クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

流し雛

桃のカタチをした桃カステラ。昔いちど食べたことがあって、美味しさよりも見た目の可愛いらしさで、今でも忘れがたい郷土菓子。

f:id:waltham70:20180303235845j:plain

これは桃マシュマロ。

長崎では雛祭りには欠かせないお菓子だそうで、雛祭り間近になると大小さまざまな大きさの桃カステラが街中に溢れる光景を思うと、ほっこりにっこり。テレビのニュースでは、紙製のお人形を依り代として川に流し、娘の健やかな成長を願う流し雛の行事が映し出されてた。

 

ひいな遊び、お人形さんで遊ぶのも、もとはといえば貴族のお遊びだったもの。昔は限られた人のお遊びだったからこそ、特に面白くなくても「お貴族様気分」でやってみたい。という需要は、きっと一定数ある。特に面白くもないものを、文句も言わずにこなせるのも、お貴族様の素養や資質のひとつ。

 

舞台を過去や外国に移し、明確な証拠や反証は示せないから雰囲気、印象操作で裁く“事実に基づいたお話”は、タチが悪いったらありゃしない。“基づいた”ってところがミソで、どこからが創作なのかあえてわかりにくくしてると、中身がどれほど誠実でも作り手に対する不誠実な印象は否めないやね。

 

作り手は、毎年うん千億という赤字出してますという一文の持つ破壊力は絶大で、だからといって、隠したい資産についてオープンにしてまで反論する馬鹿はいない。赤字や借金にしつこく言及するのは、隠し資産についてこそ知りたいから。と、考えるくらい色々なことが、素直に受け止められない今日この頃。いかんいかん。

 

「美味しそう」「きれい」「かわいい」には、あんまり裏がないから、深く考えなくて済む。

 

悪名は無名に勝るとはいえ、今年もっとも出来が悪いで賞に選ばれたラズベリー賞の作品群を見ても、そもそも知らないものばかり。古今東西の名作佳作がいつでも入手可能になると、褒めるところが見つからない作品は、どうやっても残らないようになっていくんでしょう。

 

わりと頻繁に電子書籍を利用、購入しているけれど、“タイトルがすべて“を痛感する。下世話なワード入りのタイトルの本は、やっぱり中身も下世話で、下世話な内容に感化されてはいかんと通読する気にもなれずに放り出す。

 

ことばは氷山の一角ならタイトルも氷山の一角で、その下に隠されたものの一端を端的に表してる。

 

教科書的な内容のものは、読み下すのも楽ではないけれど、そもそも感情を動かすことを勘定に入れずに書かれたものだから、読んでいるあいだも気持ちはフラット。穏やかな気持ちになれる。

 

「気」とか、スピリチュアルな方面とは縁遠いほど喜ばしいくらい興味ないんだけど、気持ちを乱さないことの偉大さこそを讃えたい、今日この頃。よくないものは、流されてゆけ。

 

お休みなさーい。