クローズドなつもりのオープン・ノート

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高名な人を別の角度から分析した『一茶の相続争い』読んだ

高名な俳人を、「遺産争い」という別の角度から眺めてみた本

小林一茶といえば、俳句の世界の超有名人。

  • 我ときて遊べや親のない雀
  • めでたさも中くらいなりおらが春
  • 雀の子そこのけそこのけお馬が通る
  • やせ蛙負けるな一茶ここにあり

有名な句を並べると、そこはかとなく人品骨柄も見えてくるようで、「弱い者に優しい、足るを知る温厚篤実な」人物が、なんとなくイメージされる。

 

ところが俳句という作品とはまた別の、残された歴史的資料を見ると、そのイメージは一変。

 

父親の残した財産をめぐって異母弟と十年に渡って争い、その結果、弟が守ってきた家財の半分をぶんどった人と聞けば、印象はずいぶん変わる。継母と折り合いが悪く15歳で後にした故郷に、40歳を過ぎてからふらっと戻ってきた後と聞けば、さらに印象も悪くなる。がめついやん。

 

『一茶の相続争い』は、遺産をめぐって異母弟と十年に渡って争ったという「事実」をベースに、俳人小林一茶を別の面からとらえ直した書。著者は江戸時代史の研究者で、俳句に興味はあるけれど専門家ではなく、敢えて言うけど「文芸の門外漢」から見た、高名な俳人の別の顔を、時に下世話にこき下ろす。

 

高名な人でも、アラを探そうと思えばいくらでも見つかるものかも

扱ってる人物もテーマも、そのテーマの掘り下げ方も、古文書を解きほぐすという高尚な手法だけど、やってることは高名な人のアラ探しでもあるから、下世話っちゃ下世話。ゴシップ的興味関心を織り交ぜると、遠い世界の人のことでもより身近に感じられるという趣向かな。

 

今でも有名だけど、永代橋が落ちた頃(1807年)の江戸時代でもやっぱり有名だった“アーティスト”と、著名アーティストを生んだ出身地柏原村との軋轢。として読んでも面白い。

 

なまじ文人で筆が立つから、何かっちゃ技巧や感情を駆使した訴状書いてるんだよ、この一茶って人。おまけに“社中(しゃちゅう)”という、自身のサロン持ちで子分持ち。故郷周辺の風雅を愛する富裕層とも仲良しで、自分のコミュニティにそんな人が居たら、統治する側はたまらんだろう。やりにくくってしょうがない。

 

ということで統治する側、名主とか故郷柏原村についても存分に章を割いていて、江戸時代の北信濃の、文治が行き届いたそこそこ豊かでさほど貧しくもない、小村の姿も鮮明になっている。

 

文治、諍いや問題があれば、現代の法廷闘争のように訴えを起こして、裁かれて。残された訴状や判決文を資料として往時を再現してるんだけど、その筆はノーリノリ。

 

おそらくこれぞ真実の愛と、青春の日を燃やした、許されざる明専寺後家さんミエとの恋がすべてであったのではなかろうか。(本文より引用)

 

 と、これは一茶の故郷である柏原村を揺るがした、あるお寺の後継問題を扱った章でのもの。どこの週刊誌や、これでも岩波新書なのかというノリ。

 

そのままでは無味乾燥で、お堅いままのお堅い出来事も、書く人が書けば、ひどく人間臭くなるものなのかも。ノリノリの文章に対する好悪は、人によってあるかも。

 

コミュニティに貢献する同時代人と比べると、一茶の特殊性もより露わ

40歳過ぎて北信濃の小村に帰還し、山地や田畑という父親の遺産を結局は手にした。小林一茶という人の特殊性、あるいは「個を貫いた近代性」は、同時代にあって違う生き方を選んだ人を比較対象にすると、よりはっきりする。

 

