クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

いつまでたっても戦争が終わらない戦士が可哀想すぎる『マン・ダウン 戦士の約束』見てきた

3月になると、年度末の予算消化工事や予算消化出張のように、一挙に映画の公開本数が増える。わりとマメに上映予定をチェックしてるのに、まったくノーマークの映画がひょっこり顔を出す。

 

『マン・ダウン 戦士の約束』も、まったくノーマークな戦場を舞台としたシリアスな映画。“圧倒的想像力をかきたてる衝撃のラスト8分!“のコピーにつられて見に行った。

 

ラストに仕掛けたっぷりで、つい語りたくなる。そんな作品だった。

 

戦場が舞台ながらもゲームチックで、ドンパチもスプラッタ―も嫌いな女性であっても嫌悪感なく見れた。ストーリー自体も霧がかかったようにミステリアスで、ミステリアスなストーリーに合わせて、映像もミステリアス仕立て。クリアーで明るいシーンは、すべて戦場に行く前のもの。過去がことさら明るく幸福に見えるなんて、悲しいね。

 

アフガニスタンから帰還した、アメリカ海兵隊員のガブリエルが主人公。戦場から帰還した故郷からは人が消え、妻も息子の行方もわからない。戦場から帰還した後も、戦場のような故郷で姿なき敵と闘い、消えた妻と息子を取り戻そうとする、哀しい戦士のお話。

 

予告編を見ればわかるけど、ガブリエルの息子ジョナサンが、とってもかわいいんだ。

 

とってもかわいいジョナサンは、ちょっとだけ気弱で線が細くて、そこがガブリエルにとっての悩み。ガブリエルは妻と息子を何よりも誰よりも大切に生きている人。根っからの職業軍人というよりは、生活のために軍人を選んだようなタイプ。

 

とはいえ海兵隊に入れるくらいだから、それなりに素質ありで、厳しい訓練にも耐えて立派な職業軍人へと成長する。

 

立派な職業軍人になるということは、立派な殺人マシーンになるということとイコールとはいえ、心、内心まで立派な殺人マシーンになることはできなかったのがガブリエル。

 

何よりも大切だと思っているものと、よく似た何かをすっかり破壊し尽し、取り返しがつかないことをしてしまったと悟った時、善良な人は罪の意識に耐えられない。狂う。

 

おかしくなる方が、正常なんだ。

 

言語化して他者に説明できるのは、「そのこと」について語ることができるのは、その人の中ですっかり整理がついた後。その時何があったのか。ガブリエルは、心の整理がつかないまま、故郷へと帰ってくる。

 

帰ってきた故郷はゴーストタウンのようで、愛しい妻と息子の姿も見えない。家族のようにいつも一緒だった親友も、もういない。

 

傷ついた心、魂を癒す場所や拠り所さえ失われたまま、どうやって傷ついた魂を癒すのか。

 

それなりに戦闘っぽいシーンも多いけど、リアルさからは遠く見えるのは、リアルな現実から遠く離れている戦士の心象風景に沿っているからと思えば納得。現実感なき世界を生きてる方が、ガブリエルの現実に近いんだ。

 

故郷は戦場ではないはずなのに、戦いは終わらず、家族の姿は見えない。

 

最終的に傷ついた戦士を受け入れるのは家族しかいないのに、その家族はおらず、家族にさえ受け入れられなかったら、その戦士はどうすれば戦いを終えることができるのか。

 

これじゃあいつまでたってももリアル、現実に戻れなくなるばかり。

 

ターゲットとした街を確実に落とし、住民が全滅しようが気にも留めず、大量虐殺も意に介さないマシーンのような人間なら、マシーンに置き換えてしまえばいい。マシーンにだってできるようなことを、やってるんだから。

 

感情のある人間だから、狂うし、おかしくなる。おかしくなる方が、戦場以外の場では、まともな人間さ。

 

衝撃のラスト8分間は、言ってみれば混乱と混乱の衝突。

 

そこが映画のキモだから、語りたいけど語れない。でもやっぱり語りたくなる。あのシーンは、戦場に最適化されたばかりに混乱してる人間と、平和な暮らしに最適化されて、戦場にある人の心理や背景を理解できない人との混乱がぶつかってできてるシーンだよね、と。

