすい。身長と、通常着用サイズが明記されていると、アタリもつけやすくて失敗も少ない。

 

ほっそい脚にほっそいウエストの、ナイスバディな人が実在するのは確か。でもナイスバディであることに、執念燃やしてる人ばかりじゃないから、加工修正済みの写真にはそれ用のマークをつけて、よりリアルに近付ける試みは、いい感じ。

 

人間関係を金銭に変える人。いっちゃんわかりやすいのはマルチだけど、その手の人にとって「人間関係は単なる金融取引」でしかないから、なんでも高速。シュパッときて、シュパッと去る。

 

SNSには、その手の人がウヨウヨしていて面倒クセェ。面倒くさいから、スマートスピーカーというワンクッションをかましたくなる。

 

Googleホームはそのうち買うつもりだけど、年内に出るというAmazonエコーも出たらきっと買う。リビング用とその他として使う場所で分けてもいいし、同じ部屋に置いて、気分で使い分けてもいい。

 

わざと同じ質問をして、違う答えが返ってくるかを確かめたいという気持ちあり。でももっともやってみたいのは、GoogleホームとAmazonエコーで会話させること。無理?会話にならなくても、各々の答えに何か反応があるかどうかを見てみたい。それだけ。

 

アホそうなことばっかり質問するAよりも、賢そうな答えを返すBが気になって友達になりたいんじゃない?AIだって。犬や猫だって、相手によって態度変えるんでしょ。AIだって、序列つけて態度変えてるかもしれないから、そばに置きつつ検証したくなる。

 

ハロは、ハロハロ言いながら周辺を飛び回っていれば、それでよし。それだけで癒しになるし、何だったらBB-8型でもいい。

 

丸まっちくて、子どもの側に居ても威圧感のないルックスのペットロボ。もしも留守がちで、ベビーシッターや家事代行を頼まざるを得ない家庭だったら、子どもの側にはペットロボを置いて、お守り代わりにする。おもりじゃなくて、おまもり。

 

カメラ機能は当然ついていて、子どもの心拍数が突然跳ね上がったり、衝撃を受けたりしたらセンサーが作動、できれば通報できるようになっていて欲しい。

 

心拍数が跳ね上がりでもしたら即座に寄ってきて、変事がなかったか確認するイメージ。子どもがまだ小さくて、自身の身に起こったことを言語化できなかったり、恐怖や脅威をそれとわかっていなくても、何を見聞きしたのか後で再生確認できるようになっていると、安心。

 

恐怖や脅威を取り除くのは、大人の仕事。

 

ペットロボに期待するのは、恐怖や脅威を見つけやすくする、ガーディアン的な役割。それでいてキュートな見た目で、ハロハロと呑気なことでも言いながら、コロコロでもプカプカでもしていてくれれば、一見平和な光景だから、それでよし。

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鮭のおにぎり。

あとはペットロボに積極的に話し掛ける習慣つけさせて、“イマジナリーフレンド“が実体化したような存在として、子ども目線で感じた違和感や変事を、会話を通じて録音でもできるようになってるとより安心。

 

あれちょっと変だったよね?と思うようなできごと。マシン相手だったら打ち明けやすいもの。ついでにマシンだったら、特定の子どもの周囲で変異が続く確率くらい計算出来て、偶然か故意かもわかって、警戒すべきどうかも判断つきやすいでしょ。

 

お休みなさーい。

ただの日記

核兵器廃絶でノーベル平和賞受賞は、何回目ですか?と聞きたくなるけれど、そのたびに違う団体が受賞してそうだから、まぁいいんだよな。世界平和に近づくためのテーマはそうたくさんはなくて、世界平和に近づきたい団体はたくさんあるから、順番ってことで。

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で、誰?と言いたくなった団体だけど、興味関心が異なればカズオ・イシグロだって「で、誰?」とくくられる人。知名度アップが一番の収穫なんだな、きっと。

