クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ラストワンマイル

一方には月額利用料などの固定収入があり、もう一方には極限まで安く買い叩ける配送網と外部執筆者があり。新聞というメディアの姿は、本体が体力を温存するための仕組みが実によくできていて、なんでもパクることに余念がない人や組織が、その仕組みに目を付けないわけがない。

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今週のおやつ、ダイエット志向。

紙の雑誌との接点は、ほぼカフェや飲食店、そして美容室に限られていて、あらあらまぁまぁ世の中にはこんな雑誌があるのねと、時々驚ける。

 

一冊丸ごと商品紹介で埋め尽くされた、「有料のカタログ」のような雑誌もそうして知った。

 

かわいい面白いあら便利と、つい購入意欲を刺激されるけれど、ポチッとボタンがついてるわけでなし。ネットで検索や、置いてるお店を調べるほどの購買意欲でもなし、ついついスルー。買える場所がわかっていたら、ついで買いでそのうちに買うものを。

 

一冊丸ごと商品で埋め尽くす雑誌が生まれるほど、買って欲しい商品がある一方で、どこで買えばいいのか詳細はスルーで、何がしたいんだかよくわからない。商品を紹介する人と売る人と、分かれているからこそ起こることなのか。

 

どこに行けば手に入るのか。入手先がはっきりした新商品の紹介は親切だけど、ピンではそんな広告を出せない会社の商品が集まってのカタログ仕様のはずが、どこで買えるのか。肝心の場所が書いてないのは、その時点では決まってないからがもしかして正解なのかも。かもかも。

 

ラストワンマイルはネットの方が埋めやすいけれど、ネットもリアルに接続されると、見つけやすいものはよく知られたものに限られて、リアルが手薄なものは、ネットでも見つけにくくなる。ニッチなものと相性よしだった場所も、いつまでもそのままでは居られない。

 

フロンティアを開拓するために、貴重な時間を捧げた人の思う通りに生まれ変わるのなら、それでよし。時間をお金で買った人の思う通りに生まれ変わり、貴重な時間を捧げた人の思いを踏みにじるのなら、そこはそういう場所なんだと割り切るもよし。

 

コミックになって再登場した、夢でうなされそうな表紙イラストが印象的なベストセラーは、言ってみれば先祖返り。そもそもこれから暗い時代を迎えるお子様たちのために、もう大人に期待しても無理だからと、お子様向けに書かれた本。

 

初版は1937年。お子様向けの本であっても、すでに独裁者が賛美されていたとか。当然現代には、そんな本は伝わっていない。都合悪いもんね。中身は、世も末といった絶望からは遠く、のびのびとしてる。

 

上から与えられた知識ではなく、少年がその目で見て感じた、実体験を通じて世の中を理解していく趣向。言わば下から目線で、上から与えられた知識に頼らないというところに、ほんのり時代の空気が感じられる。

 

暗い時代というのは、あらゆる言葉の意味が今までとは違ってくることと思えば多分間違いなくて、善意や善行、あるいは知性といった本来ポジティブな言葉が、今までとは違った意味で使われるようになる。

 

後世から見れば、それは善行でも善意でも正義でもない行為や行動が、そんな名前で呼ばれる時代なんだろうと勝手に思ってる。

 

知性より痴性、遵法より脱法が尊ばれるかもしれない世の中で、どう身を処していくのか。生活を支える大人は空気から逃げられないから、生活を支える必要のないお子様向け。もうお子様にしか託せないというなら世も末で、相当切羽詰まってんだよな。

 

お休みなさーい。