 

戦場経験者が見ている世界を、彼らにとっての現実を見せにくる映画。決して戦場に立つことはない人にでも、彼らの見てる混乱した世界はこうなんだよと、よくわかる。

 

戦場に行く前と後ではすっかり人が変わり、「あなたは一体誰?」となっても、在りし日の姿を思い出させるものさえあれば大丈夫。

 

息子のもとに帰りたい、ただ息子をもう一度抱きしめたいという父性愛が、ほとばしってる。父性愛に的をしぼったあたりが、とってもリアル。哀しいけど、職業軍人家庭ではありがちなことなんだろう。ありがちなことだったら、対策取ればいいだけのことなのに。

 

ちょっとひねりの効いた戦争もの。たとえどんなに話題になっても、『フューリー』なんかは絶対に見ることはない人間でも楽しめた。

 

お休みなさーい。

めざせスッキリ

地下鉄サリン事件の一報を聞いた時、後輩と顔を見合わせて「マジかよ。。」「なんじゃそりゃ」と驚いたことを、鮮やかに思い出す。

 

出来の悪すぎるフィクションを見せられた時と同じくらい、いたたまれなかった。

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(コンテチーズが美味しかった。メモメモ。)

『雨の日は会えない、晴れの日には君を想う』というタイトルは、ここ数年の中でも屈指のキャッチ―さ。晴れの日=人生順風満帆の時にはその人の不在を悲しみ、雨=泣きたいほど辛くて悲しい試練の時には、その人を巻き込まずにすんで良かったと思う。そんな愛し方を咄嗟に思いつくタイトルなんだけど、映画の内容はどうやらそうでもないらしい。

 

雨の日には君を想う、晴れの日には会えないだったら、それとっても都合のいい人よね。

 

気付けば3月もあと10日ほど。4月からは新年度。いつだってIt’s Newは喜ばしい。

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(ごぼうをバルサミコと赤ワインで煮てみる。酸っぱいけどいいおつまみ)

探し物があったので、ウロウロ。冬のコートはもういらないくらい、春めいた日。つっても北国基準だけど。お店で売ってるような春物を着るのはもう少し先。ここは東京と違う。足並みを揃えるべきは同じ高緯度地方のファッションで、GWまでにはもう一度雪が降ってもおかしくないから、油断はできず。

 

探してたのは、とってもしょうもない、小さなもの。小さすぎるし欲しいのも少量だから、ネットで注文するのも申し訳なくて足で探す。とはいえ探してる時には見つからないもので、生活がどんどん遠くなる街中では逆に見つけにくくなっている。行くべきは、イオンやヨーカドーなどのようなスーパーだったかも。

 

新生活準備で、生活用品を扱うお店はどこも長蛇の列。行く人来る人それぞれが、新生活準備に余念がない。そういやぼちぼち、引越しのトラックも見掛けるようになった。

 

あれも捨てたいこれも捨てたいで、処分したいものが山盛り状態。物置と化してる部屋+物置と化しているクローゼット分の荷物が消えたら、ずいぶんスッキリする。

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 (チーズかつおのおにぎり。コンテは塩気がきつすぎて、おにぎりには不向きだった)

あぁスッキリして暮らしたい。スッキリ暮らすためには電子機器のコードが邪魔過ぎで、なぜこんなにも電子機器のコードが多いのかと発狂しそうになる。エレクトロニクスの国の住民の自覚たっぷりな、自分が悪いんだけどさ。

 

当面の目標は、ルンバでもブラーバでもスイスイ掃除できるよう、家具を減らして床面積を広くすることさ。

 

お休みなさーい。

みつ豆とディズニー映画と

赤えんどう豆がたっぷり入った豆かん。唐突に食べたくなったので、記憶を頼りに自分で作る。

 

完成図としてイメージしているのは、浅草は梅むらの豆かんみつ豆の親戚だから、入っている豆は赤えんどう豆に違いないと決めつけていたけれど、梅むらの豆かんの写真をじっくりとっくり眺めると、赤えんどう豆より明らかに黒い。黒々としてる。もしかして黒豆なのか?