 

えらく冷え込んだ昨日と同じ感覚で着込んだら、今日は汗ばむ陽気でしたというオチ。札幌より東京の方が、寒かったはず。

 

気温によって羽織るにふさわしい上着、ジャケットがいいかコートがいいかがひと目でわかるようになってた天気予報。重宝してたんだけど、気を抜くと、もうどこのサイトだったかわかりゃしない。

 

という事態に備えるためのブックマークでお気に入りで、RSSだったんだけど。アプリはともかく、スマートスピーカーになったらどうしましょ。

 

山ほどチャンネルがあったケーブルテレビには、お気に入りのチャンネルを素早く見つけ出す仕組みは、そういやなかったような。ザッピングあるのみで、番組単位での録画機能はあっても、チャンネルをお気に入りにはできなかったはず。

 

保存して後で見返せる便利機能、スマートスピーカーに搭載されるのはもう少し先で、見返したいような有用な情報は、また別のデバイスでどうにかしてねということか。

 

使ってみないと、そもそもわかりゃしないんだけどさ。

 

テレビ放送が始まった当初の番組は「後で見返す」なんて夢にも思わなかったから、当時のフィルムは使い回しにされて番組そのものも残ってない。なんて話を聞いたことがあるせいか、見返すことを前提にしてるのかどうか、ちっさいことを気にしてる。

 

検証されることを前提としてなかったら、嘘、あるいは嘘とは言わないまでも情報発信側にとって都合のいい情報だけ吹き込まれそうでイヤねー。と、警戒感を露わにするくらいだったらそもそも使わなきゃいいんだけど、使いたいのよね。

 

新しいものは次々に生まれるけれど、自分にとって居心地のいいところで時間を止めたい今日この頃。料理本を例にとれば、美味しそうには見えるけどさして食べたくはないというレシピも増えて、だから買わないし作ろうともなかなか思えない。

 

何かが過剰。

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断捨離する前に、もう一度読み返そうと思ってなかなか断捨離が進まない家の中の本。

 

サラバじゃ、とすべてきれいさっぱりゴミに出したらきっとすっきりする。紙と書類が多過ぎの我が家。業者さんにもそう指摘されたので、まぁ他人の目から見てもそうなんでしょう。手許に残したいのは、故人のものだけ。実行に移すには、まだちょっと未練と億劫が勝るけれど、そのうちに。

 

お休みなさーい。

ただの日記

カズオ・イシグロの『日の名残り』、小説も映画も大変好きな作品で、ノーベル文学賞受賞は素直に嬉しいヽ(^。^)ノ 翻訳の力もあるけれど、エレガントとか端正という形容が似合うので、俗世のことは一切忘れて、品がある世界に没頭したい時にとってもいい。

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夕暮れ時

インターネットは好きか嫌いかと言われれば、間違いなく好き。他に選択肢もなくはないのに、結構な時間をネットで過ごしてるくらいだから。

 

今では当たり前となったものに、わざわざ好きと言うのも変だけど、当たり前じゃなかった時代から使ってるから、やっぱりそこにはそれなりの感情がある。

 

で、ついにGoogleホームが日本上陸ですよ。買っちゃうよね、とりあえず。ネットの世界は玉石混淆だけど、Googleホームを通じて触れる情報は、よりオーソライズされたものなのか否か。まずは試してみたいよね。

 

ヤフーニュースに、スマートニュースにグノシーに。そこに今後は、Googleホームも加わるのか。公式あるいはパブリック的なプラットフォームの体裁が整えば整うほど、それ以外との差も開いてわざわざ断らなくても、ここはプライベートで私的な領域なんだと、“好きなこと”に没頭できる。喜ばしい。

 

Googleからは、40か国語に対応したリアルタイム翻訳機能付きのイヤホンも発売される(日本にいつ上陸するかは不明)とのことで、言葉の壁を越えても話したいことがある、意思疎通したい人にとっては朗報。

