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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

西洋的ステレオタイプをぶち壊す『エム・バタフライ』見た

ラストエンペラー』で清朝最後の皇帝溥儀を演じたジョン・ローンが、ヒロイン役。キワモノかな?と思った通りのキワモノだけど、ゲテモノになりかねないキワモノが、最後に見事な背負い投げを決めてくる。

 投げ飛ばされたのは西洋的ステレオタイプで、虐げられるのは白人男性。見事に騙されちゃったフランス人外交官ルネ・ガリマールを、ジェレミー・アイアンズが繊細に演じてる。

 

紳士なヨーロピアンとユニセックスな魅力にあふれたオリエンタリズムの、衝突ならぬ競演も楽し。役にぴったりな俳優が見つかったからこそ、実現した作品かも、かもかも。

 

 舞台に選ばれたのは、文革目前の北京

オペラの『蝶々夫人』がベースとなった『エム・バタフライ』は、1964年の北京が舞台。1964年といえば、東京オリンピックの年で、アメリカが本格的にベトナム戦争に介入した年でもあって、この時代背景が超重要。

 

北京のフランス大使館に勤務するルネ・ガリマールは会計担当者。インドシナ紛争、そしてベトナム戦争と、アジアが紛争の火種となっている渦中の中国は、直接戦争には介入してないものの、諜報戦の舞台となる重要な場所。そこで仕入れた情報が、アメリカ辺りに流れていく仕組み。

 

オペラ『蝶々夫人』で蝶々さんを演じたソン・リリンことジョン・ローンにひと目ぼれしたガリマール。彼女に言われるまま、市中で京劇が上演される劇場にまで足を運び、ソン・リリンと積極的にお近づきになろうとする。

 

政府関係者のガリマールなのに、あまりにも安直にソン・リリンとお近づきになり過ぎで、それでいいのかとまず1回目のツッコミとして問い詰めたくなる。ちなみにこの後も何回か、それでいいのかとツッコミたくなることがたびたびさ。

 

ストレートの西洋人男性が、オリエンタルな東洋人男性と、「そうとは知らずに」恋に落ちるお話。設定が設定だけに「嘘やーん」とツッコミたくなることたびたびなのに、本人たち、特にジェレミー・アイアンズ演じるガリマールが大真面目だから、成立しちゃってる。

 

なぜガリマールは騙されたのか

ジョン・ローン演じる京劇俳優ソン・リリンは、ガリマールを騙す気満々。騙す気満々にさえなれば、騙せるのか?という疑問は、ガリマールの置かれた状況を考えれば説明がつく。

 

ガリマールは、新任とはいえ大使の信頼も厚く、仕事のできる人。仕事が出来過ぎるゆえに、古参職員からは疎まれていて、仕事面ではプレッシャーを感じていた人。ストレスが嵩じると幻想、イルージョンに逃げたくなるものだけど、ガリマールは特にその傾向が顕著な人。ロマンチストでもあって、結局そのロマンチシズムが仇となる

 

相手が女性か男性か。やることやったらそんなのすぐわかるやろという危地を、ソン・リリンことジョン・ローンは巧みにかわす。「服は着たままで」とか。???と思うリクエストも、東洋の奥ゆかしい女性ならばこそと、むしろ喜んでたかも。

 

哲学的かつ小難しい、インテリジェンスあふれる会話と、性愛に走り過ぎない触れ合いと。体と体の結びつきよりも、魂と魂の結びつきをより重視していたせいか、ガリマール、立場に無自覚すぎで、歓心を買うためとはいえ、機密事項喋りすぎ。

女がどう振る舞うべきか、男にしかわからない (作中の台詞より引用)

 とはまったくその通りで、自らの女性性を信じて疑わないものは、ことさら女っぽく振る舞う必要なんて、まったくないのさ。

 

ことさら女っぽくふるまう必要はないから西洋女性はあけすけで、欲望にも忠実。その姿に幻滅を感じてか、ますます幻想、イルージョンにすがるようになる頃から、ガリマールの転落が始まる。

 

だって、周囲の人が公人、政府関係者としての彼の判断力に、疑いを持つのにじゅうぶんな実績積み重ねたからな!