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(赤えんどう豆、ビフォーアフター

遠方に住んで実物が手に入らないと、こういう時に不便。

 

ほんとは黒豆かもしれないけれど、赤えんどう豆の食感の方が好きだから、赤えんどう豆を塩煮にする。塩煮にするか、砂糖で甘みをつけるべきか。ここでもまた悩んだんだけどさ。

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寒天を作るにも、甘みはどれほどにすべきか砂糖抜きにすべきかでまた悩む。記憶だよりでレシピなきスイーツ作りは、迷いがいっぱい。

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ゼラチンと違い、常温でも固まるのが寒天。適当な大きさにカットし、シロップとともに冷やして甘みを浸透させる。

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記憶の中の豆かんよりも、かなり頼りない感じに仕上がった寒天と、赤えんどう豆の塩煮が出来上がる。豆には火が通り過ぎた。ストイックに豆と寒天だけにしたかったけれど、誘惑に負けて、ついミカンの缶詰や思いつきでドライクランベリーまで入れてしまう。梅むらの豆かんからどんどん遠くなる。

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ミカンの缶詰のシロップだけでは、酸味があり過ぎていまいちなので、これもやっぱり思いつきで、「梅酒」を電子レンジで煮切ってみる。

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大きめの器でラップせず、電子レンジに1~2分かける。アルコール度数が19℃ほどあるので、煮切る前は濃厚に漂っていたアルコール臭も、煮切った後はすっかりどこかに消えている。梅風味が濃厚な甘めシロップの出来上がりで、こいつも加えて冷蔵庫へGO。

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(見た目はちっとも変わらない、梅酒の煮切り)

作りたいものとはずいぶん違ったけれど、とにもかくにも完成。

 

寒天の材料は、水とグラニュー糖だけというシンプルさ。水のゼリーみたいなものだから、固さも味付けも加減が難しい。まったく甘みがないと、多分食べる気がしない。

 

寒天の固さも、豆の塩梅も、材料はシンプル極まりないのに、どうしてこんなにも出来が違うのか。シンプルなものほど巧拙もくっくりはっきりで、難しい。

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(赤いのは、ドライクランベリー

『モアナと伝説の海』は、オセアニアポリネシアを文化的背景にしていて、『ムーラン』は中国ルーツ。『アナと雪の女王』は、いかにもディズニーらしいっちゃらしいお伽の国ではあってもやっぱり北欧圏の文化が濃厚に漂ってる。そういや『ポカホンタス』なんてのもあったね。

 

同じようにエキゾチシズムあふれる作品を日本を舞台に作るとしたら、その題材はどこから取るのか。

 

日本人にとってはお馴染みだけど、海外では知名度が低いものと言えば古事記、歌舞伎、源氏物語に、あるいはすでに宮崎駿がやってるけどかぐや姫とか?

 

マレーシアでは美女と野獣の同性愛シーンに物言いがついたそうで、作品の真価とは別の部分で物言いがつくのは作品にとっての不幸。たくさんの人に見てもらってなんぼの作品には、全方位から文句が出ないものの方がいい。

 

『モアナと伝説の海』では王子様役が見当たらないのは、深謀遠慮の結果でもあるのかも。エキゾチックな舞台でシンデレラストーリーをやったところで、目新しさもなければ、あるかもしれない誰かやどこかのコンプレックスを、無用に刺激する危険性もあるから。

 

結局マウイというキャラそのものにも、物言いがついてたみたいだけど。

 

ディズニーのようなグローバル企業が、いかにもディズニーらしい作品を持ち込んでも、ローカライズされた作品を持ち込んでも、どっちにしても反発する人はするわけで。嫌なら見るなとは言えないところが、ビッグカンパニーのツラいところ。

 

もしもディズニーが、日本を舞台にエキゾチックな作品を作ろうしたら、選ぶモチーフは何にすると面白くなるか。日本人にありがちで日本人大好きで、他国からもの珍しがられるものといえば、忠臣蔵とか?

