連続ドラマを見るような根気はないけれど、ドラマっぽいものは見たい暇つぶしにちょうどいい、『消されたヘッドライン』見た。
ベン・アフレックがやけに若いと思ったら2009年公開の映画で、その割にラッセル・クロウは老け込んで見える。ラッセル・クロウ演じるワシントン・グローブの記者が、友人であるベン・アフレック演じる議員が巻き込まれた陰謀を暴いていくストーリー。
2時間ちょっとで中だるみもせず、最後まで飽きさせずにワクワクさせてくれた。元はテレビシリーズらしいから、いっちゃん美味しいところを濃縮し、スピィーディーかつ説明責任を十分に果たした作品になってる。
始まりは、ベン・アフレック演じるスティーブン・コリンズ議員の秘書、ソニアの死。秘書の死に涙する議員の姿から、マスコミは議員の不貞関係を疑い面白おかしく報道する。
不慮の死により、期せずして暴かれた不倫関係がスキャンダルとなったのは、軍需産業追及を控えた議員にとっては大事な時期。
ネットメディアの「ネ」の字も見えないような頃。
携帯は普及しているけど、パソコンは旧式。この時代ならではのアナログなやり方、人という脆弱性をこれでもかと突いてネタを集めるやり方は、今でも通じるものかどうかは知りませーん。
違法捜査を問題にするなら、違法調査も問題にされるよなと思うばかり。
“意地悪”な政治ブログの書き手でもある同僚のデラを助手に、ソニアは自殺ではないというコリンズ議員の訴えをもとに、事件の背景を調べはじめるラッセル・クロウ演じるカル・マカフリー。
カルと一緒に調査に乗り出すことで、記者として成長するデラは、この映画のアクセントのひとつ。何かにつけ「擦れた」キャラが多いなか、唯一爽やかさを感じる希少な存在。そんな彼女も、いつかはおっかないヘレン・ミレン演じる編集局長みたいになるのかしらねぇ、と渋茶すすれる。
カルとスティーブン。大学時代のルームメイトにして、スティーブンの妻アンをめぐって三角関係でもあった二人。わだかまりのある二人の間に見え隠れする、友情の欠片っぽいものが、さらにドラマ性を盛り上げる。
窮地に陥った旧友だからこそ、わだかまりを捨て、公平であろうとする人間関係の機微もすっかり織り込み済みで、だからこそドラマになる。
正直が美徳とは限らない、年齢を重ねるたびにぶ厚くなってゆく、別の生き方を選んだという壁が、終盤になるほど鮮明。安っぽい正義に流されず、真相にたどりつくからいい。
正直が美徳とは限らない人間関係の中に、己に正直過ぎる人間が紛れ込むと大きな手違いとなる。というか、場違い。誰がもっとも悪党なのか。現実ではすっきりすることはないから、フィクションの中でくらい、きっぱりケジメつけて欲しいという視聴者の願望をちゃんと充たしてくれる。
適度にアナログじゃないと、人の介在する余地も生まれなくって、ドラマとしての盛り上がりにも欠けるのかもね。今見るとちょっと古臭いところが多々あって、そこが却って魅力になってた。
今では失われつつある新聞が刷り上がるまでの工程は、その筋の人にとってはノスタルジーを誘う光景かもね。
ドラマは生まれなくてもよかったら、人を排除するのが一番。セキュリティーホールも無くなって安全だけど、味気なくってしょうがないやね。
お休みなさーい。