一茶の比較対象となるのは柏原村の名家のひとつ、経済面で柏原村を支えた中村六左衛門と四郎兵衛兄弟。六左衛門は弟で、この人は、柏原村というコミュニティを生涯支え続けた人。

 

名主と比肩するような名家に生まれた江戸時代男子だったら、珍しくもないのかも知れないけれど、ポジション的に地方経済を動かすことのできた人で、その方針は“仁政”。残された資料から見ると、とってもできた人で、かつ故郷の産業振興にも熱心だった人っぽい。

 

兄弟仲良く力を合わせ、コミュニティの発展と安定に努力した。

 

一方の一茶は弟と争い、弟が守ってきた父親の遺産の半分を強引に(と、柏原村の人たちは受け止めた)我がものとした。訴訟起こしてるくらいだから、コミュニティに“乱”を持ちこんだ。

 

ちなみに一茶の弟、弥兵衛も、コミュニティからの信頼も厚く、コミュニティにも貢献した人。ってかコミュニティに貢献しつつ生きるのは、江戸時代のスタンダードで、普通っちゃ普通。

 

コミュニティとは距離を置きつつ、当のコミュニティに、遺産とはいえ一定の家産を持てた一茶の方が特殊で、特殊でありえたのは彼が“アーティスト”だったから。

 

40歳過ぎて故郷に帰村するまでは、俳人として全国を漂泊していたのが、一茶という人。自然、コミュニティに守られた人とは別の視点を獲得し、コミュニティとの縁も恩も薄い。それよりも、俳句を通じた文人や風流人(たいていは富貴の人だ)との交流の方が密で、心の拠り所をコミュニティとは別の場所に置いていたからこそ、個が貫けた。と、見ることもできる。

 

一茶の生涯から浮かび上がるのは、個を貫くことでコミュニティに対して不義理になった、それでもコミュニティに帰村した人の姿で、残した俳句とは違って、そこに徳の影は薄い。

 

帰ってこんでもええんやで?と言われたところで、お構いなし(別に言われたという証拠があるわけではなし、念のため)。だってそこには遺産があるから。コミュニティからの白眼視にもめげなかったのかどうかは、気になるところ。

 

SNSが発達した現代だったら、むしろ一茶は普通の人

俳句という芸術にも昇華できない寂しさは、家族を作ることで乗り切ろうとしたのか。帰村後には若いお嫁さんを筆頭に、再婚を繰り返していて、個を補強する家族さえあればいいとの一茶の姿には、一種の割り切りや現代に通じる個人主義が見て取れる。

 

コミュニティに埋没しなくても生きられるのは芸の道で、芸の道という逃げ場があるから、同時代に埋没しない個性が磨かれた。と、見ることもできるけど、それこそSNSのなかった江戸時代の生き方で、現代だったらそうはいかない。

 

近所に住む有名人の一挙手一投足は、一般の人に監視される。見てないフリしてちゃんと見てる。徳の高い文章を書いてお金もらっておきながら、徳に欠ける行為や行動をする人がもしいれば、ちゃんと見透かされてる。

 

一般の人に監視されずに芸の道を極めたかったら、芸の道を極めようとするコミュニティに属した方が、安心で安全。でも地縁ではなく職能でつながったそこは、やっぱりコミュニティの世界で江戸時代の一茶のように、個を貫ける状態にも見えない。

 

俳人という特殊な職業を選ぶことで、同時代の人よりもひと足先に個人主義という近代性に目覚め、近代性に目覚めた個人とコミュニティとのコンフリクトを、残された資料から読み解いた。

 

とも言えて、資料という事実はひとつでも、解釈の仕方でいかようにも人物像を覆すことができることを存分に堪能した。時々古文がそのまんま出てくるので、万人にはおすすめできないけど、好きな人はきっと好き。見てきたように濃厚に、北信濃の柏原村が再現されていて面白かったよ。

一茶の相続争い――北国街道柏原宿訴訟始末 (岩波新書)