 

ディズニーの定番お姫様ものも外して、少年(=大石内蔵助の息子)を主人公にすることだってできる。ディズニーが作る忠臣蔵、それ見て見たいかも。

 

お休みなさーい。

ディズニーなのに王子様の出番なし、『モアナと伝説の海』見てきた

思わずハミングしたくなる、ステキな曲がいっぱいの『モアナと伝説の海』見てきた。見たのは字幕版。


映画『モアナと伝説の海』日本版予告編

 歌って踊る、海洋冒険ファンタジーにして、“嫌々”バディもの。見終わった後は、背筋が伸びて前向きになれて、心が凪ぐ。さすがディズニー。出てくるキャラクターもみんなカワイイ。凶暴でもカワイイ。

 

海に選ばれた少女モアナと、ごっつい割りにはすばしっこい大男マウイとの、凸凹コンビによる海の旅冒険編。ポリネシアンな南の海がとぉーっても魅力的で、今すぐハワイやボラボラ島あたりのリゾート地へと飛んでいきたくなる。年度末で仕事とストレスが溜まってる人には、目の毒で超キケーン。でもきっと、リフレッシュできる。

 

“海に選ばれた少女”という、ごっついパワーワード持ちの少女モアナが主人公。海に選ばれ愛されてるだけじゃなく、村中の人からも愛されてスクスク成長中。親に止められようと、掟を破ることになろうと、行ってはいけないとされる、遠い海の向こうに行ってみたくてしょうがない。

 

なんたって、海が呼んでるから。

 

おいでおいでと、モアナを海へと誘う波の動きが、素晴らしくよく出来ていて、CGやアニメーションの門外漢でも、こりゃすげぇ技術なんじゃないのか???とうっとりできる。

 

うっとりするのも道理で、

もうひとりの主人公“海”

と、映画公式フライヤーにもくっきりはっきり明記されている。フライヤーといえど、本国のGOがないと勝手なことは書けないらしいからな。これは公式見解ってことでいいんだろ。バディとなるマウイの立場どこよ。。

 

さて海に選ばれた少女といえど、航海は未経験のモアナ。海と運命がモアナのバディにと選んだのが、変身の達人マウイ。

 

モアナより年長のおっさんなんだけど、メンターというには稚気があり過ぎて、バディがいいところ。ぶっちゃけ相当大人げない。ロマンスなんか生まれようもない、モアナとマウイ、二人の距離感と関係性は、本意ではないけれど共同で作業に当たるしかない、どこかの職場でも通用するかも。かもかも。

 

恋愛抜きのバディというこの二人の組み合わせ、今までのディズニーにはないから新しい。

 

モアナはお姫様(というにはかなり質素)っぽくもあるけれど、今回王子様は出てこない。ディズニー、ついに王子様追放しちゃったよ。。王子様が居なかったら、ヒロインは強くなるしかない。ところでどうしてそんなに女性を活躍させたいのさ、ディズニー。その一方で、父親は娘に対して過保護になるばっかりなんだけど、そこさえ織り込み済みなのか???

 

全身にタトゥーが入ったごっつい風貌のマウイなんだけど、このタトゥーがまた大変によくできていて、見もの。

 

ファッションで入れるタトゥーとは明らかに別物の、民族固有の伝統に根差したものだったねそういやと、タトゥーのルーツに思いを馳せられる。

 

舞台としたオセアニアポリネシアに調査旅行をし、歴史や文化を入念にリサーチした片鱗と異文化へのリスペクトが、どのシーンからも顔を覗かせる。

 

純然たるエンタメ作品ながら神話的で、適度にワンパターンで教訓的で、落ち着くべきところに落ち着いて、よかったよーと別の世代にも繰り返し伝えたくなる。結末もストーリーも、すっかりわかっていてもなお、何度でも飽きずに見れそう。

 

心疲れた時に見るべきウォッチングリスト入り、確定。監督コンビは『リトル・マーメイド』も手掛けたらしいからな、それも納得。

 

モアナは航海に出る気満々ながら未熟で、女神テ・フィティの心を取り戻すという「使命」を果たすにも未熟。一方マウイは航海に出る気はサラサラなくて、イヤイヤ渋々ながらも航海の腕は達者で、頼りになる水先案内人。

 

荒波に揉まれたら、大抵の人間は鍛えられる。組む気のない相手ながら、しっかりバディとして機能していく過程に成長あり。少女モアナはもちろん、マウイだって成長する。成長しない冒険の旅なんて、見たってしょうがない。

 

