生放送中の人気テレビ番組に、銃を持った不審者が闖入し、司会者を人質にするというパニックもの。
- バグってなんだよ?
- お金は目的じゃない、知りたいのは「真実」と言われちゃったらどうする?
- 目撃者となる視聴者は、とっても無責任
- 大衆が望むのは、偉い人のみっともない姿
映画館の大きなスクリーンで見るにはちょっと刺激が強過ぎたので、動画になるのを待って、動画で視聴。映画館だったら、「ドキドキした!!!」という簡単な感想で終わりそうなところ、動画で見るから冷静になって考えられる。
SNSと情報が結託し過ぎると、実体経済にも影響が及んで危ないよ。
という至極真っ当な主張を、真っ当でない手法に託したところに皮肉が効いている。真っ当なことを真っ当なフォームで礼儀正しくお伝えしたところで、どうせあんたたち聞きゃしないでしょ。と、“面白おかしく”に偏りがちな情報発信に、本当にそれでいいのかと、問うてくる。
自分ごとにしないと真剣に取り合うわけもないから、「今夜あなたも目撃者」という、より刺激的なスタイルになっているのも納得さ。
バグってなんだよ?
さて舞台となるのはマネー情報、株とか投資について、面白おかしく司会者が体を張って解説する人気テレビ番組。TEDをもっとエンタメに振ったようなスタイルで、基礎的な知識がない人でも、雰囲気で楽しめそうな仕様。
番組に釣られ、雰囲気で、ある会社の株に大金突っ込んじゃった残念な人が、闖入者となる青年カイル。カイルが人質に取るのが、人気番組『マネーモンスター』の司会者リー・ゲイツで、ジョージ・クルーニーが演じてる。
ジョージ・クルーニーとはいいコンビの番組ディレクター、パティを演じるのはジュリア・ロバーツで、この二人がツートップとして最初から最後まで映画を引っ張っていく。
事件の発端は、透明性を身上とする巨大企業“アイビス”。ある日アイビスの株価が取引終了時間後に急落し、株価急落の原因はバグ、アルゴリズムの異常と説明される。
取引が集中し、集中したから株価が想定外に下落し、下落が下落を呼んでの暴落かな?と思わせる説明を、思いっきり省力化してすべてはバグのせいと呼んでるっぽい。
この辺は、アルゴリズムとかポートフォリオとか言ってんだけど、一体誰のアルゴリズムでポートフォリオなのかいまいち謎。複数の企業に投資していた、投資会社としてのアイビスのアルゴリズムに問題があったのかもしれないけれど、吹替え版で見た限界で深くはわからず。
ある銘柄について、想定外に下落したら自動的に損切りというルールを個々人あるいは個々の企業、あるいはアイビスが採用していて、一斉に損切りルールが発動されたらパニック売りを呼んで企業価値も吹き飛んだと言われれば、納得しそうになる。ところがその説明では納得できなかったのが、生放送中の番組に闖入したカイル。
株価クラッシュの背後には、何か不正なことが行われていて、ひと晩で8億ドルが吹っ飛んだのは何故だ?真実を暴きたいと司会者リーを人質にする。
投資は自己責任かつ、余裕資金で。ついでに分散投資もお忘れなく。という原理原則が染みついていると、そんなん投資あるあるやんで片付けそうなところを、カイルは片付けなかった。
テレビで投資を煽っている奴らだけが大儲けし、税金も払わない。一方煽られた人は、なけなしのお金まで失ってどうしてくれると、煽った本人リーに詰め寄るんだからたまらない。しかも生放送中。なんていい見世物。
お金は目的じゃない、知りたいのは「真実」と言われちゃったらどうする?
カイルが知りたがったのは、どうしてこうなったのかという「真実」。カイルが想像した不正の構図は、とっても単純な陰謀説だけど、困ったことにアイビス社にも「マネーモンスター」にも、そんな真実は見当たらない。あるのは、事実だけ。
アイビスの株価は急落した。株価急落の原因は、バグ以上の説明ができない。「マネーモンスター」は、アイビス社の株を買うよう番組内で薦め、薦めたけれど急落し、急落後も株価は元に戻ってない。アイビスとマネーモンスターの間には、密約めいたものはなしという、事実あるのみ。
そこから、アイビス社の広報として不在の代表者キャンビーに変わってテレビの前に引っ張り出されたダイアンと、テレビディレクターのパティが調査に乗り出していく。
人質にされているリーの命が掛かってるだけに、調査する方も必死。調査の手法もいかにもテレビ局っぽいパティと、大企業勤務っぽいダイアンでは異なるように見せて、基本は他人に命令するだけというスタイルは一緒。
アイデアを出すことこそが、彼女たち命令する立場にある人のお仕事ってことで。もしかしたら、そこにも皮肉が効いてるのかも。かもかも。
目撃者となる視聴者は、とっても無責任
劇場型犯罪に、なんてことでしょうと恐れおののいたのは、はるか遠きのん気な時代のお話。今では恰好のネタとして、消費されるのみ。オフィスで、酒場で、他のバラエティー番組で。他人の不幸は蜜の味だから、積極的に彼ら視聴者もSNSで発信し、無責任な言動をばら撒いていく。
無責任に、あの株がどうだこうだと風評をまき散らし、風評が風評を呼んでも我関せずなのと、一緒。罪の意識が薄いから、言動も軽っ軽。
一方生放送の番組に突入したカイルの方は、想定外に事態が進み、彼にとっては気の毒な方向へと進むばかり。男性として、これやられたらたまらんだろうという相当な辱めも受け、その時ばかりは無責任な視聴者からも同情される。
結局のところ、テレビという舞台に自ら上がってしまった彼の人生は、ショーの一部となって、視聴者に消費され尽くす。
カイルとリーがスタジオの外に出てきた時には、面白がって追い掛け回し、追い掛け回すことでやっぱりショーの一部となった無責任な視聴者は、最後まで無責任。ショーに食われたカイルのことよりも、気になるのは新しいおもちゃの方だもの。
大衆が望むのは、偉い人のみっともない姿
結局この映画は、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のように、本物の金融機関で起こった出来事ではなく、面白おかしいマネー番組で起こった出来事を描いている。
だから、ところどころ挟み込まれる専門用語っぽいものが、それっぽい雰囲気を盛り上げるけれど、あくまで「雰囲気」。顔認証の使いどころも暴露系で、専門用語も新しいテクノロジーも、彼らの手にかかれば「雰囲気」で使われるものなんだと思えてしまう。
カイルが求めたような、複雑に入り組んだ真実なんてそこにはなくて、残ったのは単純かつシンプルな事実で、映画が提示する事実もただひとつ。
「ことの終わり」まで考えもしない大衆が望むのは、ただ単に、偉い奴、立派な服を着て立派な会社に勤め、普段は他人に命令することに慣れた人の、みっともない姿。
偉い人が最後に見せたみっともない姿に、大衆は大喜びしてた。
「ことの終わり」を考えもせず、ただ偉い人が頭を下げる姿を娯楽として消費したいだけの無責任な大衆の手から、おもちゃ取り上げてやろうと偉い人たちが思ったとしても、まぁまったく不思議はないやね。
と思う映画でした。娯楽性たっぷりで面白かったけど、面白おかしいに溺れるのはいかんわな、とも同時に思わせてくれる。監督はジョディ・フォスターなところがちょっと意外。