ケイシー・アフレックが、アカデミー主演男優賞受賞\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
お兄さんのベン・アフレックに比べると、日本人的には地味な印象のケイシー・アフレック。派手派手な作品よりも、じっくりと腰を落ち着けて鑑賞するような人間ドラマの方が、彼の持ち味が出るのかも。かもかも。
『セインツ-約束の果て-』も、地味な人間ドラマ。銃をぶっ放すシーン多目で出血多量ではあっても地味。
(Amazonビデオ入りしてた)
映画公式サイトによると「もうひとつのボニー&クライド」とのキャッチコピーで紹介されているこの作品では、ケイシーが『キャロル』のルーニー・マーラと、離れ離れになっても求め合う夫婦役を演じてる。
ボニー&クライドは、映画史に残るラストシーンで有名な『俺たちに明日はない』のならず者カップルで、クライドを演じたのは、ウォーレン・ビューティ(あるいはベイティ)。
アカデミー作品賞を『ラ・ラ・ランド』と間違って発表し、ぬか喜びをさせるという世紀の珍事を演じたプレゼンターその人。耄碌したとみせかけて、実は確信犯だったとしても驚かない。どこまで本気かわからない、悪ふざけが似合う人。迷惑だけど。
さて『セインツ-約束の果て-』は、ケイシー・アフレック演じるボブとルーニー・マーラ演じるルースの、痴話げんかシーンから始まる。
互いの他には何も持たないならず者同志、強盗などのイリーガルな仕事で生計を立ててきた二人だから、その結びつきはめっちゃ強い。
ルースの妊娠をきっかけに、「これで最後」と足を洗うつもりで挑んだ仕事でヘマをして、ボブは仲間を失い、牢獄へと送られる。一方のルースは女の子を出産し、ならず者から“よき母親”へとジョブチェンジに成功してる。
ルースの環境には変化が訪れたけど、牢獄のボブは、ルースと一緒だった時の“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのまま。ルースとまだ見ぬ娘への愛情を生きるよすがに、検閲を受けながら手紙を書き続けてる。
牢獄という閉鎖環境で自分を見失わないよう手紙を書き続ける静かな姿も、強盗上等のならず者という姿のどちらも板についているのが、ボブ。粗暴さと紳士な面をあわせ持つ二面性ある人物をつなぐのは、ルースへの深い愛情で、そこには違和感もなし。
誰かを深く愛している人は、その人のためなら冷酷非道にだってなれるから。
家族恋しさに脱獄したボブは、ルースと娘の元へと戻ろうとするけれど、その前に立ち塞がる男性がふたり。
ボブとルースの育ての親とも言えるスケリットと、保安官のパトリック。パトリックは、ボブが牢獄へ入ることとなった事件で、ボブに撃たれた人物。事件関係者であるルースを見守るうちに、ルースに好意を抱くようになった人。
ボブは家族を取り戻そうとするけれど、家族を失った男スケリットは、ルースとその娘を疑似家族として大切にしていて、ボブがルースの元に戻ることを許さない。ついでにボブがスケリットたちから、悪事で稼いだ金をかすめ取っていたことも許さない。
何としてでもルースの元に戻り、新天地でやり直そうとするボブを、徹底的に妨害する。
ボブはルースに会えるのか。パトリックの好意を承知しているルースは、ボブを待ち続けることができるのかが、見どころ。とはいえ正直メリハリに乏しくて、ハラハラドキドキ感には欠ける。
1970年代のテキサスという荒涼とした土地には、手に汗に握る展開よりも、地を這うように暗-い描写の方がよく似合ってる。
再び会える日まで、届くかどうかもわからないまま、ボブは手紙を書き続ける。手紙が来なくなる日が、二人の再会の時となるのか。
“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのままで突っ走るボブには、「生きてこそ」という視点が欠けている。「生きてこそ」という視点が欠けているから、無茶ばっかりする。
一方母となったルースには、娘という未来につながるものがあるから、刹那や破滅に向かって無茶することはない。
互いに求め合う気持ちに変わりはなくとも、歳月は特にルースを大きく変えた。
刹那や破滅に向かってともに手を取り突っ走れるのは、人生の中でほんの一瞬。ほんの一瞬訪れた、“互いの他には何も持たない者同士”のテンションそのままで突っ走ったボブは、ある意味幸福なままだったのかも。
ケイシー・アフレック、シリアスな顔になるとベン・アフレックの面影が強くにじみ出てくる。彼の方が優し気ではあるんだけど。
『ゴーン・ベイビー・ゴーン』もそうだけど、シリアスな役柄を演じることが多い気がするケイシー。地味な役をきっちり演じ切ってきた成果が、オスカーなのかも。
とにかくめでたい\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
お休みなさーい。