鍛えられるのは、わかってるんだけどさ。じゃあそもそもどうして、誰も漕ぎ出したことのない海へと漕ぎ出すのさ?という答えも、「使命」とは別にちゃんと用意されているからますます神話的。

 

危険を冒しても航海に出るのは、実り多き場所、豊かな新天地を求めてのこと。

 

産めよ増やせよで一箇所にとどまっていたら、煮詰まってやがてその土地は枯れてしまう。あるいは、天変地異が待っているかもしれない。

 

ワンピースにパイレーツオブカリビアンに、古くは宝島に。海賊のイメージがつきまとう航海は、そういやそもそも新世界を求めてのものだったよね。リメンバー大航海時代。航海に出る船が増えたから、海賊という隙間産業も産まれたようなもの。海賊が先じゃない。航海は、誰かから奪うためじゃない。

 

あらゆる生き物を産む女神テ・フィティの造形がまた、神話的でス・テ・キ。最後までワクワクが途切れない。もちろんこれは、個人の感想です。ストーリーに退屈を感じた時は、技術に思いを馳せればよし。相当高度な技術が、使われてるっぽい。

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すべてのピースが収まるべきところに収まった時、現れるのはとびきり美しい航海図。羅針盤となる景色があって初めて、飛び出してみたら?と未経験者にだって勧められるってもの。

 

大人というには未成熟で、トリックスターそのままに茶目っ気たっぷりなマウイのキャラにイメージぴったりな声を、ドウェイン・ジョンソンが演じてる。字幕版で見てよかった。

 

インタビューで、ドウェイン・ジョンソンがおいおい泣いたとか言っていた。この映画でおいおい泣いたのか???と、あの巨体とのミスマッチで不思議な気持ちにもなれる。

 

お休みなさーい。

埃とケン・ローチとイエスマンと

車道の雪はすっかり融けて、一年でもっとも茶色くて見るべきものもないシーズンに突入。水溜り注意、泥はね注意で、油断ならねぇ。

 

“世界はゴミを送ってくるが、我々は音楽を送り返す”というフレーズが気に入ったので、メモメモ。ドキュメンタリー番組で使われていたフレーズさ。

 

雪が消えつつあるせいか、あちこち地面を掘り返してリニューアル工事中のせいか、埃っぽい。おかげで外出意欲も減退気味。思いがけないところに雪が残っているので、車を使うにはまだ早くて不便。

 

立派過ぎる二本の足で歩けばいいんだけど、それが億劫になる水溜りの季節なのさ。

 

2016年に、カンヌでパルムドールに輝いたケン・ローチ。この機会に旧作も動画入りしないかとポチポチ検索するも、お目当ての作品『大地と自由』にはなかなかお目にかかれない。

 

スペイン内戦を舞台にしたもの。ということくらいしか知らない。スペイン内戦といえば、ヘミングウェイジョージ・オーウェルも参戦したという、ある種の人のヒロイズムを刺激した戦い。その経験が『誰がために鐘は鳴る』や『武器よさらば』、あるいは『カタロニア賛歌』に結実したっぽい。

 

ヒロイズムが爆発した奴はもういいから、もっと違った視点のフィクションが見たいと思ったからのケン・ローチで『大地と自由』だけど、今は見ることが叶わないので、かわりに『麦の穂をゆらす風』を見る。原題も『The Wind That Shakes the Barley』と美しいタイトルに美しく牧歌的な景色には似合わない、アイルランド内戦がテーマだった。。重い。

 

そういやもうすぐ聖パトリックディだけど、アイルランドといえば、アメリカを筆頭に世界中に移民を輩出してる、移民国家。祖国を後にする人が多いということは、祖国が相当に住みにくい場所であったことの証明でもあって、飢饉による食糧難に加え、イギリスからの独立闘争で内戦状態を経験したら、そりゃ住みにくかろ。

 

住みにくかろ、という軽い感想が許されないぐらい、重いシリアスな映画で、不真面目に鑑賞するには不向きだった。ごめん。面白きこともなき闘争の日々をフィクションにしたところで、面白くはならんわな。辛いだけで。後世に伝えたいという、情熱で出来てるような作品だった。監督はきっと真面目。

 