 

私はこう思うというプライベートオピニオンを強く持ってる人ほど、言葉の壁も越えやすいということで、自国語で存分に考えて言語化できる人ほど有利ってことさ。

 

ウィリアム・サローヤンという作家は、トルコ生まれのアルメニア人で、アメリカに移住した人。故郷喪失を作品にも反映した、越境文学とか何とか言われてたような気もするけど、定かじゃない。

 

ここではないどこかに、常に忘れ物をしてきたような感覚がつきまとうとでも言いましょうか。『日の名残り』にも、世の中が変わっていくことへの戸惑いが描かれていて、その戸惑いは時間も場所を越えても共有できる感覚だから、今でも印象に残っている。

 

名家の執事ともなれば、家政を取り仕切る人としてどっしりと構えてそうなところ、謹厳実直どっしりと構えてはいるものの、内心は時々途方に暮れてる様子が垣間見られて、イギリスの執事という遠い世界の人なのに、親近感さえ感じられた。

 

世界、あるいは世紀の変わり目には、誰だって不安を抱えて浮足立つもの。浮足立った人に注がれる眼差しもそんなに厳しくなくて、虚仮にするような意地の悪さとも無縁だった。もちろんこれは、個人の感想です。

 

日の名残り』で原題はThe Remains of the Day. どちらにしてもエレガントで美しい。

 

それとは全然関係ないんだけど。

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今日の方が丸いお月様

映画『キングスマン』のラストで、コリン・ファース演じるベテランスパイが、世界規模でのテロを計画したIT富豪ヴァレンタイン親派なメンバー達の頭を次々にぶっぱなしていくシーンがあって、なぜかそのシーンが脳内でエンドレスに流れて困るんだ。

 

お休みなさーい。

クズにはクズなりの理由がある『ラリー・フリント』見た

PLAYBOYの創刊者ヒュー・ヘフナー死去のニュースに、そういや彼を主役にした映画があったよな。。とAmazonを探してみたところ、ハスラーの創刊者ラリー・フリントと勘違いしてたことが判明。

ハスラーは劣情をウリにする下品な雑誌

PLAYBOYハスラーの紙面の違いや読者層の違いなんてそもそも知らないけど、映画『ラリー・フリント』を見れば、よくわかる。

 

PLAYBOYに出てくる女性は、成功者あるいはお金持ち男性のマスコット的存在で、だから女性目線で見てもかわいいあるいはきれいに見える。それに対してハスラーに出てくる女性は、年収の低い男性の劣情を煽る存在で、女性目線で見ると下品。

 

ハスラーの創刊者であるラリー・フリントのセリフとして、年収2万ドル以下の男性の欲望に合わせるとあったので、狙っての路線だったことは間違いなし。

 

劣情を煽る存在とはいえ、後にラリー・フリントと結婚するアルシア役のコートニー・ラブが、とにかくかわいくてキュート。下品でいかにもアバズレなんだけど、遠くから見るだけだったら(つまり関係者として振り回されるほど近しい関係でなければ)魅力たっぷり。

 

ちなみに、表現の自由にもマイノリティの権利向上にも興味関心に乏しく、その手の運動を一緒にやりましょうよと寄ってくる人が居たら、塩蒔いてあっち行けと怒鳴りつけるタイプの人による感想です。

 

ベビーブーマーが彼らに富をもたらした

赤貧と言っていい、ラリー・フリントとその弟の貧しい少年時代から映画はスタートする。時代は第二次大戦後間もなくのアメリカで、1942年生まれのラリー・フリントは、ベビーブーマー世代のちょっと前。弟のジミーは1948年生まれだから、ばっちりベビーブーマー世代。

 

成長した彼ら兄弟は、女性の裸を見世物にするストリップバーを経営するようになる。映画の前半はわりといかがわしい&しかも美しくともなんともない感じで辟易。いかがわしくて、お金になる商売が彼らの原点で、高尚な哲学も何もなかったところがポイントさ。