 

いっぽう北京にも文革の波が押し寄せてきて、ソン・リリンことジョン・ローンは、一見うまく逃げ切ったようで、実は零落してる。

 

ソン・リリンことジョン・ローンの心中やいかに

オリエンタルな人らしく、ソン・リリンが感情をあらわにすることも、激情に駆られることも、滅多にない。

 

笑顔さえ滅多に見せない相手に夢中になれるのは、やっぱり幻想、イルージョンのなせるわざかと思わなくもない。ところが相手のガリマールは、魂と魂の結びつきをより重視するっぽいロマンチスト。ソン・リリンがガリマールに捧げたのは、魂だったのかも

 

断ち切ろうと思えば断ち切れた関係なのに、パリに戻ったガリマールの前に、自ら姿を現したのはソン・リリンの方。

 

文革で強制労働に従事させられていたソン・リリンは、もう舞台に上がることはない。

 

二人の生活の場も北京からパリに移り、ガリマールはもう外交官ではなく、ソン・リリンももう女優ではない。生活が支配する場に移ってきてなお、二人の関係には変化なく、恐らく性愛からも遠いまま。その関係に我慢できずにぶち壊しにかかったのは、きっとソン・リリンの方

 

この映画、後半になるほど見どころが増えるので、前半で脱落するともったいない。

 

ソン・リリンは、最終的にはガリマールが政治犯として裁かれるよう立ち回ったとしか思えない。法廷にガリマールを引きずり出し、大勢の人の前でガリマールに恥をかかせる。

 

だって誰もが信じられない。二人の間には子どもができたことも、その子を人質にとられてのガリマールの行動だったことも。そもそもあんたたち、することさえしてないやんとは全法廷の人の声で、関係者の声で、ガリマールが可哀想すぎる。真相を知ったら、すべての純情で紳士な男性も泣くに違いない。

 

そして、ガリマールに「西洋イチの間抜け」というレッテルが貼られた時、東洋から西洋への復讐も完成する。

 

蝶々夫人』では、アメリカ海軍士官ピンカートンと恋に落ちて捨てられた蝶々さんは、恥じて死ぬ。エム・バタフライ』では、フランス人外交官ガリマールは、ソン・リリンによって「西洋イチの間抜け」としてこっぴどく恥をかかされる。ざまあみろという声が、特にソン・リリンを操ってたあたりから盛大に聞こえてきそう。

 

二人のあいだに愛はあったのか?

 さてソン・リリンによってこっぴどく恥をかかされたガリマールだけど、彼は単なる被害者なのか。

 

「幻想の方がよかった、生身のお前はいらん」と言われたら、言った方と言われた方と、どちらがより壊れるのか。生身の、ありのままの僕・私を愛してと思ってた相手は、たまらんだろう。

 

もしも。ガリマールに理性があり、ソン・リリンの正体を知った時にその立場を悪用し、逆スパイに仕立て上げようとでもすれば。

 

二人の話は政治的なものとなって、公人としてのガリマールの面目も立ったけれど、彼は徹頭徹尾取り乱した。公衆の面前で恥をかかされてもなお、幻想のソン・リリンを愛したと証言すれば、ガリマールの行為と恋はどこまでいっても私人としての暴走になる。

 

私人として暴走したガリマールは、獄中では狂人として囚人から喝采を浴びている。

 

好奇の視線にさらされ続ける市中よりも、獄中にあって適度に一般社会から切り離されていた方が、「西洋イチの間抜け」にとっては生きやすい。最大限相手を尊重し、信頼したあげくに残されたものが「西洋イチの間抜け」というレッテルだったら、もう正気ではいられない。

 

そこまでソン・リリンが計算したのかどうかは永遠の謎だけど、とにもかくにもガリマールは囚われの人となり、ソン・リリンは国へと帰る。

 

「西洋イチの間抜け」としてガリマールが生き恥を晒すのを良しとしないことも計算済みで、引導を渡して彼を苦痛から解放する道筋をつけたのなら、そこにあるのはやっぱり愛にしか見えない。

 

引導を渡すのも、愛がないとできないんだ。

 

よいものを見て、満足した。謎に包まれた生い立ちのジョン・ローンは、現在ではすっかり表舞台から姿を消している。考えて見れば、謎に包まれた生い立ちの彼が、清朝最後の皇帝役を演じたのはなんとも皮肉。

 

ハリウッドでも日本でも、二世三世が活躍するようになって全体が底上げされてクリーンになれば、彼のような人の活躍する場もなくなっていくのかも。太く短くを最初から志向していた彼は、賢明でもあった。

 

お休みなさーい。