安定は平和への第一歩で、豊かさへの近道。争ってばかりだと国が荒れるだけ。荒廃にも争いにも嫌気が差した人から、故国を後にしたんじゃなかろうか。

 

先に出国した人が居るから、安心して後も追えるってもので。移民大国は、国にとってはいいことではないけれど、それが生き残る道ならしょうがない。

 

重苦しい気分を『イエスマン“YES”は人生のパスワード』で口直し。

 

ジム・キャリーの顔芸がいい。ズーイー・デシャネルの相手役と考えたらイヤだけど。もったない、もったいない、もったいない。

 

すべてにYESで応えていたら、いいようにカモにされて、最後は丸裸にむしられるよ!との警句も込めたコメディでいい。

 

NOと言えば、NOマン!NOマン!と詰め寄られるシーンが怖かった。集団での同調圧力は、コワ過ぎでイヤ過ぎさ。

 

なにごとにもYES、ポジティブな態度で臨んだ方が、いい結果も出やすいけれど、嫌なものはイヤときっぱり断るNOの力、使いどころが大事やね。

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顔芸が、いい息抜きになった。

 

お休みなさーい。

ミモザケーキとFesta della Donnaと花より団子

3月といえば卒業シーズンで送別会シーズンのせいか、どこの花屋さんも見たこともないほどの花でいっぱい。夕方になるときっちり空になっている花入れ多数で、フル稼働で花束制作中なんだろう、きっと。

 

春を感じる花と言えば、ミモザ。チューリップもスイートピーも春の花っちゃそうだけど、今どきだと花屋では年中手に入る。ところがミモザはそうもいかなくて、春先にしか手に入らないから春の花。

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というわけで、ミモザケーキを作ってみた。

 

3月8日は、ミモザの日。Festa della Donnaとイタリアでは呼ぶらしい。女性に敬意を表し、ミモザの花束とミモザケーキを贈るとかなんとか言われてる日。ミモザは花屋で手に入るけど、ミモザケーキは周辺では見かけない。というわけで、作ってみた。自分で。

 

「Torta Miosa」で画像検索すると、本場のミモザケーキが大量に発掘される。ついでにレシピも眺め、ミモザケーキの全体像を把握する。

 

スポンジケーキ+カスタードクリーム+生クリーム+スポンジケーキを細かく砕いたものでデコレーション。が、正解っぽい。ミモザの花そのものをデコレーションとしてあしらったり、いちごだったり、他の花だったりというアレンジに、その店の個性があるらしい。

 

まずは、スポンジケーキを作る。

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クリームでデコレーションすることを見越して、小さめの型で焼く。スポンジケーキの焼き方にもいろいろあれど、卵白のメレンゲとクリーム状の卵黄を混ぜ合わせる「別立て」で作ってみる。

 【材料】

  • 小麦粉 80g 
  • 卵 4個 
  • ラニュー糖 120g 
  • 溶かしバター 30g

まずはメレンゲから作る。

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ラニュー糖の半分を入れて、角が立つくらいまで固く泡立てる。

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卵黄に残りのグラニュー糖を入れ、湯煎にかけながらもったりとクリーム状になるまでよく混ぜる。

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 クリーム状となった卵黄に、メレンゲの半分を加える。

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小麦粉を加える。

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残りのメレンゲを加え、さっくりと切るように混ぜる。溶かしバターを加える。

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180℃に予熱したオーブンで30分ほど焼く。

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よく膨らみました。直径15センチの型を使用。スポンジが冷めるのを待つ間に、カスタードクリームを作る。

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焼きっぱなしのケーキを作る時は、ここで作業終了でラクチン♪なのに。。デコレーションが必要なケーキを作らないのは面倒くさいから。このあとカスタードクリームも作って、さらにデコレーションまでするんだぜ?めんどくさ。

www.meg-snow.com

カスタードクリームは、栗原はるみのレシピを参考に。残る卵白をどうするか???問題をのぞけば、わかりやすい分量で作りやすい。

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【材料】

  • 卵黄 2個分 
  • ラニュー糖 60g 
  • 薄力粉 大さじ2 
  • 牛乳 1カップ 
  • バニラエッセンス、レモンエッセンス

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卵黄にグラニュー糖を加え、よく混ぜる。薄力粉も加える。

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電子レンジでひと肌程度に温めた牛乳(ホットミルク程度)を少しづつ加える。