 

高尚なことがしたくて、売上が上がらないから女性のヌードに手を出したわけでは全然ない。最初から彼らは下劣。

 

その地域では、初めて出来たいかがわしいお店。地域の風紀を乱すと反対運動が当然起こるけど、ラリーは気にもせず。

 

さらなる営業拡大を目指し、お店で働く女性のブロマイド誌を作り、『PLAYBOY』にインスパイアされて、劣化コピーかつ下品度200%増しな『ハスラー』の創刊を思いつく。

 

写真だけ載せるつもりが法律の壁に阻まれて、文章がないと雑誌にはならないと知って、見よう見真似で自分たちで文章も書くようになる。最初はすべて手作り。

 

アメリカが豊かになり、労働者が自分たち目線の雑誌を欲しがっていた頃。『ハスラー』は面白いように売れ、ラリーは大金持ちとなる。

 

劣情やゴシップは売れると確信し、その路線を突き進んだことがラリーの成功の源。

 

オールドメディアから見れば噴飯もののキュレーションメディアにまとめサイト、近頃だとフェイクニュースサイトがそれでも大儲けしたことを思えば、ラリーあるいは『ハスラー』は、その路線の開拓者かも。かもかも。

 

最初の大儲けのきっかけが、ジャクリーン・オナシス・ケネディのヌードだからな。嫌われるさ、そりゃ。

 

ヌードを扱うと、「産めよ増やせよ」が寄ってくる

劣情とゴシップで財を築くものは、いつだって良識派からは目の敵にされるように、ラリーも徹底的に、目の敵にされる。

 

いかがわしいものを公衆の場で売るなと非難されるけれど、いかがわしいものを求めるのは大衆だとばかりに、闘志満々。

 

出版の自由のために闘う人っぽい扱いになって、悪目立ちするようになると、思いがけない人が寄ってくるんだけど、これがなんと宗教。ジミー・カーター大統領の妹で、著名なキリスト教伝道者ルースがラリーに接近し、ともに神への道を歩きましょうとラリーをたぶらかすからアリシア、顎が外れそう。

 

ラリーに宗教家が接近するのは、ラリーが「産めよ増やせよ」を肯定してるから。本人にそこまでの意図はなくても、行為の結果はそういうことで、「産めよ増やせよ」の広告塔が居るなら、乗るしかないこのビッグウェーブに!!!って感じじゃない?

 

普通の人は慎ましくておとなしいから、そんなこと言わないもの。ついでに『ハスラー』のターゲット層もまさに布教対象にぴったりで、数の拡大を目指す人にとっては魅力的。

 

ラリーたちは儲けたかった。それもがめつく面白おかしく。そこに変な奴が乗っかってきたんだから、アリシアが不快になるのも当然。

 

伝道者ルースの影響で、一瞬品行方正になるラリーだけど、転機が訪れる。

 

銃撃事件がラリーの転機

いつものように法廷に呼ばれ、裁判所を出たところで、彼の弁護士ともども銃撃される。銃撃犯について、映画では深くその身元も思想的背景も追求することはないけれど、撃ったのは「産めよ増やせよ」とは関係なさげな男性。

 

お金にも女性にも不自由しない男性とは、対極にありそうな感じで察して下さい。

 

とにかくこの銃撃事件がラリーの人生の転機となり、映画もここでその趣を変え、面白おかしく大金を稼いでいたビジネスマンが、違う人になっていく。アリシアを道連れに。

 

銃撃により半身不随となり、「産めよ増やせよ」とも無縁となり、疼痛から逃れるために薬物依存となったラリー。

 

要塞のようなビバリーヒルズの豪邸のなかで、より薬物の悪影響を受けたのはアリシアの方。法廷で奇行を繰り返し、権威に喧嘩を売ることで生き甲斐を得たように見えるラリーと違い、アリシアには何もない。

