京都にある国際日本文化研究センター(=日文研)が設立されて、早30年。
日本の文化・歴史を研究する機関なのに、頭に「国際」とついているのは、世界の中で日本の歴史や文化をどう位置付けるのかを、研究命題としているからだとか。
創立30周年を記念して刊行された『異邦から/へのまなざし―見られる日本・見る日本』は、日文研が蒐集してきた写真や絵葉書などの“ビジュアル資料”をまとめたもの。
9割が“ビジュアル資料”で、解説を含めて文章は極小。なので、美術展に足を運ぶ感覚で眺めればよし。
百聞は一見にしかずで、諸外国が日本をどのように見て、日本が近隣諸国をどう見てきたか。そんなの千の小難しい言葉を使わなくても、見たらわかるじゃんという趣向になっている。
というわけでこの本は、外国から見られてきた日本と、日本が見てきた外国についての二本柱で構成されている。最後に、その両者が溶け合ったらどうなるかのまとめ付き。時代は主に幕末から昭和のはじめ、そして終戦まで。
日本について外国人が外国語で書いた日本文化についての文献=「外書」から、写真や挿絵などのビジュアル資料=「外像」をピックアップしたものが、“見られる日本“のまとめ。
そして当時は「外地」と呼ばれた、旧満州や朝鮮・台湾といった日本の周縁についての絵葉書や写真などのビジュアル資料をピックアップした、“見る日本”のまとめとにパートが分かれている。どちらも八万点という膨大なコレクションから選りすぐられたもので、その数およそ500点。
現代でもあら面白い、きれい、珍しいと思った時に思わずカメラを向けてしまうように、ピックアップされた写真や絵の中には、そりゃ撮りたくもなるやねと納得する珍しいものも多数。
自分たちの文化にはない変わったものは、記録として残したくなるものだから。
フジヤマ・ゲイシャ・サムライといえば、日本に対するステレオタイプ御三家。ジュール・ヴェルヌの原作を映画化した『八十日間世界一周』でも、日本を描いたシーンは富士山から始まってた。
残されたビジュアル資料も多く、定番の観光名所で必ず記念撮影するように、日本と言えば富士山だね!芸者だね!サムライだね!と、行った証拠とばかりに記録に残されてきた成果なのかも。
見られ慣れた被写体が、ステレオタイプとして後世に伝わっている。
日本への入港ルートといえばほぼ横浜一択だった時代、NYで自由の女神に出迎えられるように、日本では富士山に出迎えられるものだったと考えれば、納得。
そして芸者や侍といった人たちも、市井の人に比べれば、数の少なさで見られ慣れていた人たち。
特に遊女のように見られることに抵抗のない被写体は、相手が外国人であっても惜しげもなく普段の姿を晒し、当時を知る貴重な記録となっている。職業は特殊な人たちなんだけど、生活ぶりは市井の人と、さして変わるものでもなし。
あられもない姿も見せてくれるんだから、被写体としてはとってもありがたい存在だったに違いない。
市井の人の暮らし、例えばお花見や潮干狩りや時には物売りの人の姿なども、ばっちり記録に残ってるわりには“食べ物”そのものの写真は少ない。ってか、ほとんどない。
21世紀のインバウンド観光では日本食が大人気で、インスタでもカジュアルなものから高級なものまで美味しそうな食べ物の写真が溢れてるのとは大いに事情が違う。エキゾチック過ぎて、当時の外国人の口には合わなかったのか???と、想像するのも楽し。
美人というのも被写体としてはポピュラーで、花柳界の女性以外にも多くの写真が残されている。その割にはイケメン、ハンサムの写真は少なく(侍は居るけどさ。。)、当時の人にとって旅行とは、男性のするものだったんだな、ということも類推できる。
現代のネットやネット以外の記事でも、大多数の人が知らないことについて、どのような写真(=ビジュアルイメージ)を添えるかには、底意や真意が現れてくる。
良いイメージを伝えたいものには、良いビジュアルイメージを添えたくなるもの。
見られる日本=「外像」において、甲冑をまとった武士はカッコよく伝えられているのに、平時の侍は小役人っぽく描かれていたりする。外国人にとって平時の侍は、「煙たい存在」だったのか、それともありのままに描いたらカッコよくなかったのか。
巫女や神官のような職業人に向けられた、尊敬の眼差しが、平時の武士から欠落してるのは何故なのか。「外書」=外国人が書いた文章では、どのように記述されていたのかが、気になるところ。
その一方で良いイメージを伝えたいからか、植民地とした「外地」は、立派な建物や街の景色をピックアップしたもの多し。
素晴らしい建物を作った、あるいは素晴らしい建物のある街を占有した僕たちすごいじゃんという、誇らしい気持ちがほのかに垣間見える。
見られる日本では、自然や娯楽、女性・子どもなど各テーマがあり、各テーマのボリュームは、残された全外像のボリュームに比例している。つまり、やけに数が多いなと思ったテーマは、そのまんま残されたビジュアル資料も多かったことがわかる。
日文研の現所長、小松和彦氏は妖怪研究の第一人者でもあるから、ちゃんと妖怪パートもあるあたりはご愛敬。
ある年代において、最もよく好まれた被写体は何かがわかったら、そこにはきっと「時代の空気」が現れる。
見ることは観察することで、観察眼、あるいは見る作法を、外国から見られることで身に着けた日本が、今度は「外地」という見知らぬ国を見る時にその作法を応用している。
異質なものとして眺められた対象は、自らを異質なものとみなす相手を異質ととらえて、世界を眺めるようになる。
最初期に外地に赴いた日本人は、行政官僚や満鉄職員のような駐在員といった、どちらかといえば支配階級寄りの、知識階級層。
知識階級層だから、日本が諸外国にどのように見られてきたかという情報にも触れられたかも知れず、お手本に倣って赴任先の任地を眺めたと考えても、そうおかしくはない。
何をどうやって見ればいいかもわからない手探りの時は、見よう見真似から入ると考えるのは自然でしょ。
まったく無知の対象について、興味関心の赴くままに自由に振る舞えるのは、無知だからなせる業。「見られる」ことをすでに意識した知識階級には、ハードル高かったかもね。
500点はあるビジュアル資料の中で、いちばん好きなのは、A happy family group.~幸せな家族~とタイトルがつけられた、両親と二人の兄弟が仲良く椅子に腰かけお花見をしている写真。
昔に生きた人とはいえ、同じ日本人という同胞だから、ことさら変わった風景や風俗よりも、今も昔も変わらない光景にこそ、心惹かれる。
今海外を旅した時、異国趣味としてのオリエンタリズムを掻き立てられる場所は、スマホのない場所。スマホがある限り、どこに住んでどんなに変わった衣装に身を包んでいても、その中身や行動様式は大して変わりゃしない、と思ってしまう。
オリエンタリズムが明確に存在した時代の記録からは、異質なものをどのように記録して記憶してきたがよくわかる。
その場所でしか見つからない、珍しいものを見つけるまなざしと、そこがどこであろうと普遍的なものを見つけるまなざしは、きっと別のもの。
『広辞苑』の新村出が寄贈した海外絵葉書コレクションも、日文研の貴重な研究資源になっているとか。
百聞は一見にしかずの映像(含む画像)資料の研究は、まだ始まったばかりでこれから本格化するらしい。画像検索の精度も日々向上し、千や万の言葉よりも、一枚の写真の方がインパクトを持つ時代、見ると見られるを考えるよい好機にもなった。
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エドワード・サイードの名前、久しぶりに見たな、そういや。
お休みなさーい。