 

ここから火にかけ、もったりとしたクリーム状になるまで、よくかき混ぜる。

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仕上げにバニラエッセンスとレモンエッセンスを加えて、カスタードクリームの完成。

 

スポンジケーキは焼き色のついた上部をカットし、半分の厚さにカット。コンビニケーキの、きめ細かいしっとりとしたスポンジケーキとは似ても似つかない仕上がりに。カステラの端っこ詰め合わせみたいなビジュアルながら、焼き立てはたいへんふんわりしていて美味。

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ほんとはシロップを塗った方がいいとわかりつつ面倒なのでカット。いきなり生地にカスタードクリームを塗る。片方のスポンジには、食べやすい大きさにカットしたいちごを散らす。使用したいちごは多分6個ほど。

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重ねたスポンジケーキを生クリームでコーティング。生クリームは、接着剤がわりなので、雑に塗ってる。

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小さな型で焼いておいたスポンジその他をおろし、細かく砕く。チーズ用のグラインダーでもよかった。そっちの方が「絵面」がいい。

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ここで誤算に気付く。

 

21㎝の型用の分量で、小さ目の型に入れて焼き、余った分をデコレーション用にという目論見が、見事に崩れる。スポンジが足りねぇ。しかも全然。もう一個スポンジケーキを焼く気力もなく、しょうがないのでてっぺん、表面部分にだけ細かく砕いたスポンジケーキを飾る、無念。

 

やってみないとわかんないもんだね。。

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表面にも食べやすくカットしたいちごを飾り、ミモザも飾って完成。デコレーションが足りなかった見苦しいサイドは隠す作戦。

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切ったところはこんな感じ。とろけるチーズのように、カスタードクリームがとろけてくる。うまうま。お店で食べるケーキとは明らかに違う、たいそう素朴な味わいが新鮮。自分で作ったもの、そら素朴な出来上がりにしかならんわな。。

 

ところで本場のミモザの日は、ミモザミモザケーキも女性にプレゼントされるもの。自分でミモザ買ってきて、ケーキも手作りは、多分換骨奪胎では済まされないぐらい、本来の趣旨を冒涜してる。

 

でもさ、ミモザ買ってきてと頼んだところで、ミモザを置いてそうな花屋のレクチャーから始めなくちゃいけない。仏壇に供える花がメインの花屋には、ミモザはない。その辺から教えていくのは、とっても面倒。

 

ついでにミモザケーキも、この辺ではそもそも売ってないし、見掛けない。

 

彼女やパートナーのために、ケーキや料理が作れる男性を微笑ましいと思う反面、別に相手にケーキや料理の才能なんて求めちゃいない。その他に秀でてる部分があるから、得意じゃないことに手を出さなくてもいい。代わりに好きなもの買えば?で全然いい。

 

きっと食べきれないだろうと思って小さ目の型で焼いたのに、デコレーションすると、もとのサイズの1.5倍くらいに膨張した。

 

次回作る時は、もっと小さめに作って、スポンジ生地も半分ではなく1/3サイズにカットして、デコレーション用のスポンジケーキを増やそう、そうしよう。

 

何ごとも、作ってみなくちゃわからない。

 

ミモザの花からふんわりと漂う芳香は、春の香り。あんまり長持ちしない花だけど、黄色い小花がたいへん可愛らしくてキュート。街中が、ミモザの花に囲まれる本場のミモザの日、花より団子の国と違って、いいな。花もなしで団子だけ追求するのは、欲しがりません、勝つまではの延長っぽくて、すごーく無粋。

 

お休みなさーい。

肩凝りと『箱舟の航海日誌』と

青空が広がり、足元の雪は消えつつあるとはいえ、気温はまだまだ低いので、油断ならねぇ。とはいえバンクーバーよりは暖かいようで、「勝った」と謎の優越感にひたる。

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つい最近オープンした新しい商業施設、シタッテサッポロ。通りかかったついでに、気分は内部視察でジロジロ見てきた。

 

駅前通りの富国生命ビルをリニューアルしたもので、場所は赤レンガテラスの目と鼻の先。飲食店のほかに、旅行代理店とドコモショップGショック専門店が入ってた。

 