 

ラリーの会社は順調に大きくなり、かつては一緒にバカをやっていた創業者メンバー達も、もはや立派なビジネスマン。

 

製品である『ハスラー』は、やっぱりバカと劣情がウリだけど、そこにはもう権威に喧嘩を売るような、かつての勢いはない。会社にとって、現在の彼らにとって、リスクになることは避けたがり、その態度がラリーやアリシアとの間に溝を作る。

 

ラリー、合衆国憲法修正第1条の伝道者となる

会社では孤独となるラリーだけど、法廷で奇行を繰り返し、権威に喧嘩を売る彼にはまた新たな支援者、あるいは共闘者が現れる。いかがわしいものを公衆の場で売るなという権威に対し、合衆国憲法修正第1条を持ち出すラリーの味方となるのはNYTなどのクオリティペーパー。

 

言論または報道の自由を守ると言うことは、どんなクズにだって発言と報道の自由があるということで、クズ中のクズっぽく見えるラリーが発言すると、効果も抜群。

 

奇行を繰り返し、いかがわしい商売で財をなした貧しい生まれの彼は、これ以上ないほどクズっぽい。その彼が、俺に発言させろと迫るんだから、言論または報道の自由を守る、これ以上ないほどの逸材だわな。

 

教養もあれば、往々にしてハイクラス出身のNYTに代表される知識人は、言論または報道の自由を守る大切さは知っていても、クズからはほど遠い。

 

クズじゃない人が、クズにだって発言の権利があるとどれほど言ったところで、説得力に欠ければ、“発言する機会にさえ恵まれないクズ“というクラスタの、支持も得られない。

 

言論または報道の自由に、知識人あるいはハイクラス層は、ただでさえ近くに居る。

 

近くに居るから独占もしやすく、クズに言論または報道の自由を開放すべきでないという考え方にも陥りやすくなる。ハイクラスの人ほど排除の気配にも敏感で、だから彼らはクズを自認する人が、“我はクズでございます”発言を歓迎する。というより義務として擁護する。

 

ラリーのように奇行を繰り返し、“我はクズでございます”と自身の立場を明らかにして、それでもクズな発言を繰り返せる人が、言論または報道の自由に携わる人の中に一体何人居るのか。そんなに居るわけねぇ。

 

お金もらってクズ役を演じる人は居ても、正真正銘クズであり続けることは、普通は無理。

 

昔は一緒にバカをやっていたラリーの会社の創業メンバーたちも、大人になって、もうバカなことはしない。

 

最初は見よう見真似でやっていたことも、そのうち習熟して上達するから、もうクズではいられない。いつまでもクズな人が居ると、何やってんだと発言や報道の自由を習熟者に限ると取り上げようとする。何を言ったかより誰が言ったかで、「誰」に権威がなければ聞く価値もなしとかすぐ言うじゃない。

 

ほら、言論または報道の自由って、とっても脆いでしょ?

 

最も脆弱なところから弱っていくから、クズを自認する人が、“我はクズでございます”と声高らかに発言できる場所は、言論または報道の自由をもっとも重く考える人によって守られる。

 

クズ役じゃダメなのよ。説得力に欠けるから。はした金目当てにクズ役を演じる人が出てくると、劣化に拍車がかかるから、とっとと放り出さないと。

 

ラリーよりクズなのは、実はアリシアの方

クズ中のクズを体現するラリーだけど、実はもっとクズなのは、アリシアの方。

 

ラリーが疼痛から逃れるために薬物に依存し、その余波で一緒にいたアリシアの方が重い薬物中毒になってしまい、ついにはエイズを発症する。

 

法廷に立つラリーには、一定の人の目が注がれるけれど、アリシアのことは誰も見ない。誰もアリシアの言葉を聞かない。汚いものとして、避けている。

 

