クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

ニセモノでもマスメディアになれるのか『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』読んだ

しばらくカネカネカネと、お金や決済に関する文章を詰め込みまくったので、毛色の違ったものでお口直し。『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』を読んだ。

 

この季節、4月にしては30年ぶりとかいう名残り雪が吹雪まくった翌日の最高気温は、18℃。寒暖差が激し過ぎ。

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新聞を購読するのをやめて、もう何年経つのか。

 

テキストで読むニュースは、ほとんどすべてネット経由で摂取してる、かなり熱心な読者。ちゃんと課金もしてる。とはいえ、ニュースそのものにしか興味はなくて、ニュースを配信してる会社や組織の中身はよく知らなんだ。

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『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』で取り上げられているのは、ヤフー、LINE、スマートニュース、日本経済新聞、ニューズピックの五媒体。

 

銀行や生保・損保が合従連衡を繰り返し、最終的には片手で数えられるメガグループに収斂していったように、近未来的にはテキスト系ニュースメディアも、この五媒体に収斂していくんだろうと思いつつ読んだ。

 

公知されるべき良質なニュースの送り手であり続けるには、どう考えてもメガ化して、選択と集中で効率高めていくしかないから。

 

スマホシフトという環境の変化が、否応なしにマスメディアのカタチも変えていく。その変貌するさまを、つぶさに見続けたここ数年でありますことよ。

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ニュースの受け手としては、“プラットフォームなのか、メディアなのか”を気にするようにもなった。プラットフォームなんだから玉石混淆で、メディアなんだからそこにはメディアの主張がある。と、周知されれば余計なクレームも減るんじゃないでしょうか。過度な期待を持つ方がお門違いってことで。

 

ヤフーがソフトバンク資本だってことも、NAVERが会社組織だってことも(サイト名としか思ってなかった)わりと最近まで知らなかった。そんなこと、気にしたこともなかったから。

 

ニュースを読むことは好きでも、その中身にはまったく興味も関心もなかった人にとって、ニュースサイトの裏側あるいは内側をのぞくことは、大人の社会見学にも似た行為。中身を覗き見る前と後では、そのサイトに対する印象も変わる。中の人の言い分をまとめて並べると、各サイトの個性もくっきりはっきり。

 

ピックされた五媒体の中では、著者はヤフーに対して辛口。

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その遠因に、著者がヤフーに取材を申し込んだのに断られ、にもかかわらず他媒体の取材には応じていたという、一瞬ネットで話題になったいきさつが、関係しているのか否か。と、思い出せるほどにはネット上のイベントにもついていける、自分がちょっと悲しい。

 

「中の人」のことはよく知らないけれど、書き手として名前が挙がってる人のことごとくは、その書いたものについてはよく知ってる。

 

ネットニュース黎明期から、そこで名前が挙がってる人たちの書いたものを読んできたから。

 

個人の名前をババーン!と大きく打ち出してきた書き手も、いつの間にかネットでは見なくなっていった。特に、ニュース記事の書き手としては。

 

ネットの書き手がテレビにも進出するようになって、書き手から「解説する人」やマネジメントその他にランクアップしたのか、それとも別種の方向転換をしたのか。何が起こっているのか、外側の人間にはわからないけれど、ないがしかの変化が起こってることだけはよくわかる。

 

同種の「メットメディア」をテーマとした本が5年後にも書かれるとしたら、その時にはAbemaニュースやその他、動画配信サイトも入ってなきゃ嘘。

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暇人だから、毎日飽きもせずにじっくりとっくりニュースサイトを読んでいる。スマホは遷移が簡単で、思いがけずにたくさんのニュースが読めてしまうけれど、たくさん読むことに飽きたら、読みたいのは長文の解説記事。ニーズが少ないことは、よくわかってんだけどさ。

 

娯楽しか求めてない人と、娯楽以外を求めてる人と。目的のためには課金の準備がある人と、それ以外と。真ん中ががら空き状態は、今後も引き続きそうで、そこは切ない。

 

民意を反映して、サクサク読める軽いニュースと、お金かかってるけど読み応えのあるずっしり重い解説記事と。分厚い中間層がかぎりなく薄くなっていく世の中を反映してるようで、だから切ない。

 

食べたもので人の体が出来上がっていくように、読んだもの・摂取した情報でその人の内面が出来上がっていく。

 

とりあえず「みんな」が見る・読むニュースサイトの中身、意外と公共性はあるけれど、だからといって公営でもないから、公共性を全面に押し出したらそっぽ向かれるのがツラいところ。

 

人は、悪いことのためには集わないはずなんだけどさ。悪いことを楽しいことに変換するのがお上手な人がいるもんだから、その辺のモラルがぐっちゃぐちゃになったのも、ここ数年のこと。

 

黎明期からネットメディアの品質と信頼性の向上めざしてきた人にとっては歯痒いかも知れないけれど、ニセモノあるいはまがい物のままでも、マスメディアになることはできる。

 

本物しかマスメディアになれなかったわけじゃないのは、過去のオールドメディアを見ても明らかで、同じことの繰り返しだったら、進歩がない。

 

進歩を志向する生き残った人たちが、ネットのマスメディア化を強力に進めたら、そこはもう玉石混淆の、かつてのネットとはまったく違う世界がきっと待っている。

 

ネットメディア、とりわけニュースサイトの質の向上と、ネットのネットらしい世界の温存と。ネットへの愛とか信頼とか執着とか。同根、生まれは一緒であってもまったく違うベクトルが、同時に走り出すのかも。かもかも。

 

ニュースの受け取り手にとっても、たいへん有意義でした。もう十年は前になるけど、ボストングローブ社に「大人の社会見学」に行った時のことを思い出した。

 

その当時でさえ、もっと騒がしいものに違いないと思っていた新聞の製作現場にはITが入り込みつつあって、静かなことに驚いた。あと、見学コースに限ってのことかもしれないけれど、室内は整理整頓されていた。うるさい&汚いという、ステレオタイプなマスコミの現場と全然違った。

 

ついでに机やパソコン周りには家族や友人の写真が豊富で、家庭円満っぽい「いい人」そうな人が多かったことも、印象に残ってる。

 

私は新聞社の見学に行ったけど、同時期にそこにいた同じようなポジションの女性は、テレビ局へ大人の社会見学に行っていた。

 

まぁなんつうか、人生のある時期をその場所そのポジション(働いてたわけじゃない、念のため)で過ごす人なら、この辺のことは知っときなさいよ的なイベントでございました。

 

社会が上方と下層に分かれつつあるなら、ステマに加担したりフェイクニュースに加担したりしたら白い目で見られる階層を、地道に作っていくしかないんじゃないでしょうか。

ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか (光文社新書)

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お休みなさーい。