丸美珈琲が入る一方で東京のお店も入る、ローカルなお店とそれ以外とのバランスもいい感じ。お茶するよりは、近隣のオフィスで働く人のためのランチや飲み需要に応えられそうなお店多し。そのうちどこかに入ってみよう。

 

丸美珈琲は、座席なしでスタンド売りの店舗。あら座席ないのね。。とガッカリしそうなところ、お店のすぐそばには階段を利用した寛ぎスペースが設けられていた。おっしゃれ―。きっとインスタ映えする。

 

京都駅の大階段、あるいはヨーロッパあたりにありそうな、噴水のまわりに広がる階段状となった広場がほのかに思い出される空間。

 

街中にまた、ダラダラと過ごせるスペースが出来て、よかったね。ダラダラと過ごせるスペースは、貴重だから。

 

ここしばらく悩まされていた肩凝り、マッサージのおかげで血流がよくなったせいか、久々に軽くなった。自然に治るかと思っていたら、ちっとも治らなくて、包丁持つのさえダルかった。軽くなってウキウキ。

 

冬季はどうしても運動不足になるから、血流も滞りがち。自然にまかせていてもどないもこないもならんので、自然まかせはもう止めにしよう。そうしよう。

 

ずっと積読だったウォーカーの『箱舟の航海日誌』もようやく読了。日本人にとっては馴染みがないけれど、イギリスでは知名度のある児童文学作品だとか。文章も平易な寓話っぽくて、イラストも多目。

 

とっても読みやすい短いお話なのに、それでも長らく積読だった。。“ノアの箱舟”をベースにした、多数の動物が登場するお話。トラや象といったお馴染みの動物のほか、フワコロ=ドンやナナジュナナ、スカブといった想像上の動物も登場。

 

「最終バスに乗り遅れるな」とばかりに、洪水前にノアの箱舟に乗り込んだ動物たちが、陸地を見つけて船を降りるまでの出来事をつづっただけのもの。

 

元は児童文学だから、難解かつ高尚な言い回しなしで、仲良く平和に暮らしていた動物たちの暮らしが変わりゆくさまを描いてる。

 

仲良く平和な暮らしを脅かすのは、いつだってどこだって“流言飛語”。

 

招かれざる客スカブがこっそり船に忍び込み、相互不信の種を植えつけていく。スカブがなぜ招かれざる客なのかというと、スカブのみがタブーとされていた肉食を覚えた動物だから。

 

洪水以前の社会では、果物や草が動物や鳥たちの主たる食べ物だった。最初は仲良しの小型動物と大型動物の関係に亀裂が入って行くさまは、『ズートピア』も思い出させる。

 

ズートピア』では副市長のメリーさん、草食動物が黒幕だったけれど、『箱舟の航海日誌』の黒幕は、スカブ。かつてタブーを犯した、得体の知れない、流言飛語が大好きで不和や諍いが好きで、小動物に対して尊大な、イヤーな感じの獣。

 

人間社会でも、世間に不和をまき散らすタイプの造形と、さほど違いはなかろうと思わせる。寓話っぽい単純なお話ながら、最後には後味の悪さが残る趣向で、それが教訓にもなっている。

 

得体の知れない生き物による、“流言飛語”に耳を貸すな。世間の人の目に触れる場所に“流言飛語”をデカデカと掲げるな。

 

多分、それだけで相互不信はかなり防げるはず。現代では人ならぬもの、BOTやAIまで流言飛語市場に参入してきてるうえに”市場”になってるから、さらに油断ならねぇ。

 

イラストも可愛らしいけど、可愛らしい小動物から流言飛語の餌食になって消えていくんだな。第一次世界大戦が終わって間もなくの頃、戦禍がまた繰り返されるかもという時代に書かれたもの。不和や諍いが好物で、再戦を望む戦いたがりは、こんな時にこそ生まれやすい。くわばらくわばら。

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人間には種を持ち実をつけるものが、動物には草が食べ物として与えられたんだってさ、創世記によると。いまさら創世記でもなし。肉食をタブーとするのは、世界が作られた昔に帰りたい、原理主義のなせるわざなのかも。かもかも。

お休みなさーい。