長年ラリーの弁護士を務め、一緒に銃撃された不運な弁護士ジーンは、ラリーの奇行に嫌気がさして弁護を放り出すけれど、アリシアの頼みをきいて、ラリーの弁護人を再び務めるようになる。

 

ジーンは、病み衰えたアリシアにも以前と変わらぬ態度で接する懐の深い人。アリシアの目を見て話し、ちゃんと彼女の言葉にも耳を傾ける、彼女に触れることも厭わない。

 

創業者でもあるアリシアに、冷たく接するラリーの会社の人たちとは大違い。

 

そもそもお金儲けが出発点で、時代の波に乗って大きくなった彼らには、言論や報道の自由を守るという意識は希薄か、そもそもなさげ。それなのに会社だけは大きくなっちゃって、言論や報道というシステムの中にしっかり組み込まれてる。そこが、すごーく皮肉。

 

守る気もサラサラなさげな人たちだから、言論や報道の自由にも、ただし○○に限ると制限つけそうな未来が容易に想像でき、そうなったら次はプレスリリース垂れ流し機関へとまっしぐらだってことでしょ。

 

アリシアを演じるコートニー・ラブ、今何してるのかと検索したら、相変わらず「お騒がせ女優」の異名付きで、ゴシップネタになっていた。

 

この映画でいちばんすごいのはコートニー・ラブ

 

本来はキュートでかわいい人なのに、映画後半になると「化け物」。化け物を演じることで、彼女は一生クズの側に立つと、スティグマを背負ったようなもの。この映画での演技がすごかったから、演技派女優をめざしてもいいところ、そんな道は選んでないところがやっぱりクズ。だからいい。

 

ラリーのアリシアに対する愛情が、性愛を越えて最後には父性にまで転じちゃっていて、思わぬ巻き添えで不幸にした、彼女への愛情の深さが感じられて、そこは切なさいっぱい。

 

ラリーがクズの中のクズとして自覚的に振る舞うようになったのも、どう考えてもアリシアのためとしか思えない。アリシアという対象者が目の前に居るからこそ、クズの中のクズであるラリーの言葉にも、重みと凄みが加わっている。

 

女性のヌードを商品として扱う同業者であるPLAYBOYの創刊者ヒュー・ヘフナーは、同時代を生きてるはずなんだけど。もちろんこの映画の中では影もカタチもなし。

 

同時代に生きる同業者であっても、「お前(=ラリー)とは違う」ということなのか。下しか見なかった人も居れば上しか見なかった人も居るということかも知れず、同時代を生きた別視点の人。という観点で、ヒュー・ヘフナーの伝記作品も見たくなった。

 

ただの日記

あんまり数が多くて笑っちゃった、米ヤフーの個人情報漏洩。誰でも閲覧可能な、電話帳に登録してたとでも思えば腹も立たなさそう。とはいえ名前にメールアドレス、電話番号に生年月日と、それだけわかれば他所でもアカウントが作れてしまうあたりが気がかりよな。

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曇りがちの中秋の名月。昨日の夜見たお月様の方が、雲も少なくてきれいだった。

 

お月見団子はすでに売り切れで、別のお菓子で代用さ。

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パッケージの月とウサギが可愛い。今日のグーグルロゴも月にウサギ。チョコパイのホワイトチョコバージョンのようなお菓子で、スポンジでベリージャムをサンドしてる。甘くてあんまり垢抜けないけれど、垢抜けないところがかえって魅力な素朴系おやつ。

 

コーヒーや紅茶よりも、冷たいミルクと合わせたい。カルシウムも取れて、苛ついた気分を鎮静化させるのにもますますよさげ。

 

タラバニ前イラク大統領を、タラバガニ前脚イクラ大盛りに空目する、海産物大国住み。イラククルド人初の大統領となった偉人相手に、まったくすまんことで。

 

タラバガニにもイクラにも、もうあんまりココロ踊ることは少なくて、毎日あるいは週に何度も会食で贅沢な食事に付き合わされていると、速やかに美食に対する興味も急降下しそうなものだけど、そこはやっぱり個人差か。お茶漬け、あるいは炊き立ての白いご飯サイコーという境地。

 

オーストラリアからは、トヨタだけでなく車メーカーはすべて撤退し、人件費etc.で採算が取れないらしいからだけど、それなら一体どんな産業だったら採算が取れるのかというと、資源採掘?

