今後100年は現れそうもない、「不世出の天才」と同時代に生きることは、単なる鑑賞者にとっては僥倖。すごーいと、単純に拍手喝采できる。同時代に生きる競技者にとってはどうなんすかね。どうやっても追いつけそうにない天才が、ぶっちぎりで先頭を走ってる環境で、モチベーション保つんだろうか。
時間の経過とともに体の節々が痛み始め、一体どうしたことかと思ったけれど、何のことはない、雪道ですっ転んだせいだった。痛い。。
今シーズン2回目。昨日までは晴天だったおかげで、道路はツルッツルのアイスバーン状態。そこにフカフカのスノーパウダーが積もってたもんだから、滑る滑る。見事にすっ転んだ。どうやらそこはデンジャラスゾーンだったらしく、後から来た人もすっ転んでたんだけどさ。雪国では、よくある光景さ。
飽きもせず、あらカワイイと思ったものを見つけたら、とりあえず写真に撮る人。自己満足。
同じ日々、同じ日常を繰り返すことを退屈ととらえるか平穏ととらえるか。相も変わらずくだらないことで一喜一憂できるなんて、なんて平穏なのかしらと思う、穏やかな日常を愛するタイプ。平和な日常を守るのも闘いさ。
すっ転んだおかげで頁めくるのも辛いながら、『ぼくには数字が風景に見える』という本を流し読み。
自閉症でありながら、同時に複数の感覚が連動する共感覚を持つ青年についての本。彼のような症状は、1万人にひとりの発現率なんだってさ。
数字を見れば、雪や波といった色やイメージが浮かんでくるという彼は、同時に数字の羅列から法則性を見出すのが得意。
どれほど大きな桁数でもあっても暗算可能で、カレンダー計算も思いのまま。今公開中の映画『ギフテッド』の予告では、可愛らしい女の子がスラスラと大きな桁数の計算をこなすシーンがあるけれど、そんな感じなんでしょう。
数字の羅列から、簡単に何らかの法則性を見出せる特殊能力があれば、監査業務にとっても向いてそう。不自然な数字を見つけ出すのは、監査業務の一環でもあるから。
平均的な人とは違う能力に恵まれているけれど、平均的な人にとって容易なことができなかったりする青年の目から見た、世界と世界の理解の仕方が新鮮。
数字に対して発揮するような共感を、人の感情、他人の考えを慮る方面では発揮できない彼が、他人を理解する際に用いるものさしは、道理と論理的な考え方。理屈ってことだよね。
ところで育ってきた文化や環境というインプットが異なれば、行動パターンというアウトプットも異なるケースは、多文化共生社会ではありがち。
インプットが異なればアウトプットも異なる極端な例として、弱肉強食で欲しいものがあれば奪ってしまえという考え方多数の狼の群れに、困ってる人には親切にという羊を放り込んだら、あっという間に全滅してしまう。
それだと狼オンリーの群れになってしまい、いつまでたっても羊が共存できる多文化共生社会はやってこない。だから、それまでの生育環境で育まれたインプットが異なっていても、アウトプットは統一するようにすると、異なるインプットを持つ集団であっても共生可能な環境に変わる。
アウトプットを統一する場合は、道理と論理的な考え方ファースト、つまりは一定のルールを順守する環境じゃないと、みんな違ってみんないいも、みんなでなかよくも難しいわな。
ということを考えた。読んだのは、ハードカバーの方なんだけどさ。
お休みなさーい。