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クローズドなつもりのオープン・ノート

~生きるヨロコビ、地味に地道に綴ってます~

最近考えてるちょっと意地悪なこと

暇な時間のほとんどすべてはテキストを読むことに費やしてるような、テキスト中毒者。最近は、今読んでるコンテンツは一文字いくらなんだろうと思いながら、テキストに接してる。

 

コラム的な文章だとまずは筆者の名前を確認し、嫌いな人だったらスルーする。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い感情的なタイプなので、字面を見るだけでムカつきを感じる人や関係者が書いていればすっ飛ばす。有用な知見を見逃す“機会の損失”に繋がるかもしれないけれど、その人でなければならない書けない知見なんて、この世の中にはほんの少ししか存在しない。

 

周知されるべき情報は、複数の人や手段によって拡散されるから、そのうちのひとつを見逃したところで無問題。

 

筆者の名前+正社員か外部ライターか。外部ライターが書いているなら、一文字いくらのテキストなのか。そのあたりまで情報開示してくれると、これから読もうとするテキストが、埋め草的なものか否かがより見分けやすくなって時間の節約にもなる。

 

お金の話はそのメディアの性質を、すっかり露わにする。

 

新興メディアや知名度の低いメディアなのに一文字単価が高ければ、金払いのいいパトロンがついてるメディアなんだと理解する。逆に、文字単価の低い新興メディアであれば、家内制手工業的なハンドメイドメディアなのかと理解する。

 

高給取りを抱えた名前の知られたメディアなのに、外部ライターへの支払いが渋い場合は、正社員の高給はそこが源泉だったのかと理解する。

 

お金より名誉や知名度獲得が目的の人が、ゼロ円で書いてるものかどうかも丸わかり。メディアを育てるために名前を貸してるケースの場合は、中の人に対して影響力を獲得してる。表に出られない稼業の人たちが、自分たちの意見を代弁させるために、メディアを運営することだってあるから油断ならない。昔はその手の雑誌もあったくらいだから。

 

文字単価が高ければ信頼に直結する単純な話でもなく、広告や商業寄りになれば当然単価は上がる。どこからどう見ても広告や商業寄りなのに、文字単価が低いテキストは存在する意味がわからない。

 

かといって、世間に流通するテキストすべてに値段がつかなくてもいいと思ってる。広告でも商業寄りでもなく有用なテキスト(役に立たなくても有用なものもある)というのも存在するから、値札のつけようのないテキストも肯定してる。肯定してるから、自分もその種のテキストを書いている。無意味でいい。

 

ブログ飯的な人たちの中には、スーパーアフィリエイターな人も含まれていて、プロブロガーとアフィリエイターに、違いがあるのか否かもいまいちよくわからない。

 

わからないながら、どちらにしても彼らは給与所得とは別種の、影響力や知名度といった新しい通貨を獲得した人たちと捉えている。

 

アフィリエイトに副業感覚で参入する人が増えて、テキストをお金に換算する人が増えれば、既存メディアに対する信頼も下がると予想してる。副業感覚で書かれた記事のありがたみは薄い上に、副業感覚で書かれた記事がメディアの目のつく場所に置かれていれば、そのメディアに対する信頼も下降する。

 

反ブログ飯的な動きが活発化するのは、給与所得とは別の生態系に生きる人たちが、新しい通貨の影響力拡大に成功した動きに連動してるんじゃないかと睨んでる。プロブロガー批判は、給与所得というオールド通貨の恩恵に与る人と、影響力や知名度といった新しい通貨の恩恵に与る人との間で起こっている闘争。

 

安定した給与所得の恩恵に与っている身からすると、新しい通貨の影響力拡大で起こるパラダイムシフトは単純に恐ろしい。かといって、わかってるんだったら新世紀に備えろといわれても、その結果起こる事態をまったく歓迎してないので、やる気もない。

 

気に食わない人たちが、気に食わないやり方―卑劣、悪辣、狡猾なやり方―で築こうとする新しい世界には興味がない。卑劣、悪辣、狡猾なやり方を肯定する人たちが作る世界が、“美しい世界”になるとは信じられず、美しくないかわりに黄金色した新しい世界にもまったく興味がもてない。

 

給与所得というオールド通貨の恩恵に与って来なかった人、今後も与る見込みの無い人が、新しい通貨圏をめざすのは理に適っている。理に適っているから、否定はしない。

 

安定した給与所得の恩恵を長年に渡って存分に受けながら、手のひらを返すようにこれからは新しい通貨の時代と立ち回るのは、今までの生活を支えてきたものへの敬意に欠ける。スマートな立ち居振る舞いというよりは小利口で、うす汚くさえ見える。

 

世の中には、リストラや配置転換といった大人の事情により退職を余儀なくされる人もいるから、一概にすべてを否定しないけれど。

 

ついでに、影響力の暴走が招いた悪夢を目撃した人たちが、悪夢の再現をめざすはずがないとも思っている。

 

オールド通貨の源泉である現金は中央銀行に管理されていて、有事の際の危機管理対策も備わっている。必要であれば国際協調体制も敷かれるから、安心感がある。一方新しい通貨は、有事の際、暴走や暴落した際には封じ込めできる気がしない。危機管理には不安しか感じない。

 

新しい通貨が局所的に影響力を持つことはあっても、世の中全体に行き渡るには、時期尚早としか思わない。混乱を引き起こす人も混乱を終息させる人も、同一グループ所属あるいは同一クラスタによるものだったらインチキじゃん。

共謀して特定の何かの評判や価値を毀損し、その一方で代替となる新しい何かの価値を実態以上にいいものであるかのように見せかける。それって規制される法律がないだけで、市場操作と何が違うの?場所が違えば「やってはいけない」と明確に禁止されていて、道義的にも「やってはいけない」ことを平気でやれる人のイイハナシが、イイハナシであるわけがない。

 

新しい通貨の恩恵に真っ先に与れる人は偏在していて、ほとんどの場所では少数派のニュータイプがオールドタイプと混在している。新旧を分ける主な決め手は世代で、世代間における富の偏在を強制的にリセットするけれど、リセットした後はどうすんのさ。

 

やられた分をやり返すという単純な発想なら、知性ある人はついていかない。知性も優しさもなき集団には人も集まらない。長々と書いてみたけれど、要するに、気に食わないものはどこまでいっても気に食わない。ぱんつ見せたり、胸の谷間をチラつかせたり。バックグラウンドに相応しくない、下品な下半身や言動を売り物にしてでも、新しい通貨の恩恵に与りたい人はいくらでも湧いて出てくるんだから、労働力にも困らないでしょ。新しい世界が、ますます安っぽくうす汚く見えるだけだけど。うす汚い世界に居場所はなくていい。

 

昨日までの好天とは打って変り、どんよりとした日曜日に相応しく、どんよりしたことを考えてた。

 

お休みなさーい。