 

オールドタイプの製造業が撤退したあと、時代に合わせたどんなニュータイプ製造業が勃興するのか、しないのか。そもそも渇水に悩まされることも多い国、かつシドニーは将来的には50℃に達することも見込まれて、従来通りのモノづくりにはとことん過酷そう。

 

機械は勝手に過熱するものだから、耐寒と耐熱だったら、繊細な機械類により優し気なのは、耐寒の方だと思ってるんだけど。どうなんすかね。

 

機体も、その搭乗者239人のカケラも見つけられずに幕となった、航空機史上最大の謎となったマレーシア機事故。「史上最大」ということば、気が付けばだいたい毎日一度は目にしてる。

 

「人の目」が届かないところ、あるいは領域、あるいは余白は、ネットの中の世界よりもリアルの方がはるかに広大で、ネットのようにいつでもどこでもログが残って、見たいものだけが見れる世界の感覚でいると、足元を掬われる。

 

見たくないものは徹底的に排除した。つかまりたくないものからは、徹底して逃げた。なのにコレよ。あーあ、という感想しか出ません。

 

お休みなさーい。

ただの日記

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ライアンエアーにエアベルリンと、ヨーロッパ域内のLCCでは経営難や経営破綻が相次いでいて、LCCの競争厳しいんだな。。と、遠く日本に居ても感じることよ。飛行機をバスや電車気分で使う、安価で(☚ここ大事)長距離移動したい人が、それだけ増えたってことかいな。

 

父方の実家と母方の実家がそれぞれ別の国にあり、飛行機でしか行き来できない家庭とか。普通に多そうなのが欧州。グローバルとか言ったって、常にビジネスあるいはファーストクラスで移動する人ばかりじゃないってことで。

 

何かのニュースで小耳に挟んだ、“ソビエトで熊狩り解禁”のフレーズが耳を離れない。

 

ソビエト・熊狩りで画像検索すると、おかしな画像が引っ掛かってくるので、笑える。ソビエトとか言ってるくらいだから、昔の話。キツネ狩りのように、熊狩りも伝統的に行われていて、どこかで伝統を廃止あるいは禁止したものが解禁された時、熊狩り猟師の血も騒いだのか。

 

熊の肉に熊の毛皮。それなりに使いどころもあったのか???

 

史上最悪の銃乱射事件が起こったにもかかわらず、経済は調子よくって、ここんとこずっとそうだったように、ダウ・S&Pは最高値更新中。経済界は、史上最悪の銃乱射事件を歓迎してるサインとも取れて、繰り返しニュースで流れる乾いた発砲音とともに、嫌な記憶として残りそう。

 

ラスベガスという享楽的な場所で、カントリーミュージックのコンサートに集う人の悲劇は、経済界とは関係ねぇ。その手の悲劇は、そういう類の人を襲うもので、自分たちが居る場所とは無縁なんだという割り切りは、確かにあるよねハイクラスの世界では。

 

郵便番号で所得階層がきっちり分断されている世界では、地域の豊かさと治安は直結していて、強盗も殺人も、起こるところでしか起こらないものにされてたりする。土地に対するこだわりが、日本ほど強くないせいか、移動する人は簡単に移動するから、ますます分断も鮮明。

 

だからどうだって話でもなく、特にオチはなし。

 

衣食足りて礼節を知るとか言うけれど、衣食はじゅうぶんに足りてそうなのに、それでも礼節を知らず、銃器ぶっぱなしたい欲求を抱えた人の内心は、ネバダの砂漠みたいにカラッカラに乾いてそ。ホントのところは知らんけどさ。

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寒いんだよ。。

ノーベル賞の発表を受けて、ウッキウキでインタビューに答える日本人研究者の笑顔がステキだった。一年に一回しかない、単なるお祭り気分で盛り上がれる日。控え目なウッキウキが、そこかしこで見られたかも。かもかも。

 

インターステラー』の映画の監修に、今日ノーベル賞を受賞したキップ・ソーン博士が関わってたと知ったことが、本日いちばんの収穫さ。

 

お休みなさーい。

ただの日記

  • ラスベガスで過去最悪規模の銃乱射事件発生、コンサート会場を無差別に乱射
  • ZOZOTOWN、送料は利用者まかせ。利用者が送料を自由に設定できる制度はじめる
  • 民進党分裂へ。枝野代表代行、立憲民主党を結成

今週は、ノーベル賞発表ウィークと先週からワクワクしてたんだけど。アメリカにとっては幸先よく、3人の研究者が医学・生理学賞受賞してんだけど。同じ日に過去最悪規模の事件が、しかもラスベガスという場所で起こっちゃってて、これが分断か。。という印象だけが強く残りましたとさ。

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イーロン・マスクの火星移住計画。

 

実現性はともかく、基本的にはワクワクする。発表したのは世界最大の宇宙関連会議の場とのことで、アカデミックな人の反応がまずは知りたいところ。

 

物理学会誌に円城塔が寄稿するようなもので、国際宇宙会議スポークスマンによるPRかな?という気持ちもありつつ、国際宇宙会議2017のAstronauts Panelでは宇宙飛行士との質疑応答もできて、キラキラした目で宇宙に憧れる人にとっては、夢いっぱいの場であることは間違いなし。

 

ジュール・ヴェルヌが『月世界旅行』や『地底旅行』を発表した当時、その荒唐無稽さに世間が驚いたのと、似たようなものかもね。きっと実現すると思った人が、まずは未来の扉を叩くんでしょ。

 

海外情報を伝えるNHKの朝の番組で、社会貢献が気軽にできるアプリを紹介してた。善行、世の中を良くする行動に参加すれば、お目当てのアーティストが主催するコンサートのチケットが当たるというもの。

 

グラディエーター達の殺し合いを見に、コロッセウムに集まるよりずいぶん洗練されているけれど、ご褒美という報酬につられての善行は、やっぱりどう見てもポピュリズム

 

報酬を目的としない善行は、運動の継続が目的となって結局いつまでたってもゴールにたどり着けないから、だったら報酬で区切る。という理路はちょっとわかる。

 

わかるけれど、生活の糧となってる仕事がそもそも社会貢献に直結してるような人には、縁が薄げ。宗教観の違いもあるのかもしれないけれど、私的公的を問わず、空いた時間はすべからく社会貢献にあてるとかは理解の範疇外。

 

誰もが社会貢献に直結した職を望むわけでもなく、職とするのは“しんどい“人向けのカジュアル社会貢献か。影響力が武器となるアーティストにとっても、影響力を可視化できて心強そうなツール。

 

国慶節のロングバケーション中なのか、街中ではやっぱり中国語が頻繁に飛び交っている。ファッションだけではもう、どこの国の人かわからないくらい垢抜けてる人も居て、増える中間層とか経済成長という単語が脳裏で踊る。

 

彼らをよく見かけるのは、商業施設。ショッピングやグルメをお楽しみ中。

 

その一方で、ここもホテルだったのか。。と思うような古いホテルには、欧米系外国人旅行客が大勢吸い込まれていったりする。欧米系の人たちは、おしなべて地味。そんでもって高齢層多し。食と関係のない商業施設では、あまり見かけない。

 

定年後の暇な時間を、日本というお年寄りにとって安全そうな町で過ごしにきたのかな。と、いう目で見てる。

 

お休みなさーい。